借金のカタに一文字頂きます
シカタ☆ノン
借金のカタに一文字頂きます
まだサラリーマンで賑わう前の、客の疎らな夕方の立ち飲み屋。
テーブルに突っ伏してうつらうつらしていた下村雅広(シモムラマサヒロ)は、隣の客の「無利子だってよ?」という笑い声が耳に入ってきてゆっくりと体を起こした。
雅広が酔った頭を揺らしながらボンヤリと聞き耳を立てていると、どうやらその客達は大通りを歩いていたときに渡されたという怪しげなビラについて話しているようだった。
「絶対怪しいよな。こんなの信じて金借りる奴いるのかね?」とビラを見ながら談笑している。
「金・・・?」と、雅広は背筋を伸ばした。
そう、雅広は金に困っていた。
会社の後輩との浮気が妻にバレたのはひと月前のことである。
妻の父親は雅広が務める小さな建設会社の社長だった。
当然妻は父親である社長に相談し、その結果妻とは離婚、更に会社もクビになるという大失態を冒してしまった。
『逆玉の輿』の狙いも少しあってなんとなく結婚した妻とは違い、これこそ真実の愛だと思っていた浮気相手とは、会社をクビになった日からあっけなく連絡が取れなくなった。
妻の父親に買ってもらったマイホームからも追い出され、手元に残ったのは妻に内緒のヘソクリ12万円のみだった。
昨今の外出自粛の煽りでアルバイトの面接はことごとく断られ、マンガ喫茶と日雇い労働の斡旋所を往復するその日暮らしの毎日で、所持金は常に1万円を切っていた。
まさに人生の崖っぷち、土俵際いっぱいでなんとか踏みとどまっている状態である。
雅広は隣の客がいなくなると、テーブルに残されていったビラを手に取った。
ビラには『無利子!即日現金払い!まずはお試しください!』と景気の良い言葉が並んでいた。
かなり怪しかったが、贅沢を言っている余裕は今の雅広にはなかった。
雅広は「この時間ならまだやってるな・・・。話を聞くだけならタダだもんな。」と呟くと、千円札を一枚テーブルに置いて店を出た。
ビラに書かれている住所に来てみると、民家だった。
その辺りではひときわ大きく立派ではあるが、民家である。
雅広はもう一度辺りを見回してみたが、消費者金融の看板らしきものは見当たらない。
騙されたかと思って帰ろうとしたとき、民家の横の側溝の奥から誰か来るのが見えた。
よく見ると高そうなスーツを来た紳士が、ピカピカの革靴で側溝の蓋の上をこちらに向かって歩いている。
側溝の蓋はガタガタと不安定な音を立てているが、紳士は全く意に介さず背筋を伸ばしてスタスタと歩を進める。
紳士が通りに出て来た時、雅広が「あの・・・、」と声を掛けると紳士は歩を止め、雅広の持っていたビラを一瞥すると民家の横の側溝の奥を指さした。
雅広が指さされた方を見ると、紳士は「その店なら、あの奥です。」と言ってまたスタスタと歩き始めた。
雅広は颯爽と歩く紳士の背中に向かって礼を言った。
雅広がガタつく側溝の蓋の上を歩いて奥まで行くと、突き当りを右に曲がったところに黄色くボンヤリ『笑顔堂』と言う看板が灯っていた。
よく見るとその店は通り沿いの大きな民家と繋がっている。
自宅の裏側を改造して商売をしているのだろうか。
(普通は店を通り側に持ってくるもんだよな・・・、怪しい・・・。表の家の大きさといい相当稼いでるな。なんかやばそうだな・・・。)と、雅広が恐怖を感じていると店の扉が開いた。
店主だろうか、頭にニット帽をかぶった小柄な老父が「まあそんな所に立ってないで、中に入りなさいよ。」とニコニコしながら言った。
手にはクロスワードパズルの本と鉛筆を持っている。
雅広を中に招き入れると、老父はミシリと味わいのある音を立ててロッキングチェアーに座って言った。
「それで、お客さんのご要望は?」
雅広が「えーっと・・・、お金を借りたいんですが、本当に無利子なんですか?」とビラを見せながら恐る恐る訊くと、老父は一度店の奥に入って、何やらメニュー表のようなものを持って戻ってきた。
老父はメニュー表を雅広に手渡しながら、「うちはね、一文字あたりその値段でやってるのよ。」と言った。
雅広がメニュー表を広げて見ると、ひらがなの50音表とそれぞれの文字に金額が記載されていた。
「あのー、意味がよく分からないんですが・・・。」と雅広が訊くと、老父は前歯のない口を大きく開けて楽しそうに笑って「あはは、初めての人はみんな同じ反応だ!」と言った。
「あのね、そこに金額が書いてあるでしょ。例えば『も』は3万円って書いてあるよね。お客さんは1ヵ月『も』って言葉が使えなくなるけど、その代わりに3万円を無利子で借りられるって事だよ。」と老父は楽しそうに説明した。
雅広が全く理解できずに困惑していると、「世の中には活舌が悪くて悩んでる人とか、いざとなると言葉が出て来ない人なんかが結構いるわけ。お客さん、さっき店から出てった高そうなスーツ着た紳士を見たでしょ。あの人は大企業の偉い方なんだけど、大事な商談やプレゼンなんかがあると、よく言葉を借りに来るのよ。あの人の場合は『さ行』を全部借りて行かれたよ。」
「えっと・・・、つまりお爺さんは、客から預かった言葉を他の人に貸して儲けてるってことですか?」と、雅広は老人の作話(サクワ)には付き合っていられないと呆れて訊いた。
「おや、信じられないかい。じゃあ試しに一つやってみたらいいよ。」と言って老人はまた店の奥に行くと、今度は人口呼吸器のような機械をガラガラと引っ張ってきた。
「お試しだから一番安いグループの『も』でいいよね。」と言って老人は、人口呼吸器のような機械に繋がったマスクを雅広に手渡した。
雅広がそれを受け取ると「はい、それを付けて『も』って言って。」と老人は言った。
雅広は馬鹿馬鹿しいと思いながらも、マスクを付けて「も」と言ってみると機械の画面に『も』と表示された。
すると老人は借用書に『も』と書いて、ポイントカードの『も』のところにハンコを押し、店のレジから取り出した3万円と一緒に雅広に渡した。
「えっ!?こんなので本当に3万円借りられるんですか?無利子で?」と雅広が言うと、老人は笑って「そこに期日が書いてあるから、お金はそれまでに返しに来てね。」と言った。
帰り際に老人にクロスワードパズルの本を渡された。
「よく勉強してね。」と老人は笑って言って扉を閉めた。
雅広は借用書とクロスワードパズルの本を持って、キツネにつままれたような気分でガタガタと揺れる側溝の蓋の上を歩いた。
通りに出てしばらく呆然としていた雅広だったが、ポケットの中の3万円を握ると、我に返ってスキップしながら居酒屋へ向かった。
「やったぞ!あの爺さん絶対ボケてる!3万円手に入った。今日はついてるぞ!」
居酒屋で鰹のたたきをつまみながら、キンキンに冷えたビールを飲んだ。
「かぁ~、美味い!最高だ。」と言ったあと、雅広は(ん?待てよ?)と思った。
老人に見せてもらったメニュー表では、『も』は一番安い3万円のグループだった。
一番高かったのは『い』や『ん』のグループで、20万円と書いてあった。
「他の言葉を預けた金で今日借りた3万円を返せば、無利子だから永遠に借りていられるぞ。3万円なんてセコい金額じゃなくて、20万円のグループで回せば豪遊できるぞ。」と言ってニヤニヤしながら老人にもらった『笑顔堂』と印刷されたポイントカードを見ると、『50音全部制覇で、どんな願いも一つだけ叶います。』と書いてあった。
「あはは、完全にボケちゃってるよ。」と笑いながら、雅広は店員に焼酎を注文した。
店員は「麦と芋どちらにしますか?」と訊いた。
雅広が「じゃあ、芋。」と答えると、店員が「え?」と訊き返してきた。
雅広が「いも。」ともう一度言うと、「い?・・・あぁ、芋ですね。」と言って店員は戻って行った。
雅広はここで「いも」の『も』が店員に聞こえていないことを認識した。
その後、店員に『も』の付く料理や酒の名前を色々言って聞き取れるか確かめてみた。
やはり『も』は聞こえていなかったし、筆談も試したが『も』と書くことも出来なかった。
「本当だったんだ・・・。」と雅広は驚いたが、よく考えてみると定職もなく会話をする相手もいない雅広にとって、一文字や二文字使えない言葉があったとしても何の支障もないと思った。
たとえ誰かに何かを伝える必要がある時でも、言えない文字が入ってない単語に置き換えるか、それっぽく聞こえる違う文字を代用して誤魔化して言えば何とでもなる。
それよりもあの老人が言ったことが本当だと分かった今では、ポイントカードに書いてある『50音全部制覇で、どんな願いも一つだけ叶います。』という言葉が気になった。
これも本当だろうか・・・?
雅広はある作戦を思い付き、ゴクリと生唾を飲んだ。
☆☆☆
次の日、雅広はまた『笑顔堂』に行った。
「おや、お客さん何か困ったことでもあったの?」と老人はニッコリ笑いながら訊いた。
「いや、何も問題はないです。今日はちょっと聞きたいことがあって来ました。」
「ふんふん、どうしたの?」
「一文字だけじゃなくて、他に何文字も同時に預けることはできますか?」
「そりゃあできるけど、あまりお勧めしないよ。だって、お客さん困るでしょ?」と老人は心配そうに言ったが、雅広はそれを聞いて(思惑通りだ!)とニンマリした。
老人は「本当に大丈夫かい?」と言ったが、雅広はその日のうちに一番高いグループの『ん』を預けて20万円を借りた。
その20万円から『も』の3万円を返しても良かったが、特に支障もないのでやめておいた。
その週は『も』と『ん』が使えない状態で過ごした。
お金が入ったので日雇い仕事の斡旋所に通うのはやめ、昼はファミレスで日替わり定食を食べ、夜は居酒屋でビールを飲んだ。
『も』の代わりには主に『の』を使った。
「それもください。」は「それのください。」でなんとなく通じた。
『ん』は使用頻度が高かったが、他の文字を代用しなくても多少舌足らずになるが「行くんですか?」は「行くですか?」で十分通じた。
次の週から雅広はどんどん文字を預けていった。
その金でアパートを借り、安い車を購入した。
どの文字を預けるかは、一度に使えなくなると困る文字の組み合わせなどを老人が親切にアドバイスしてくれた。
雅広は笑いが止まらなかった。
もう自分が何文字預けているのかも分からなかったが、コミュニケーションにはほとんど困らなかったし、手元にはいつも何十万円もあったので生活に困ることもなくなった。
唯一面倒だったのが、忘れないように借金の返済に行かなければならないことだった。
どの文字の返済期限がいつだったかも分からなくなっていたが、老人からは「返済期限を過ぎると一生その文字は返ってこないよ。」と言われていたので、無視するわけにもいかなかった。
雅広は『笑顔堂』のポイントカードを見た。
ポイントカードは既にほとんどの文字にハンコが押されていてコンプリート寸前である。
「そろそろやるかな。」と雅広は呟くと、ポイントカードを持って『笑顔堂』に向かった。
雅広は通りに面した『笑顔堂』の大きな母屋の前に立ち、「あんなに楽な仕事でこんなに大きな家を建てるなんて、なんて幸せな爺さんだ。」と呟いた。
ロッキングチェアでクロスワードパズルをやっていた老人は、雅広が来ると「おや、お客さん返済にはまだ早いけど、今日はどうしたの?」といつもの笑顔で言った。
「お爺さん、このポイントカードに書いてある『どんな願いも一つだけ叶います。』って本当ですか?」
「お客さん、まさかそれをやる気かい!?」
「残りの文字を全部預けます。それで願いを叶えて欲しいんです。いいですか?」
「いいに決まってるよ、お客さんの権利だ。でもね、願いを言えるのは一度だけだ、しっかり考えて言うんだよ。いつ、何を、誰に、どうしたいのか。簡潔にはっきりと言うんだよ。」と老人は雅広を鼓舞するように言った。
「いつ、何を、誰に、どうしたいか。・・・確かにそうですね。せっかくのお願いが100年後や、知らない誰かに叶っても意味ないですもんね。いいアドバイスをありがとうございます。」と、雅広は含みのある笑みを浮かべて言った。
老人は雅広が何かを企んでいると疑うこともなく、クロスワードパズルの本を置くとせっせといつもの機械を準備した。
機械の画面はいつもと違い、今は金色に輝いて雅広の願いを待っている。
「いいかい、チャンスは一度だけだよ。さあ、これに向かって願いを言いな。」と言って老人は雅広にマスクを手渡した。
雅広は「めでたい爺さんだ。」と嘲るようにボソボソ言ったあと、マスクをつけて「今日、『笑顔堂』を私にください。」と言った。
『き』ょう、『え』がおどうを わ『た』しにくださ『い』。
すると機械の画面に『きえたい』と表示された。
雅広が驚いて老人を見ると、老人は「クックックッ」と悪そうな顔で笑いながら手の先から消え始めた雅広を見ていた。
「なんで・・・?」と呟いた雅広の目に、ロッキングチェアの上のクロスワードパズルの本が目に入った。
腕の辺りまで消えてしまった雅広はやっと気付いた。
老人と普通に会話が出来ていたので忘れていたが、雅広には使えない文字が沢山あったはず、この老人はクロスワードパズルの要領で抜けた文字を予想して会話を成立させていたんだ。
どの文字を預けるかや、願いに「いつ、何を、誰に、どうしたいか」を簡潔にはっきり言うようアドバイスしたのも、願いが「きえたい」になるよう綿密に仕向けたんだ。
全部初めから仕組まれていた・・・。
老人はすっかり消えてなくなりそうな雅広に、「預かった文字は全部頂きますよ。毎度あり。」とニコニコしながら言った。
雅広が跡形もなく消えてしまった後、店の扉が開いた。
「あのー、お金を借りたいんですが、本当に無利子なんですか?」と、ビラを持った中年男性が入ってきた。
「いらっしゃい、まあどうぞ座って。お客さんクロスワードパズルは好きかい?」と、老人はニコニコしながら言った。
終わり
いつもご愛読ありがとうございます。
次回作にもお付き合い頂けると嬉しいです。
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