1-2 樹神探偵事務所へようこそ

 名古屋駅から名鉄あるいはJRで二駅。もしくは地下鉄東山線に乗り、栄で名城線左回りに乗り換えてから四駅。

 金山総合駅の程近く、とある雑居ビルの二階に、小さな事務所がある。

 看板は出しておらず、玄関扉の表側にレトロな風合いの小さな表札がかかっているだけ。

 そこには、こんな飾り文字が並んでいる。


『樹神探偵事務所』


 樹の神と書いて『こだま』と読む。

 密室殺人なんかとは縁がないけれど、この探偵事務所にはちょっと変わった依頼が持ち込まれる。 


 僕の名前は服部はっとり はじめ

 ここで樹神こだま先生の助手をしている、県内の私立高校に通う十七歳だ。

 真面目な男子高生の僕が、こんな知る人ぞ知る探偵事務所を手伝うようになった経緯は、長くなるのでまた別の機会にでも。


 さて、今回ご紹介するのは、何とも不可解な予備校生の失踪事件。

 零和れいわの時代になろうとも、人の心の歪みが異界の扉を開けてしまうこともあるようで……?


  ◇


 その日もスマホに連絡を受けて、学校帰りに事務所へ顔を出すと、例によって樹神先生が出迎えてくれた。


「やぁ、服部少年。待ってたよ」


 いつものように洒落たスーツベストとネクタイ姿で、長めの髪を後ろで一つに括っている。

 年齢は三十すぎらしい。整った顔立ちだけど、どことなく遊び人っぽい雰囲気がある。


「また何か新たな依頼ですか?」

「あぁ、今日これから相談に来てもらうことになってるんだ」

「僕、制服のまんまですけど、大丈夫ですか?」

「問題ないよ。天下のT高生なら、却って箔が付くだろ」


 対する僕は、濃紺の地に金ボタンの学ラン姿。県内トップの私立高校の生徒だと、地元の人なら一目で分かる。

 僕はこの事務所に常駐しているわけではなく、依頼内容に応じて時々呼び付けられるのだ。


 それにしても、相変わらず「いかにも」な感じの探偵事務所だ。

 マホガニーの書き物机に、アンティークの本棚。その手前には、革張りの渋いソファと猫脚のローテーブルの応接セットがある。

 何事も形から入るタイプの先生らしい。


 僕は来客に備え、コーヒーの準備を始めた。

 全自動コーヒーメーカーのミルが豆を挽く音はかなり喧しい。だからこれは、毎回お客さんの来る前にやっておかねばならない作業なのである。


 コーヒーの良い香りが部屋じゅうに漂うころ、インターホンが鳴った。

 やってきたのは、一人の若い女性。肩まである栗色の髪をハーフアップに結い、淡い色のワンピースをふわりと纏った清楚な雰囲気の人だ。


「ようこそ、美しいお嬢さん。お待ちしておりました」


 先生は腕を腹に添えてお辞儀をすると、大袈裟なほど優雅な仕草で彼女を応接スペースへと案内した。お客が美人だとこの調子だ。


「探偵の樹神こだま 皓志郎こうしろうです。都築つづきさん、でしたね」

「えぇ、都築 翼沙つばさと申します。よろしくお願いします」


 翼沙さんは、慎ましやかに頭を下げた。

 事前に目を通した相談依頼のメールには、K学院大学の学生とあった。市内屈指のお嬢さま大学だ。


 先生が誠実そのものという表情で、翼沙さんに微笑みかける。


「何でも、探し人とか」

「はい、実は……」


 翼沙さんが、コーヒーを運ぶ僕をちらりと見て、小さく目をみはった。


「あぁ、彼は助手の服部です。まだ高校生ですが、頼りになりますよ」

「どうも」


 紹介されたので、ただ単に軽く会釈する。先生と同類だと思われたら堪らない。

 翼沙さんは曖昧な笑みを僕にくれてから、正面に向き直った。


「実は私の弟が、五日前から行方不明なんです。弟は浪人生で、予備校に行ったきり帰ってこなくなってしまって」


 ローテーブルに、一枚の写真が置かれる。

 そこには、学ラン姿で左胸にコサージュを付けた男子高生が写っていた。昨年度の卒業式の時に撮ったものらしい。

 奇しくも、僕が今着ているのと同じ制服だ。先ほどの彼女の反応にも合点がいった。


「T高だな。服部少年の先輩に当たるんだ」

「本当ですね」


 痩せぎすの体格で、どことなく神経質そうな人だった。

 残念ながら面識はない。同学年でも人数が多すぎて覚えきれないので、他学年ともなれば仕方ないだろう。


「警察に届けを出して、行方を調べてもらってるんですが、手がかりが全然なくって……」


 翼沙さんの語った顛末はこうだ。


 遡ること五日前、零和三年十月二十二日、金曜日。

 彼女の弟・都築 務夢つとむさんは、名古屋駅西にある予備校で四限目の授業に出席した後、帰路に着いた。

 しかし夜十時すぎになっても自宅に戻らず、また連絡も取れないことから、母親が警察に行方不明者届を出した。


 警察の捜査によれば、本人の足取りは以下の通り。

 午後四時半すぎ、予備校の建物を出る務夢さんの姿が、入り口に設置された防犯カメラの映像で確認できた。

 その後、予備校から名古屋駅へ向かう途中の交差点にある防犯カメラの記録にも、彼の姿が映っていた。

 しかしmonacaの利用履歴を見ると、そこから電車を利用した形跡はない。


 人通りの少ない時間帯だったため、目撃者はなし。また、怪しげな人物や車の目撃情報や映像記録も特になし。

 朝の時点での所持金は母親が渡した当日分の昼食代を含めても二千円程度だったため、敢えて現金で切符を買ってどこかへ行ったとは考えづらい。銀行口座から金を引き出した形跡も、電子決済等の形跡も、やはりなし。


 スマホの電源はオフの状態。

 最後に通信がなされた基地局も、同じエリア内。予備校の中からと思われる。


 友人知人関係を当たってみても務夢さんの居所を知る者はおらず、SNSにも失踪に繋がるような書き込み等はなし。


 不可解なことが一点だけ。

 どういうわけか、名古屋駅の西にある駅裏通商店街の防犯カメラの記録で務夢さんらしき人物の姿が確認できた。一旦は商店街の中へ入ったものの、なぜか再び駅の方向へと引き返す様子が。


「弟の足取りは、名駅めいえきの手前で忽然と消えてしまっているんです。どうして商店街なんかに行ったのかも、よく分かりませんけど」

「警察でも調べているとは思いますが、何か事件に巻き込まれるような心当たりは」

「いいえ、全く。予備校でも、何もトラブルはなかったそうです。その当日も、特に誰とも会話もせずに一日過ごしていたようで」


 ふむ、と先生は顎に手を添える。


「例えば、ここ最近で弟さんが何かに悩んでいる様子など、ありませんでしたか?」

「うーん……」


 翼沙さんは小さく眉根を寄せた。


「まぁ、受験生なので、勉強のストレスは普通にあったと思います。うちは特に、父が普段からあの子にプレッシャーをかけてるから」

「ほう、お父さんが」

「えぇ、父は病院の院長をしてるんですけど、昔から弟には厳しくて……跡を継がせたいみたいで」

「なるほど」


 都築病院。言われてみれば、名鉄電車の窓上広告で目にしたことのある名前だ。


「父は弟を怒っています。勝手に家出した奴のことなんか知らないって。もちろん捜索は続けてもらってますけど、事件性は低いそうで」

「……少々申し上げにくいんですが」


 先生はそう前置きして、翼沙さんと目線の高さを合わせるように身を屈めた。


「しっかりと自分の意思で行動できる十九歳の人間が、自ら痕跡を残さないように姿を眩ましているのだとしたら、足取りを追うのはかなり難しいでしょう。あまり宜しくない事態になっていることも考えられます」

「えぇ、分かっています。警察がこれだけ探しても行方が分からないわけですから。でも私には、弟が自分でどこかへ行ってしまったとは思えないんです」

「それは、なぜ?」


 翼沙さんは鞄からスマホを取り出す。


「この日のお昼ごろに、弟とLIMEしました。弟と最後に連絡を取ったのは私なんです」


 表示されたトークアプリ『LIME』の画面を、先生と僕とで覗き込む。そこには、こんな会話が残されていた。


【TSUBASA】帰りにミラージュ・コレクターズの最新巻買ってきて。

【つとむ】えー。

【TSUBASA】後でお金は払うから。こないだ合格祈願の御守り買ってきてあげたでしょ。

【つとむ】分かったよ。先に読んでいい?

【TSUBASA】いいよ。

【つとむ】じゃあ、帰りの電車で読みながら帰るわ。


 『ミラージュ・コレクターズ』とは、今流行っている少年漫画のタイトルだ。もちろん僕も読んでいる。

 このやりとりの後に、翼沙さんからの発信がいくつも続いていた。どれも居場所を訊ねる内容で、既読すら付いていない。


「弟に漫画を頼んでたんです。この日が発売日だったんですけど、私は用事があって買いに行けなかったんで。この会話の後に黙ってどこか行ってしまうなんて、おかしいと思いませんか?」

「まぁ、確かに」


 僕はふと思い付き、口を挟む。


「もしかして、務夢さんが商店街に立ち寄ったのは、漫画を買うのに本屋を探しに行ったとかじゃないですか?」

「服部少年、駅裏通に本屋なんてないよ。名駅の中の本屋の方が便利だろう。何か別の用事を思い出して商店街へ行った可能性の方が高い」

「いや先生、ミラコレの前の巻、ものすごい気になるところで終わっとったんですよ。単行本派ならあの続きを読まずにおることなんて考えられません」

「えっ何、そんなに面白いの? その漫画」

「えぇ……僕なら何を差し置いてでも爆速で漫画買って帰りますね」

「へぇ」


 不意に翼沙さんと目が合う。かぁっと頬が赤くなるのが自分で分かった。変なところで熱くなってしまった。


 こほん、と先生は咳払いを一つ。


「少なくとも、このLIMEのやりとりの後に何かがあったのは確かでしょう。楽しみにしていた漫画の続きにも構えなくなるような何かが」


 務夢さんの身にいったい何が起きたのか。気の毒に、ミラコレ最新巻も読めていないに違いない。


「あの」


 翼沙さんが、控えめに声を発した。何度かあれこれと両手の指を組み替えた後、意を決したように再び口を開く。


「私、弟は神隠しに遭ったんじゃないかと思ってるんです」

「……と仰いますと」

「前にも、あったんでしょう?」


 先生と僕とで、思わず視線を交わす。

 神隠しとは、全く突拍子もない。親御さんには、ましてや警察には、まともに取り合ってもらえないだろう。

 しかし。


 翼沙さんは、先生を正面から見据えて言った。


「こちらの探偵事務所で、そういう不思議な事件を解決してくれると伺いました。お願いします。どうか、弟を探してください」

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