第17話

「俺たち、これからは昔みたいに一緒に遊ぼう」

ソフィアの涙を両手の親指で拭いながらルイが提案した。


「もちろん毎日ずっとって言うのはお互い政務があるから難しいけどなるべく時間を合わせて。どう?」

そうルイが言う。それにソフィアが少し考えて答える。

「…うん。楽しそう」

そう言ってから彼女は嬉しそうに柔らかく微笑んだ。今日も涙を流してしまったが今日の涙は受け止めるべき人が受け止めたようだった。

「何かしたい事ある?」

「そうね…昔何していたかしら」

2人の時間はようやく動き出して歩み寄り始めた。

その2人のやり取りを背中で聞いていたロイは静かに音を立てずにその場からそっと立ち去った。


なるべく音を立てずに歩いて。

でも部屋にも行きたくなくて結局ロイは行き場を失った。

どうしようかと考えていると月があまりにも綺麗だから夜の散歩を兼ねて庭園に向かった。

綺麗な月を見るとソフィアを思い出す。

綺麗な宝石を見ると、ドレスを見ると、花を見ると、いちばんにソフィアをロイは思い出した。

特に月はソフィアをよく思い出させた。

ソフィアがよく1人で夜の散歩をしていたから。

兄にいきなり遠ざけられてどうしたらいいのかずっとこの数年苦しんでは1人でここで泣いていた。

ソフィアが特に月が好きという訳では無いけれどいつもひとりで静かに泣くソフィアの傍には月がいた。だから思い出すんだろう。

そしてソフィアがどんなドレスより宝石より喜んで大切にしているのがムーンストーンのネックレスだからだ。何時いかなる時も肌身離さず身につけている、ソフィアの宝物。長年ペアの片割れが不在だったあのネックレスはもうきっと別れることは無いと思った。

今日からはちゃんと兄がソフィアの涙をまた昔のように受け止めてくれる。

安心した。

2人がまた仲良くしてくれて嬉しくなった。

昔も転んで泣くソフィアの涙を拭いてやりながら手当してやるのも、宿題が全然進まなくて泣くソフィアの涙を拭いながら手伝ってやるのも兄の役目だったから。昔はこんな小さな事ばかりだったけどきっとこれからはもっと違う涙も増えるだろう。でも兄がいればきっと心配無用だ。

…だけどその感情がよりロイの心を苦しくさせた。

ソフィアのあの微笑みも涙も全部全部兄にしか向いていない。兄という存在を通さなければ絶対に他人は見ることも叶わない表情なのだ、昔からこれも変わらない。

だからソフィアの全ての表情を独り占めしている癖にその事にも気が付かずソフィア傷つける兄が時々羨ましくて妬ましくて憎くなる。

また同時にそんな自分もロイは嫌だった。

だから良かったんだと自分に言い聞かせる。

これからは兄がソフィアを傷つける事は起こらないのだから、自分も兄に嫌悪感を抱かなくて済むのだから。

そう思う。

思うのに嫌悪感では無い、何かがロイの心の中を埋めつくした。

どこにも持っていけないこの気持ちの片付け方が分からない。その事がロイに途方もなさを感じさせて思わず空を見上げてしまう。

溜息から少しずつ出ていってくれないだろうか。そして消えてくれないか。

これ以上二人の間に波を立てたくない。

ロイのこの感情は不要なものだ。

余計な事をするな。どの道態度を改めた兄に敵うはずもない。元々努力家で優秀な人だから。たまたま隙が1ミリあったところでさえたった今埋まったんだから。

そう思いつつ長年降り積もったせいで消えないこの感情にロイも困り果てて頭を抱えてしゃがみ込んだ。


ルイはソフィアを部屋に送り届けるために一緒に歩いていた。

ソフィアはさっきのルイの提案に何をしたいか考えながら歩いている。

「ソフィア、考え事をしてると転ぶぞ?」

そう言うとソフィアがむっとこちらを見た。

「ルイ、私いま何歳だか分かってる?もう昔のように派手に転んだりは…きゃっ!!」

そう言いながらソフィアが躓いた。

ルイの瞬発力が働いたおかげでソフィアはキャッチされて転ばずに済んだ。

「ソフィア、大丈夫?」

ルイは咄嗟に腰を掴んだのでソフィアの顔が見えなかった。抱き抱えられたまま返事がないので心配なってソフィアの顔を覗き込もうとするとソフィアが焦って声を発する。

「い、今見ないで!恥ずかしいから!今言ったばかりで転ぶなんて…!」

ソフィアがルイからぱっと離れてしゃがみ込んで顔を見られないように覆う。

ルイは何だか懐かしい光景だと思いながらソフィアと同じようにしゃがみ込んだ。

すると悪い癖でソフィアをからかいたくなった。

「耳も隠さなくていいのか?真っ赤だけど?」

するとその言葉にソフィアがぱっと振り返って言う。顔が真っ赤でぷるぷる恥ずかしさに震えながら抗議した。

「どうしてそういう意地悪を昔から言うの!」

するとルイがすかさず返事をした。

「でも昔のようにちゃんと掴まえた」

ルイは左手で頬杖を着いて首を傾げながらソフィアを何食わぬ顔で見つめる。涼しい顔をするルイのその言葉を聞いてソフィアがもごもごと言う。

「それは…!そうだけど…」

そう言いながらもブツブツ言うソフィアを見てルイは本当に昔に戻ったように錯覚した。

本当に本当に昔。出会って2〜3年の頃。

まだまだ幼くて遊び盛りで思春期で。

いつも一緒にいるのが当たり前だった頃。

もう二度と戻れない頃…ルイがその思い出すらぶち壊した頃…。

ルイがそんなことを思いながらソフィアの顔をどんな風に見つめていたのか分からないけれどソフィアが言った。

「どうしてそんなに寂しげに笑うの?」

その言葉にはっとしてルイはソフィアを見た。

こちらを見るソフィアの瞳は全てを見透かしているようでルイは急に焦りを感じた。

バレたらまずい。そう思った。

「さ、夜も更けてきたし早く部屋に送るから行こう」

そう言ってえ?と戸惑うソフィアの話をはぐらかしてルイは立ち上がろうとした。これが失敗だった。


ルイはすこーん!と転んだ。

足が痺れてずるっと思い切り滑って転んだのでさっきソフィアをからかったのにと格好つかない状態になった。ルイが何が何だか状況を把握出来なくてえ?となっているとソフィアがぷっと笑い始めた。

「やだ、ルイも転んだじゃない!ふふふ!人のこと言えないわ!あはは!」

そう言ってソフィアが楽しそうに笑う。

笑われてルイは一瞬恥ずかしくなったけれどソフィアが思い切り笑っているのが嬉しくてルイも笑い出してしまった。

「この滑りやすい床が悪いんだって、ははは!」

「それは一理あるわ、ふふふふ」

そう言い合って久々に皇宮に皇太子と皇太子妃の笑い声が響いた。


その夜からルイは部屋に帰ってあることを始めた。

それは日誌を書くこと。

ソフィアが自分に残した手紙の内容と今日自分のできた事を見開きで書き綴っていく日誌。

手紙の内容はその日の晩に徹夜して全て覚えた分ほとんどを書ききった。

こうして少しずつソフィアに罪を償ってソフィアを自分から逃がして自分は消えよう。

そう思いながら書いた。

日誌の名は誰にも気が付かれないところに書いておく。この気持ちを忘れない為に。

日誌のタイトルは決まっていた。

『ある皇帝の反省日誌』

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