第29話

幸福と絶望は1度には訪れないと勝手に、そう思い込んでいた。


あなたがいつか私を1度でも見てくれればそれで構わない。もう1番は望まない。

そう心に決めていた。

ずっとずっと昔のあの日、いつものように1人で私はパーティーから抜け出した。

パートナーが居ないのをいいことに寄り付く殿方たちがあまりに多くてやっとパーティー会場を抜け出した。

仮面舞踏会だから顔の半分は見えないのになんで私だと分かるんだろう?

この薄紫色の瞳のせいだろうか。

こそこそと隠れていると直ぐに見つかってしまった。

ああ、あのご子息はなんてしつこいのかしら。

雪の降る聖夜に腰までの長い艶やかな髪をなびかせながらヒールで走って逃げる。

昔からよく転ぶのにこの廊下はヒールで走るには滑りやすすぎる。

皇宮の人の気配すらない渡り廊下まで来てしまった。

じりじりと追い詰められる。

「僕は君にずっと憧れていたんだよ!」

そう叫ぶご子息に心の中で返事をする。

私のどこに?

きっとあなたはこの薄紫色の瞳や私の髪色を気に入っているんでしょう。

本当は沢山の女性の中から選ばれもしないのに。

困ったな。

もう後ろの扉まで残りわずかの距離だった。

どうしよう、とりあえずあの扉の中に飛び込むしか…。そう思って振り返って全力疾走しようとしたらばふっと誰かに思い切りぶつかった。

顔から仮面が取れる。

「きゃ!…も、申し訳ありません…!」

そう言って顔を上げると薄茶の瞳がこちらを見ていた。

その瞳が一瞬私を見ると抱き寄せて言った。

突然抱きしめられて混乱する。

「貴殿は私のパートナーを何故追っているのだろうか。だいぶ約束の時間に遅刻したと思えば…」

そう言って庇ってくれていた。

どこかで聞いたことのある声。

後ろでご子息が誰だと騒いでいるのが聞こえる。

私は助けてくれとぎゅっと彼のスーツを掴んだ。

それを汲み取ってくれたのか彼は話を合わせて私を更にぎゅっと抱き寄せてご子息を追い払ってくれた。

私は抱き寄せられていて耳元を塞がれてしまったので彼がなんと言って追い払ってくれたか分からなかったけれど何故か彼の纏うこの香りに懐かしさを感じた。

あら、どこで嗅いだ香りかしら?

そう思っていると彼が私を解放して言う。

「大丈夫か?突然のこととはいえ気安く触れてしまって済まない」

はっとなって私がお礼を言った。

「いいえ、こちらこそです。助けてくださってありがとうございます!ずっと追いかけられていて困っていて…」

そうだったのかと言いながら彼は落ちた私の仮面を拾いながら自分の仮面を取った。

私はその麗しい顔に目を奪われた。

なんて、なんて綺麗な顔。

でも懐かしさを感じるのはどうしてかしら。


そして私は一目惚れというものを初めて経験した。

その人の妻になることが決まった。

私で釣り合うのかと思ったけれど嬉しくて罪悪感は二の次だった。


そんな私の甘さがあるひとりの人を殺して私を奈落の底へ突き落とした。

短い幸福に溺れて、その浮き足立った気持ちを嘲笑うかのように状況は直ぐにひっくり返った。そして一生続く絶望が押し寄せて今日も私を苦しめる。

幸福と絶望は1度には訪れないと勝手に思い込んでいた。

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