第53話

指先がひたすら冷たく、喉が渇いている。

レイニー・オプシスは昼間とはまた違う緊張でいっぱいだった。


前夜舞踏会の最後に入場するレイニーは今重厚感のある扉の前にロイのエスコートで立っている。

これがロイと初めて公の場で2人で入場する最初の1歩だと思うと地面が揺れていると勘違いするかのように震えた。

そんなレイニーにロイもさすがに気が付かない訳がなく声をかけてくれる。

「レイニー、大丈夫?顔色が悪いけど…」

「だ、大丈夫です…うん、大丈夫です」

自分に言い聞かせるようにレイニーは大丈夫だと繰り返した。

何とかしないとと深呼吸をすると左手の指輪が目に入った。

昼に行った婚約式で新婦になる令嬢に贈られる指輪が照明と反射して光っていた。

引き寄せられるように指輪を見つめて、大丈夫、大丈夫、私は明日からはこの人の妻になるんだからしっかりするのよと心の中でレイニーは唱える。

「ロイ第2皇子殿下並びに婚約者のレイニー・オプシス伯爵令嬢のご到着です!!」

いよいよ引き返せないとところまで来てレイニーは目の前のことで頭がいっぱいいっぱいになってきた。

するとふと、レイニーの視線にロイの手が被さった。

一瞬なんだか分からなかったがロイがレイニーの目を覆っている。

「ロイ…殿下…?」

レイニーが聞き返すとロイは優しい声音で答えた。

「大丈夫、ここから先は君と僕を見てる人なんて誰もいない。この中にいるのはみーんなクッキーだと思えばいいよ」

そう言われてレイニーは思わずふっと笑ってしまった。

…だってクッキー!

こういう時は普通かぼちゃとか適当な野菜を言うものだと思ってたのに!

レイニーの好きな菓子を選ぶ当たりロイの可愛らしい人柄が見える。

笑うレイニーにロイがどんな反応をしているのか見えないが想像できた。

レイニーはロイの覆ってくれていた手を取って握ってからふわっと笑みを見せた。

「はい、きっと美味しいクッキーが沢山ですわね」

そう答えてからロイが少々停止したかと思った隙に扉が開いてしまったのでロイとレイニーはいよいよ入場した。


ロイと歩幅を合わせて入場するのはこれが初めてでこの先の人生は彼とだけ歩くだろう。

そう思いながらレイニーは興味津々の瞳で噂しながら見てくる周りをクッキーだと思ってただ、一点だけに視線を固定した。

ここまでどうにか転ばずに歩きたいところ、それは義理の両親となる方々と義理の兄弟姉妹となる方々が座られている皇族の席までそこだけに集中した。

何とか無事にたどり着いて挨拶をする。

「皇帝、皇后両陛下、皇太子、皇太子妃両殿下に第2皇子ロイ・ソルセルリー・フェンガリと婚約者レイニー・オプシスがご挨拶申し上げます」

ロイが2人を代表して挨拶をし、レイニーは皇室で習った通り完璧なカーテシーを披露した。

今日のためにソフィアが時間を割いただけあってレイニーに良く似合うドレスがカーテシーと共に目を引く。

「明日には夫婦となり一家の家長となる第2皇子、そして我々の家族となるオプシス伯爵令嬢が挨拶に来てくれて誠に嬉しく感じる。全ての帝国民に告ぐ、明日の第2皇子とオプシス伯爵令嬢の結婚式に伴い皇宮から民へ祝いの食事を振る舞うことにする!」

伝統的なこの宣言に貴族たちが惜しみない拍手を送る。

これがこの前夜舞踏会の始まりを告げる言葉なのだ。

レイニーがロイと共に貴族にも礼をし、顔を上げる。

2人が顔を見合せた時自然にお互い笑みが漏れて非常に美しかったのを貴族たちは見ていた。


「オプシス伯爵令嬢、お疲れ様」

ロイが少し離席している間にソフィアがレイニーに声をかけてくれた。

すっとレイニーは挨拶をする。

「皇太子妃様、滅相もございませんわ」

ふふっとソフィアが笑って答えた。

「他人行儀で寂しいけれど今日は仕方がないですね、次にお茶した時にでもいつものように会話したいですわ」

つまりこれはソフィアがレイニーをお茶に招待すると言っていた。

「楽しみにご招待を待っております」

レイニーも笑顔で答える。

するとソフィアがいたからか貴婦人たちが2人のそばにやってきた。

「皇太子妃様、ご挨拶申し上げます。オプシス伯爵令嬢ご機嫌よう」

数人の夫人たちは同じように挨拶をする。

明日まではまだレイニーは正式にロイと結婚した訳では無いのでこの挨拶で正しいがこれは嫌味がこもっていることにレイニーもすぐに気がついた。

そして言われることはすぐに分かった。

「こんな席にもお母様でいらっしゃるオプシス伯爵は来られないのねぇ」

「娘である令嬢より男がお好きな方ですもの…あら、失礼」

母がここに来ていない時点でレイニーにこのチクチクとした嫌味が向けられることが分かっていた。

彼女たちの夫はきっと人生のどこかのタイミングで母と不倫関係にあったり、結婚前に遊んでいたんだろう。

まったく…頭が痛くなる。

いつも言われるからなんてことないがソフィアにこれを聞かせるのが申し訳なくて仕方がない。

「ご婦人方…さすがに」

しかし嫌味に限度がなくあまりに酷くなるのでこうしてソフィアが注意しようとした時だった。


「オルシア侯爵夫人、アゼル伯爵夫人、メローリア伯爵夫人」

彼女達の名前を呼んで割り込んできたのはロイだった。

笑顔を向けているが怒っているのかゾッとする笑みだった。

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