第52話

カイロス・ウィル・ウォール。

その名はソフィアとロイを除いて両親より多くルイの日誌に登場する名前だった。


「…殿下?聞いてます?殿下?」

ルイは目の前で手を振られてようやくウォンが呼んでいることに気がついた。

「あ、ああ…」

それでも心ここに在らずといった返事しか返せない。

先程ソフィアと座っている時とはまた違う理由でルイの意識は逸れていた。

理由は…ソフィアと一緒にカイロスが居たからだ。


カイロスはルイが過去に戻ってきてから唯一幼馴染の中でまだまともに話していない人物だった。

そしてルイを過去に送った張本人でもある。

最初こそカイロスが魔法を失敗でもしたかと思ったけれどすぐにそれはありえないと思い直した。

彼は後に神が帝国に送った男と呼ばれる程優れた魔法使いとして成長する。

そんな彼が失敗や間違いはしないだろう。

ではなぜ彼は過去にルイを送ったのか。

この疑問はすぐに解けた。

これはカイロスからルイへの罰だ。

もう一度やり直せる機会を与えるというような生易しいものでは無いだろう。

姉を苦しめて死に追いやった皇帝に罰を与えたのだ。

確か過去ではこの年頃くらいまでは義兄上と呼んでくれていたが今回はどうだろう…。

ルイには全く自信が無い状態だった。

好きな人の親族に会うということに緊張する貴族の令息たちを見てきて全く理解できなかったが今ならわかる。

昔は子供の頃からの付き合いだからその感覚が薄れていたけれど戻ってきた今はそうはいかなかった。

自分のした事を重々承知しているこの状態で会うというのは余計に緊張が止まらなかった。


ウォンとの話を何とか終えてルイはソフィアの元に戻ろうとするが一歩踏み出す度にドクンドクンと心臓が破裂するのではと言うくらい音を立てる。

「殿下?顔色が…」

ふと視線をあげるともうソフィアの元までたどり着いていてルイの緊張で強ばった表情を心配していた。

ソフィアを見るなりルイはふっと笑みを見せる自分がいかに単純かと思う。

突然ルイがソフィアに微笑んだからかソフィアが不思議そうに微笑み返して言った。

「どうなさったんですか。カイロスが殿下にもご挨拶をしたいと言って聞かないのでお待ちしておりましたわ」

カイロスの手前なのでルイのことを殿下と呼ぶのが少し寂しい。さっきからも貴族の前では品位を保って殿下と呼ばれているのでルイと呼ばれるのがもう恋しかった。

「じゃあカイロスをかなり待たせてしまったんではないか?」

ルイはソフィアの隣の席に座るために移動しながらカイロスに尋ねた。

心臓の音が異常だが何とか普通の振りをする。

「いいえ、とんでもございません。皇太子殿下と皇太子妃様にご挨拶をするのは当然のことですから。それにソフィアと義兄上の仲睦まじい姿を遠目から見ていたら待たずにはいられませんでした」

「やだ、ちょっと!カイロス、ここは公式の場なのに殿下を義兄上だなんて」

ソフィアが姉の顔をしてカイロスを注意したあときょろきょろして周囲を伺ったり、カイロスが弟の顔をしてふんとそんなソフィアを見ているのを見つつルイは胸いっぱいに安心が広がっていた。

とりあえず今のカイロスのルイに対する心証は悪くないらしい。

過去でカイロスがルイに対してソフィアとの関係の修復を完全に諦めた頃に義兄上と呼ばなくなったのをルイも承知していたから確信できた。

そうしてようやく落ち着くと隣で小言を言う姉の言葉を全て聞いていない弟というウォール双子のやり取りが面白くなった。

ついククッと笑みを漏らすと2人の視線が一度にルイに集中する。

やはり双子なんだな。

「殿下、なんで笑うんですか?私はちゃんと弟に注意してただけですわ」

「姉上があんまりに細かいから殿下も呆れていらっしゃるのでは」

ぷくっと頬を膨らますソフィアに全く心のこもらない姉上という言葉を発するカイロスにルイは笑いが止まらない。

「本当に…っ仲がいいな、お前たち」

お腹を抱えて肩で呼吸しながら言うルイに困り顔を浮かべるソフィアを見て笑うカイロスが余計にソフィアを怒らせる。

なんてやり取りをしていた3人は分かっていなかったが気がつくと会場中の視線を集めていた。


「本当に…懐かしい光景ですね」

「何時ぶりでしょうか、こんな光景にこの後ロイ殿下の前夜舞踏会だなんて…なんだか感慨深いものだ」

「皇室とウォール公爵家はやはり関係が良好なのですわね」

「皇太子夫妻も相変わらず仲睦まじいようですしロイ殿下もご結婚なさるし、カイロス公子はどなたかいるのだろうか?うちの娘は…」

なんて会話が聞こえてきて3人はおっと、とようやく周りを見た。

とりあえず貴族たちに悪い印象を与えた訳ではなさそうなので3人とも胸を撫で下ろす。

そんな時に会場の扉の方からお知らせの声が響き渡った。

「ロイ第2皇子殿下並びに婚約者のレイニー・オプシス伯爵令嬢のご到着です!!」

いよいよこの舞踏会の主役がやってきた知らせだった。

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