僕らの劇場

るい

第1話

 にぎわう商店街を抜けて、少し閑散とした建物が並ぶ一角に「シマネ・オーマチ」はある。大町市に唯一の歴史ある映画館である。化粧の濃い、おばさんというかマダムというか、迫力のある女性が一人で経営している。ちなみに年齢は絶対に教えてくれない。僕、畑中優斗はそこに通うのが小学生のころからの趣味だった。小さい頃は中にあるお菓子コーナーが大好きだったが、少額2年生の時におばさんに勧められて映画を見てから、僕の関心は映画に注がれた。映画の前の変な緊張も、映画館のくせにアットホームなおばさんも大好きだった。

 小学3年生にして趣味は映画鑑賞となった僕の前に新しい興味の種がやってきた。それがやよいだった。九重やよい、同じく小学三年生の彼女は田舎ではめったに見れない色白で、目を引くような静かな美人だった。狭い世間で広がったうわさ話によると、父母の離婚で母親とともに大町に越してきたらしい。転校初日に少しだけ見た母親とは全く似ておらず、学校でも近所でも聞くに堪えない憶測も飛んでいたが、本人曰く、父親に似ているだけらしい。彼女はいつも一人だった。

 当時の僕は、映画館のおばさんがたまに話してくれた「トーキョー」という大都会からきた彼女に興味深々だった。シマネ・オーマチは映画館といっても規模が小さく、はやりの映画はなかなかやっていない。僕が小さいころに見たのも昔の特戦隊映画だった。おばさんに流行りの映画を見たいといったとき、

「ここもいいけどねえ。この町は小さいからなかなか見せてやれんが、東京なんかに行くとたくさん映画館があってあんたみたいに若いのには楽しいだろうねえ。」

としみじみ言っていた。その「トーキョー」から来たやよいに、

「ねえ、映画何見た?」

と聞いたのが、僕とやよいの出会いである。最初は驚いていたものの、僕のしつこさに負けたやよいが「子どもだけで行けなかったから行ったことないよ。」と笑った顔がなんとなく忘れられなくて、僕たちは友達になった。なんとなく、やよいをおばさんに紹介したくなってシマネ・オーマチにも連れて行った。彼女は映画友達の幼なじみとなった。普段は笑わないやよいだが、実は緊張しいなことも、お母さんは忙しくて家にいないが、映画に行くと言ったらお金を置いていってくれたことも、なんとなく覚えている。

 

 中学二年生となった今、「なんとなく」の正体にうっすらと気づいていた。街並みが変わり、少し栄えた町中には大きな映画館ができ、シマネ・オーマチは一層ぼろくみえた。相変わらず、やよいとは映画に行く。シマネ・オーマチに、である。すっかり顔なじみになったやよいもおばさんは変わらず迎えてくれたが、「ここもそろそろかねえ。」が口癖になっていた。小学校は一クラスしかない小さな学校だったが、中学校は二人とも地元の大きな中学へと進学し、やよいと初めてクラスが分かれた。それでも一緒に登下校してくれるやよいには感謝している。なんとなく、に気づいた僕にとって美人なやよいは、本来手の届かない存在だ。それでも毎日、何気ない話ができている。それだけで幸せだ。

 


 ある日の放課後、明日クラスの人たちと映画に行くんだ、と言ってきた。もちろん大きな映画館。やよいが映画好きときいた友人たちが、何人かで行こうといってくれたらしい。優斗以外で映画のが合う人がいてちょっと楽しみだよと言っていた。楽しそうなやよいを横に、僕は止まらない冷や汗の始末を考えた。もし何かあったら、告白とか二人きりになったら。やめよう。自分にこれ以上考える権利がない。

「へえ。まあ楽しんで来いよ。」

「うん。」

やよいの返事をこれほどかわいいと感じたことはなかった。

 後日、やよいから聞かされたのは、予想外というか、予定内の聞きたくない言葉だった。

「告白された。」

「...誰に?」

「大石君。同じクラスの。」

「ああ。野球部の。」

「そう。一目惚れだって。一年生の時に。優斗と仲いいって知って焦って今言っちゃったって。何それって感じ。」

「嫌いなの?」

「いや、そうじゃないけど。なんか、一目惚れかあ、って思っちゃってさ。」

「いいやつじゃん。大石。人気あるけどね。チャラチャラしてなくて、一目惚れだって本気で言ってんでしょ。純粋じゃん。」

「うん。まあそうなんだけどね。」

ああ、神様、僕は今まともに会話できているでしょうか。にっくき大石をなぜかおすすめしながらも、体中は緊急事態でぐるぐるしている。落ち着くことができず電線を眺める僕を現実に引き戻したのは緊張したやよいの声だった。

「私ね、私、知っていると思うけど、お父さんいなくて。お母さんと離婚したから。」

「知ってる。やよいから聞いたのは初めてだけど。」

「うん。それで、あんまり恋愛に対して理想がないっていうか、憧れられないっていうか。お母さんたちは本当に喧嘩ばっかりで。私はお父さん似だから、その、あんまり自分の外見も、好きじゃないし。だから恋愛に対していいイメージがなくてね。大石君のこと、嫌ってわけじゃないけど、だから、ずっと仲良しでいたいから、友達がいいなって思っちゃって。そう思うってことは好きじゃないんだろうなって思ったから断ったの。だけどもうちょっとチャンスが欲しいって言われてさ。保留になっちゃった。」

「そっか。」

振られた。大石だけじゃない。今、僕も振られたんだ。きっとやよいの中では僕も「友達」だ。最初から可能性なんてなかったのだ。


 振られてからしばらくはなんとなく気まずくて、別々に登下校した。何をしてももやもやするので、映画を見に行くことにした。もちろんシマネ・オーマチに。中学生になってからはいける日が減ってしまったので、なるべくやよいと日付を合わせていっていたから一人で行くのは久々だった。頭を冷やすのに一人映画はちょうど良い。

「いらっしゃい。あら今日はひとりかい?」

「うん、まあね。」

相変わらず、おばさんは迫力があったが、背中が丸くなってきた気がする。

「珍しいねえ。喧嘩でもしたかい。」

「いや、そんなことないよ。今日は一人で見る気分だっただけ。いつもは予定合わせてきてるからさ。」

「そうかい。まあ、映画の前に、なんか面白い話をしておくれよ。最近、お客も来ないから退屈なんだよ。ここもそろそろかねえ。」

そういわれた僕は、なんとなく、やよいの話をした。クラスのこと、映画に行ったこと、そのほか色々、もやもやを全部、おばさんに提供した。

「そうかい。それでやきもち妬いて一人映画ってわけか。」

やきもち、おばさんはその言葉を選んだ。僕が選ぶ権利のない言葉だ。

「そんなんじゃないよ。なんか、なんとなく、ね。」

「それをやきもちって言っていいのよ。一人で妬くのは勝手なんだから。そうねえ。やよいちゃんも色々あるわよねえ。」

しみじみと言う。なんか、少し楽しそうなのは気のせいだろうか。

「恋は劇場、愛は日常、ね。」

「え?」

「うちの旦那が言ってたのよ。早くに亡くなっちゃったからあんたは見たことないだろうけど、もともとここは旦那の劇場なのよ。その旦那がよく言ってたわ。恋は劇場、愛は日常ってね。」

「なんか深いね。」

「でしょう。でもなんとなく分かるのよね。やよいちゃんに足りないのは日常なんじゃないかい。『愛の詰まった』ね。ご両親が悪いんじゃないよ。あの子のお母さんは毎日頑張ってるからね。ただ、一目惚れなんてドラマチックなものはこの劇場で十分。」

「愛ねえ。」

「そうさ。馬鹿にしちゃだめよ。」

じゃあ僕のは、と聞こうとしてやめた。僕のこの想いは恋なのか愛なのか。そんなことをおばさんに聞けなくて、一人で映画を見ながら考えた。

 

 次の日の朝、僕はいつもよりも30分早く家を出た。やよいに会うためだ。もともと朝が早いやよいは、僕と登校しなくなってから早めに学校に行くようになっていた。そのやよいを待つために目をこじ開けて家の前で待つ。5分後にはやよいが出てきた。

「よう。」

「おはよ。めっちゃ早いじゃん。日直?」

「いや。一緒に行こうと思って。」

「そっか。」

そこから会話は続かなかった。ちょっと話さない間に、やよいはなんだか別の人みたいに見えるし、いつもの道はなんだか淡い編集が施された映像のように見えて緊張する。とっさに出てきたのはいつもの言葉だった。

「ね、映画行こう。」

驚いたような、いつもと変わらないような顔をして、やよいは承諾してくれた。今日の放課後、シマネ・オーマチに集合で。

 

 放課後、なんとなく緊張しながらシマネ・オーマチにつく。おばさんはいつも通りだけど僕はそれどころじゃない。昨日、映画を見ながら考えた。恋か愛か、映画の中にはヒントも答えもなかった。中学生でそんなことを考える必要なんてないと思う。それでも、なんとなく、やよいと一緒にいるためには、答えを出さなきゃいけない気がした。

「ごめん遅れた。」

やよいが来た。委員会があるから少し遅れるといっていたが、急いできてくれた。それだけで十分だ。チケットを買って、二人きりのシアターに入る。久々だね、なんて笑うやよいは幼いころのままだった。でも知らない人にも見える。これ以上、知らない人にならないでほしい。僕の知らないやよいになるくらいなら、ずっとここにいたい。いてほしい。離れないでほしい、離さないでほしい。僕は、

「僕はやよいが好きだ。」

自然に出てきた言葉に、やっぱり見たことないやよいが笑った。


 あの日から数年。僕は映画館で働いている。隣町の大きな映画館だ。シマネ・オーマチは閉館した。最後の日には二人で映画を見て挨拶をしに行った。おばさんは今でも元気で、最近はヨガにはまっているらしい。僕らの劇場はもうなくなった。それでも僕らは劇場にいる。日常に、劇場がある。実はそんなに別々なものじゃないのかもしれない。

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