第36話
「どうしよう…まさか本当になるなんて」
雨がしとしとと降る中、レイニーは深いため息をついた。
先日、ロイ・ソルセルリー・フェンガリ公爵とレイニー・オプシス伯爵令嬢の婚約が確定した。
もうすぐ建国のパーティーだがそこで婚約と結婚を発表する予定だそうだ。
レイニーはそのことについて憂鬱でため息が出てしまう。
本来レイニーはまだ縁談を望んでいなかった。
レイニーが知らぬ間に母親が勝手に皇室の婚約者候補にレイニーの名を挙げてしまったのだ。
レイニーと母親の仲は良好とは口が裂けても言えないくらい険悪だ。
オプシス伯爵家の家督を継いだ母はとても自由奔放な女性で男癖が良くなかった。実際レイニーの父親も不明だ。
愛人が何人いるかも分からないし家に帰っても来ない。レイニーは結果的に祖母に育ててもらうことになるのだが母が一際若いいちばん遊び盛りの頃にレイニーを妊娠してしまったのでレイニーは母から自由を奪われたととても恨まれていた。
今回も勝手に皇室の婚約者候補にレイニーを入れたことにレイニーがささやかだが抵抗した。
すると母がいつもの呪いの言葉を言うのである。
最初は静かにだんだん激しくなる怒声で。
「レイニー?レイニー、可愛い可愛いレイニー。お前のこの艶やかな髪は誰から貰ったの?お前のその美しい瞳は誰から貰ったの?お前のその華やかな顔立ちは誰から貰ったものなの?知っているわよね?全てレイニー、お前が私から奪ったものだということを!!」
そうやってじりじりと追い詰められるとレイニーの喉は途端に言葉が出なくなる。
母の綺麗な顔で呪われると恐怖で背筋が凍る。
結局言いなりになってしまった。
オプシス伯爵家自体は異父弟が継ぐのでレイニーがいなくてもなんとかなる。
いずれやってくる縁談だがこんな大きな話だと思っていなかった。普通の縁談より数百倍覚悟がいる。
もしいい条件でも同じ伯爵家くらいだと思っていたのに皇室だなんて。
更に最悪なのがロイ皇子にいい印象が持てなかったことだ。
レイニーは昔から勘がとてもいい。
それはオプシス伯爵家が何代か前に縁を結んだ婚家の魔法使いの血を継いでいるからだ。魔力はないが勘の良さが残った。
だから彼を含めた皇室の面々と行う最終面接とも言えるティータイムで分かってしまった。彼は皇太子妃に好意を寄せている。
それでも他の女性と婚姻しようとするなんてと思わず顔を顰めてしまった。
レイニーは気がついたからいいけれど他のふたりの令嬢にとても不誠実だと思った。
だからあまり良い印象が無い。
長らく留学していたから噂程度だったが穏やかで優しい性格だということは知っていた。
オプシス家はロイ皇子の留学先の国との貿易の権利がある伯爵家だから噂話が入ってくるのが早かった。
確かに噂通りその通りの優しい方のようだが皇太子と皇太子妃の仲睦まじい姿に嬉しそうな寂しそうな様子を見ていたら嫌でもこの縁談の意味を悟ってしまう。
ただそれでも伯爵家が皇室との縁談を断れる訳でもないし結局レイニーが自分の気持ちに折り合いを付けるきっかけになったのは皇太子妃のおかげだった。
皇后と散歩を終えると皇太子妃が話そうと誘ってくれた。
皇太子妃であるソフィア・ウィル・ウォール公爵令嬢はフェンガリ帝国で知らない人間は居ない。
高嶺の花で最も美しい令嬢。
ソフィアに関する噂は幾多もある。
お高くとまっているとか、実はそんなことなく慈悲深いとか。ソフィアは気にしていないようだが色々と出回っている。
だがそんな噂も吹き飛ぶほどに至近距離でソフィアに微笑まれると美しくて驚いた。
そして想像していたよりもずっと気さくだった。
「歩き疲れるわよね、あそこに座っておしゃべりしましょう」
ソフィアが指さした先には大きな木の下の木陰に丁度よく設置されたベンチだった。
「こんなに丁度いい場所にベンチがあるんですね」
レイニーが少し不思議そうに言う。ソフィアと腰掛けるとソフィアがふふふと笑って言う。
「これはね、ルイ殿下と私と幼馴染たちと作って置いたものなの。ここにベンチがあったらいいのにねって」
その幼馴染とはきっと次期宰相殿と皇太子殿下の騎士殿だろうと思いながらレイニーも微笑んでそうなのですねと答えた。
「ああ、コルセットって窮屈じゃない?私苦手なのよね」
ソフィアがいたずらっ子のようにお腹を抱えながら言う。
皇太子妃様らしからぬ発言にレイニーが笑ってしまった。親近感が湧いた。
「私も苦手ですわ。でも皇太子妃様はとても華奢でいらっしゃられるのにコルセットをされるんですか?」
純粋に疑問を感じた。見たところ手首だけでも華奢なのが分かる。
それにソフィアが答える。
「一応公式の場では。ルイはもっと太れと言うんだけど」
苦笑しながらはっとしてあら、と口を抑えた。
殿下のことを愛称で呼んでしまったのでそうしたらしい。
「どうぞ気楽に話してください。私はただの伯爵家の娘に過ぎませんわ」
噂なんて関係ないくらいに愛らしい魅力の皇太子妃様ともっと話してみたくなってレイニーは微笑んでそう答えた。
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