第33話 公務終了


「リリィ様。また来て下さいね」


「ええ。もちろんですわ」


 伯爵邸に一泊した後、午前中に黄金小麦の畑を見学し終えたリリィは、昼食を摂った後に王都へ帰還する事となった。


 屋敷の前で挨拶を交わすのはニーナだ。すっかり仲良しになった二人は満面の笑みで別れを告げた。


「メディナ殿、道中お気をつけて」


「ええ。ありがとうございます」


 メディナは伯爵と握手を交わすと馬車の御者台に座った。


「それではごきげんようー!」


「リリィ様ー! また来て下さいねー!」


 キャビンの窓から上半身を出し、手を振る彼女にニーナは大声で応えながら手を振り続けた。伯爵は深く頭を垂れ、屋敷の使用人達もお辞儀してリリィを見送る。


 リリィを乗せた馬車が門を出て、坂道を下って行くとニーナは父親に振り返った。


「さぁ、お父様! 新作を考えましょう!」


 やる気に満ちた顔でそう言った娘の顔は、伯爵にとって少し眩しかっただろう。だが、数日前よりもずっと良い顔だ。希望に満ち溢れた良い顔をしている。


「ああ。そうだな。さっそく取り掛かろう」



-----



 リリィを乗せた馬車は本日中に集積場へと到達する予定だ。


 コトコトと車輪を鳴らしながら長閑な街道を向かう馬車の中からは、ご機嫌なリリィの鼻歌が聞こえてくる。


「ふんふーん♪ ふふーん♪」


 彼女はアンコから受け取った紙にペンを走らせる。書かれた内容はザイード伯爵領で食べた料理に関する事であった。


「ホワイトブレットはパンの革命ですわ。ジゾ村のジゾイチゴも絶品でしたわね。ファム村のカウミルクとチーズも。シチューも最高でしたわ」


 清書は王城でする気なのだろう。リリィは箇条書きで食べた物の名前を記入して、横に小さな絵を描いていく。


「デザートの類は真剣に書かなくてはなりませんわね」


 中でも特に力を入れて書いているのはデザート系だ。カウミルクホイップクリームから始まり、ポカポカ小麦ホットケーキ、ジゾイチゴを加えた旬の果物達。


 もちろん、黄金小麦で作られたお菓子も忘れない。ザイード家の屋敷で食べたデザートも全て丁寧に書き込んだ。


「凄く充実していますね」


「ええ」


 横から紙を覗き込んでいたユンにリリィは笑顔で返す。


「今日はまだ領内での宿泊でしたわよね?」


「はい」


 リリィの問いかけにアンコが答える。


「では、最後にまたシチューが食べたいですわ」


「宿に申し付けておきます」


 相変わらずスムーズな受け答えだ。その受け答えが終わった瞬間、リリィのお腹がきゅるると鳴った。


「おやつの時間ですわね」


 体内時計――ではなく、リリィの腹時計は非常に正確であった。握っていたペンを置いて、彼女は完全に三時のおやつモードになるが……。


「アンコ?」


 一向にお菓子が登場しない。不思議に思ったリリィが真顔のまま控えるアンコの名を呼ぶと、彼女は首を振った。


「しばらく、おやつは抜きです」


「ひょえ!?」


 リリィは大きく仰け反った。そして、顔を驚きで染め上げる。後頭部がキャビンの壁に当たっても気にしないくらいには驚いていた。


「ど、ど、ど、どうしてですの!?」


「食べ過ぎです。ザイード伯爵閣下の屋敷にて、ずっとお菓子を食べておりました」


 アンコの言葉は真実だ。


 リリィはザイード伯爵邸の食事会でデザートを食べて、お風呂の後にニーナとお茶を飲みながらクッキーをパクパクして就寝。


 翌日の朝も朝食を摂った後にハチミツと果物たっぷりの甘いヨーグルトをペロリ。昼食にもケーキを二つも食べた。


 一応は黄金小麦の出来栄えを確認する公務の一環である事、加えて伯爵家からの詫びと贖罪を兼ねていたから、アンコもその場では止めなかった。


 しかし、もう公務は終わりだ。


 リリィの体調管理も行うアンコとしては当然の判断である。


「宿の夕食でもデザートは出るでしょう。宿の従業員が出してくれた物は宿側の善意であるのでお止め致しません。しかし、移動中や三時のおやつはしばらく禁止です」


「し、しばらくとは?」


「正確には一週間のおやつ禁止です」


 ドカーン、とリリィに雷が落ちた! 


 彼女は口を開けたまま固まってしまい、キャビン内にあった簡易テーブルからはポロリとペンが転げ落ちた。


 公務だからといった理由で美味しい物が食べられる。好きなだけお菓子や甘い物が食べられる。彼女の考えは確かに現実となったが、代償もまた大きかった。


「悪夢ですわ……」


 これより一週間、リリィにとって我慢の日々が続きそうだ。



-----


 

 リリィ達が王城を目指して向かっている頃、一足早く王城で到着したのはメディナが放った早馬であった。


 伯爵邸のある街に潜伏する鴉に接触した彼女は、伯爵邸での出来事を報告書として纏めた手紙を持たせて王城へ届けるよう命じたのだ。


 報告書は宰相と王へ届けられ、王の手によって開けられる。


 中身を読む王の眉間には皺が寄っていて、全てを読み終えると横に控えていた宰相へ無言で手渡した。手渡された宰相サンドマンも中身を読み終えると……小さく首を振る。


「……我々の予想はある程度当たっておりましたが、まさか黄金小麦の方でしたか。エルフの国にもちょっかいを掛けているようなので、第一を狙うのかと思っておりましたが」


「うむ」


 彼等の言う「第一」とは北の食糧生産地の事だろう。北の領地はエルフの国に近く、数キロ先に国境が敷かれた土地である。


 最近になってエルフの国から「アジャダブ王国の不法侵入アリ」という情報が寄せられていた。そこから推測して、アジャダブ王国はまず最初に北の領地を取りに行くのだと考えていたようだが。


「ポカポカ小麦は国内で育たないと見て、品種改良された黄金小麦に活路を見出したのでしょうか?」


「……いや、無いな。あの土地は呪いの地だ。どれだけ足掻こうが、あの土地にろくな作物は育たぬ。それに、奴等は略奪民族だ。奪う事しか知らぬわ」


 そもそも、純粋なアジャダブ人は国内の食糧生産事情を改善しよう、などと殊勝な事はするはずもない。自分達から率先して何かを生み出そうなどという考えをアジャダブ人は持ち合わせているはずがない。


 だからこそ、彼等は奴隷を使っているのだ。純粋なアジャダブ人は奪う事しか能がなく、国内の労働力には下級民と奴隷に任せている。


 奴隷とした人間を使い捨て、他人が生み出した物を奪って繁栄し続ける。それがアジャダブ人という人種であると、アーノルドは言い切った。


「では、別動隊ですか」


「その可能性が高い」


 なるほど、とサンドマンは頷いてから言葉を続けた。


「しかし、またもやリリィ様が遭遇するとは……」


 王都近郊の件に続き二件目だ。その件について、アーノルドは「フッ」と小さな笑い声を零した。 


「強き者の宿命だ」


「宿命、にございますか?」


「うむ。強き者は試練を引き寄せる。自ら高みへと向かう為にな」


 アーノルドにも身に覚えがあるような言い方だった。彼も若い頃に同じような経験をしたのかもしれない。


「ザイード伯爵の件、如何なさいましょうか? 既にリリィ様が判断を下していますが、も国外からも狙われるとは少々不憫に思えます」


「今はそのままでよい。仕組まれたとはいえ、裏切りは本人の意思である。この国で尊重されるのは強さだ。奴には強さが足りなかった」


 アーノルドの理想としては、本人が行動して自ら良き方向へ舵を執るべきだったと思っているのだろう。伯爵領の件には何やら裏の動きがあるようだが、少なくとも彼は王族へ直接会話を求めなかった。


「よって、本人に真実は伝えぬ。だが、時期が来れば恩赦を与えて相殺としよう。それにリリィの代で伯爵の娘が功績を挙げれば良い。だが、監視は怠るな」


 今はリリィの意思を尊重しつつ、様子見を取るようだ。しかし、再び裏切るようであれば容赦はしないだろう。というよりも、可愛い娘が下した慈悲を裏切る者など自らの手で消滅させそうである。


「かしこまりました。付随する動きについては如何致しましょう?」


「まだ動くな。例の計画に利用する。ただ、国民に被害は出すな」


「承知しております。では、王妃様が戻り次第、詳細を詰めましょう」


「うむ」

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王女様「このゴムみてぇな肉はなんですの!?」 とうもろこし@灰色のアッシュ書籍化 @morokosi07

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