武蔵野異界

鈴ノ木 鈴ノ子

武蔵野異界

「武蔵野とは新しい異界であるとも言える。」


大学からの帰り道に恋人であり、少し偏屈な大学生の彼がそう言った。


「突然、何を言い出すの?」


この偏屈な大学生と同棲している私は立ち寄ったスーパーの買い物袋を持ちながら問う。


「いや、今日はちょっと考える講義があってね」


「そうなんだ、で、こんだけ人が住んでいるところに異界なんてあるの?」


驚いた顔をして彼はこちらを見た。その顔は呆れたと言わんばかりの表情だ。


「異界なんてものはね、その辺に転がってるよ。君が見てないだけさ」


「また、そんなこという。そんなものその辺に転がっていたら怖いじゃない」


「そうだろうか・・・。結構、出入り口は多いのだけどなぁ」


そう言って彼は欠伸をした。


夕暮れの夕闇迫る逢魔時にこんな話をすれば、異界の口が開くことくらい彼も知っているだろうに。だから、私はあえて知らないふりをした。しかし、彼の最初の一言にも興味が湧いていた。


「どうして、武蔵野が異界と言ったの?」


「うん、薄笑い教授の講義だったのだが、武蔵野台地の発展と形成などを中心に話をされた時に、ふと思っただけだよ」


「あんた、ふっと思っただけでそんな事を言わないでしょ」


欠伸をした時点で彼が眠たいのがよく分かった。こんな話題を振っておいて、眠たいので話す気力がなくなったとは言わせない。


「眠たいからって話を途中で止めるな、きちんと話しなさいよ」


「ち、面倒くさい女だ」


「ジェンダー差別だ、このクズ」


「く、男が生きにくい世の中だ」


「十分、男は生きてきたでしょ、これからは女の時代よ」


「若い女の子のね」


その腹部に自分の赤いハンドバックを渾身の力でぶち当てる。


「いたい!」


「余分なこと言うからよ。さ、おねぇさんも気になったから話してくれる?」


「おば・・・」


「余計なこと言わない!」


最後の余分な一言を睨み共に黙らせてから、買い物袋から明日の朝、2人で飲む予定だった少しお高めの珈琲を取り出した。


「これ飲めば少しは目が覚めるでしょ、坊ちゃん」


「ありがとう、オネエサン」


ぎこちなくそれを受け取とった彼が、容器にストローを刺してマスクをずらして一口飲むと、ふぅっと息を漏らした。


「さ、話してごらんなさい」


夕闇は徐々に落ちてゆき、木枯らしがあたりを駆け抜けていく。私の赤いコートの裾が風にひらひらと揺れた。


「そうだね。めんどくさいのだけどね」


「あ、言っちゃうんだ」


「あ、言っちゃった・・・。まぁ、いいや。教授の話をしちめんどくさく聞いていて、ふっと過った考えを考えたのだけどね」


「あんたね、講義を真面目に聞きなさいよ・・・」


「聞いてるよ。でね、この武蔵野台地の歴史話をされたのだけど、それ自体で異界だなと思ったわけ」


「端折るな」


「はいはい、戦後の復興期から令和までを見てゆくと、人口増加によって都市開発が多いに進んだのは分かる?」


「うん、それは分かるわ」


「その開発速度は尋常じゃない。半世紀と少しで行われた驚くべき偉業とも言えるのだけど、そこでふと考えたのさ、そのあたりにあった異界はどこへと消えたのかと」


「異界が消える?」


「そう、伝承や街の怪談話、そして禁忌の土地などなど、色々な噂が集まって異界となるのは知ってるよね?」


土地土地には伝承があって怪談がある。これは必ずと言っていいほど、どこにでも存在している。それは小さな噂話の類から住民全員が知っているものまで様々だけれど、その話の中には確かに怪異は存在しているし、そしてなによりその噂の場所がある。


「うん、貴方がよくそう言ってるものね」


「それでね、そう言った場所なのに、どうして怪異の噂が少ないのだろうかと思ってね」


民俗学に興味のある彼は、自分の学部の勉強の傍、このあたりの怪異の話を調べていた。在籍している大学で聞くこともあるのだが、いかんせん、どこにでもありそうな噂話で、古くからの怪談話を聞こうにも、数は極端に少ない。


「普通ならその噂の場所の上に建物を建てていれば出るわよね」


彼女も納得したように頷いた。


「うん、で、帰りがけにふと工事現場で立ち止まった時にね、ダンプが大量の土を造成のために落としているところを見た時に、ああ、あれだと思ったんだ」


「どういうこと」


「土地を上書きしてるってこと」


「上書き?」


「うん、その土地の土を使わず、他の土地からの土を持ってくる。地盤改良と呼ばれる技術だけど、それをするときは近くの土は使わない。改良に適した土を遠方から持ってくる、そうするとその土地は薄まる、そして怪異も薄まる」


「面白いこと思いつくわね、怪異が薄まるか・・・よく分かるわね」


怪異とは土地固有の文化と彼はよく言う、その土地そのものと言っても過言ではないとも。そんな怪異としては地盤がしっかりした土地に、別の土地の土が入り、混ざる、しかも、巻いた程度の土ではなく、ドサリと恐ろしい量の土が混じるのだ。その部分だけ怪異がポカリと穴を開けてしまうようなもの。言うなれば怪異の空白地帯とも言うべきだろうか・・・。そして大規模な造成ともなれば、混ざりに混ざるだろう。


「理解してくれてありがとう。あと、もう一つは急激な人口増加だね」


「人が増えたことで?」


「うん、その土地に昔から住んでいた人よりも、数倍の別の土地の人間が住み始めた時に怪異が薄まる、子供の頃からその土地土地に慣れ親しんだわけでない、全くの知らない土地、その土地の文化にもあまり興味を示さず、自分の暮らしだけをしていけば、影響のない怪異は見向きもされない」


「子供の頃っていうのが重要ってこと?」


「そう、その時の噂話ってのはよく覚えているからね」


「私は覚えてないけど・・・」


少し悲しそうに彼女が俯いた。彼女の生まれは少々複雑だ。


「ま、まぁ、そういうものなの。でも、住み着いた世代から生まれた子供というのは、その住み着いた親の世代が多ければ多いほど、昔の噂がかき消されて消えてしまっている。怪異も然り。そうなれば怪異は消滅してしまう」


「そうね、力を失うわよね、でも、それだと、怪異なんて無くなるじゃない」


「いや、実はそうでもないんだよね。人の噂はどこにでもというやつで、彼らが怪異を生み出したり持ち込んだりするのさ」


「新しい怪異ってこと?」


「そう、例えば学校の怪談って知ってるでしょ」


「ええ、あの美人の花子が出てくるやつ?」


「うん、美人かどうかは知らんけど、それ。その話も基本ベースは学校という施設、だいたいどこも似たり寄ったり、建物の作りと使われ方は同じだからね。だから、あの噂はどこにでも通じるんだ。そして、多くの怪異が集まるとそこは異界となって、学校は異界へと成る」


「要するに 怪異の集合体のようなものが異界ということ?」


「うん、そういうこと。そして、この武蔵野は新しい怪異と古く生き残った怪異が同居する街となったとすれば、他の土地にはない、まったく新しい異界ではないかと考えたんだ」


「変なこと考えたわね」


「そうだろう、つまらなかった?」


「そうでもないわよ。だとすれば武蔵野は新旧入り混じる怪異のある土地ね。最先端を行く流行地じゃない」


「うん、あと、新しい怪異に補足するならテレビとインターネットが、それをさらに加速していく」


「噂の伝播ってこと?」


「そう、ほら、怪奇特集で昔から番組はあるし、ネットにはそう言ったことを専門に扱っているサイトもあるでしょ?」


「私も一時期、流行したものね」


「うんうん。そして、それは怪異を視聴者、読者の中で並列化し、そして共通化させる。そうなればあとは人口の多いところで話が広まってゆき、そうすれば・・・」


「大きい噂になって、共通の姿をなして『ある』と成り、そして怪異は成立するってことかな?」


「うん、そういうこと。つまり武蔵野は新しい異界を今まさに作っているところと言うわけさ。でも、共通の姿をなして『ある』と成り、とは、いいこと言うよね。さすが長生き!」


「あんた、斬りつけるわよ」


鋭い視線が彼を睨みつける。彼と付き合ってから年齢には過敏なお年頃なのだ。容姿はあの頃とは一切変わってないけれども・・・。


「怖い怖い、さぁ、帰ろう。お腹空いてきた」


「今日は鍋だよ」


「お、それは楽しみだね」


夕闇は少ない薄暗さを残すのみとなり、あたりに夜の帳がしっかりと下りていく。木枯らしが再びあたりを吹き抜けると、近くの柳の木が葉を揺らして怪しい音を立てる。


それを聞いた彼がふと口を開いた。


「あ、そうだ。久しぶりに怪異が見たいね」


「ばか」


顔を赤らめてそう言った彼女は、街路灯の灯る電柱の下で立ち止まった。


黒髪のロングヘアーに赤いコート、赤いハンドバック、片手には噂と違う買い物袋。


「ねぇ、あなた」


「なに?」


彼は優しい笑みを浮かべながら、噂の通りに振り返る。


「あたし、きれい」


そう言って彼女は顔を赤らめながらマスクを取った。

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