第32話 後悔と決意
食事会を終えて夜になると、ザイード伯爵の客間にはメディナと伯爵の姿があった。
対面になって座る二人であったが、ドアの近くにはメイドが一人控えている。これはまだ未婚女性であるメディナと個室で二人きりになるのは申し訳ない、そう配慮した伯爵の考えだろう。
「ザイード伯爵閣下。昼間では荒い言葉遣いをしてしまい、申し訳ありませんでした」
まず最初に謝罪を口にしたのはメディナだった。彼女は王族を守る近衛騎士といっても、爵位は騎士爵しか持たぬ人間だ。身分としては男爵相当であり、伯爵と比べたら身分は下の下である。
「いや、どうかお気にせず。全面的に私に非があるのだから」
対するザイードは謝罪しながら頭を下げた。
「私は本当に浅はかだったと今になってとても後悔している」
それはリリィと対面して、彼女の人柄を知ったからだろう。もっと早く出会っていれば、彼がアジャダブ人の甘言に耳を傾ける事も無かったかもしれない。
「あの御方はまさしく王族だな」
「はい。私も救って頂いた身にございます」
そう言って微笑むメディナにザイードは「そうだったか」と優しく笑った。
「――しかし、私には陛下へ全てを報告する義務がございます。どうか此度の件、詳しくお聞かせ願えませんでしょうか」
「勿論だ。全て話そう」
と言っても、娘がほとんど話してくれたがとザイード伯爵は力無く笑う。
彼はザイード家の状況を交えつつ、裏庭で語った事を繰り返し話し出した。アジャダブ人だった男との出会いから今までの事を話し終えた後、彼はアジャダブ人が描いていたであろう展望を推測して語る。
「アジャダブ王国の悲願とは、肥沃な大地を持つヴェルトリアン王国の掌握だ。これは分かるだろう?」
アジャダブ王国はヴェルトリアン王国の東に位置する国であるが、国境を越えた東には荒れた山岳地帯が広がっている。
山には緑は少なく、ほとんどが黄土色の荒れた山々が集う場所である。更には底の見えぬ谷もあって、山の間を吹き抜ける冷たい風の勢いも強い。
緑溢れたヴェルトリアン王国とは真逆の厳しい生活環境。加えて、獰猛な魔獣が多数出没する事から人が住むには適していないと評価される土地である。
「アジャダブ王国がヴェルトリアンの土地を欲しがる理由は、食糧生産に適した土地が欲しいのだろう」
厳しい山岳地帯にあるアジャダブ王国では作物が上手く育たなかった。土地が痩せているからなのか、それとも別の理由があるのかは定かではないが、とにかくアジャダブ王国の土地では小麦が育たなかったのである。
辛うじて育つのは芋だ。小ぶりであるが実をいくつもつける芋を育て、それを主食としているのがアジャダブ人の食糧事情であった。
最初はそれでも良かったのかもしれない。だが、彼等は
それが、たまらなく我慢できなくなったのだ。欲しくて欲しくてたまらない。奪いたくてたまらない。それがアジャダブ王国というもの。
「……自らが努力すれば良いものを」
「あの国は基本的に他者から奪う事で出来上がった国だ。理解できぬが、それが彼等にとっての常識なのだよ」
アジャダブ王国の歴史は略奪や侵略の繰り返しで積み重なってきた。
建国に至った理由も現在の王族である部族が他の部族を侵略して、雪だるま式に大きなっていったからだ。
強き者は享受するのみ。弱者は搾取されるのみ。これがアジャダブ王国の基本理念である。少しヴェルトリアン王国の理念に似ているのは、同じ大陸に住む故だろうか。
「まぁ、ともかくだ。アジャダブ王国の王族はヴェルトリアン王国を侵略して土地を得たい。侵略後はヴェルトリアン人を奴隷にして働かせ、優雅な暮らしをしたいと願っているのだろう」
自分で言っていて、ザイード伯爵は顔を手で覆った。その野望に手を貸してしまった事を悔いているのだろう。
「しかし、彼等は手は出せない」
「我が王が君臨しているからですね?」
メディナの言葉に伯爵は頷いた。
「最強王アーノルド・ヴェルトリアン。過去のアジャダブ王国侵攻を四度も阻止した最強の王。さすがのアジャダブ王も
現王アーノルドよりも二代前から続くアジャダブ王国との小競り合いは、アーノルドが即位した時期より本格化した。同時期にアジャダブ王も代替わりしたせいだ。
前王よりも血気盛んだった現アジャダブ王はヴェルトリアン王国侵略に力を入れ始める。対し、四度の侵略を返り討ちにしたのはアーノルドだ。
四度も苦汁を味わった現アジャダブ王は、アーノルド率いるヴェルトリアン王国に搦め手で勝負を仕掛けてきた。
その一つが今回の件であるとザイードは語る。
「アジャダブ人はこの地を手に入れ、ヴェルトリアン王国侵略の足掛かりにしたいと言っていた。安定した食糧供給源を確保しつつ、王都から各領地を切り離そうとしていたに違いない」
対価として、アジャダブ王国で採れる大量の金をちらつかせて。
正面きって戦うのではなく、金を武器に外堀から切り崩していこうという作戦に方向転換したようだ。
「彼等は……人の心を突く術をよく知っていると感じた」
人を奴隷として扱っているせいか、人の欲望や弱みを握る事に長けている。それを利用して行動させる事にも。
「私の場合は金だった。領民の生活を安定させるのに必要な物を差し出してくるんだ。それも大量にな」
鞄にぎっしりと詰まった金には目が眩んだ。
当然だ。黄金小麦を育てて王都へ売るよりも数十倍もの金が一瞬にして手に入る。
『仕事を辞めてもらうけど、代わりに十億あげる。その後も面倒は見てあげるよ』
と言われたらどうだろう?
明らかに怪しい匂いがしていても、誰でも一瞬は悩むのではないだろうか? 本当に切羽詰まった状態の者なら頷いてしまうのではないだろうか?
「もしかして、国境から王都まで横断された事件も?」
「アジャダブ人の策略だろう。王都で捕まったとされる貴族達も金か物で誘惑されたのではないかね?」
メディナは彼の問いに頷きだけ返した。
彼女のリアクションを見たザイードは「本当に私は愚かだな」と零し、用意されていた紅茶を一口飲む。そうして一旦リセットを掛けた後に、話を続けた。
「……あとは、王女殿下の誘拐だ」
「誘拐ですか。やはり、一緒ですね」
「一緒とは?」
「以前、王都近郊にアジャダブ兵が現れました。その者達もリリィ様の誘拐を考えていたので」
こちら側に侵入したアジャダブ人の共通目的として「王女誘拐」を企てているように思える。前回も今回もリリィ自らが阻止しているが、アジャダブ人は「最強王の弱点は娘である」と睨んだのかもしれない。
「だが、ここにいた男はどうにも……。殿下の誘拐はついでのような感じであったな」
「ついで、ですか?」
「ああ。タイミングが良かったと漏らしていた。あくまでも王都から各領地を切り離すのが目的で、王女殿下誘拐は思いつきの案に見えた」
「なるほど……。しかし、リリィ様を誘拐するなど到底無理に思えますがね」
「それには同意だが、恐らくあちら側はリリィ様をただの姫と思っているのではないかね?」
その考えは納得できた。
リリィの名は王女として各国に通達されているが、まだ外国に向かう事は禁じられている。各地に足を伸ばし始めたのも最近の話であるし、食材を求めて活発に活動し始めたのも最近の出来事だ。
同盟国の賓客が参加するような国の式典にも参加するが、大人しく座っている幼い姫の姿だけ見れば「か弱いお姫様」として見るのが普通だろう。その姿のまま、噂としてアジャダブ王国に伝わったのかもしれない。
もしくは、最強王と最強王妃の間に『最強王女』が誕生したと思いたくないのか。
「どちらにせよ、アジャダブ人の失敗は本国に伝わるだろう。そうなれば、更に人員が送り込まれてくる可能性もある」
「はい。今回の件は早馬にて、王城へお伝えしたいと思っております」
メディナの言葉にザイードは頷いた後、真剣な顔を彼女に向ける。
「陛下へのご報告をなさる際、私が犯した罪は全て知らせて頂きたい。それと、どのような処罰も受けると」
「リリィ様が沙汰を下しましたが?」
「寛大な処置に感謝しているとも。だが……。それ以上に自分が自分を許せない」
本当に心の底から彼は後悔しているのだろう。
「出来る事ならば、もっと早くに殿下とお会いしたかった。だが、それすら諦めていた事も含めて私の罪だ」
王城に拒否された時点で諦めてしまった。もっと必死になって縋りつくべきであった。王家に直訴するのも躊躇わずにするべきだった。
今更になって遅いが、尽くす手が無いと諦めてしまった事。敵国の甘言に唆されてしまった自分の弱さこそが最大の罪であると彼は言う。
「承知しました。ですが、近衛騎士として、王家を間近で見る者として発言致します」
俯いていたザイードはメディナに顔を向けた。
「恐らくは陛下もリリィ様の沙汰を支持するでしょう。犯した罪は消えません。ですが、償う事はできます」
彼女は真っ直ぐザイードを見つめ、ハッキリとした声音で告げる。
「だからこそ、貴方はリリィ様の仰った通りにするべきです。領民だけじゃなく、国民全てが美味しい物を食べられるように努力なさるべきだ。それが国を裏切った者がする償いだと、私は思います」
国民全員が口にできるくらい、いっぱい作りなさい。
この一言に全てが詰まっている。
彼は国を裏切り、国民を不幸にするところだった。ならば、彼は償いとして国民に幸福を与えねばならない。
今は王族や一部の貴族しか味わえぬ高級小麦を使ったお菓子。それを全国民が口にできるとなれば喜ぶに違いない。
「そうか……。そうだな……」
ザイードは力強く頷いた後、真っ直ぐに彼女を見た。
「私の生涯を賭けて、国民全員が喜ぶ美味しい物を作ろう。君もリリィ様と共に味わってくれるかね?」
「はい。閣下、楽しみにしております」
メディナは将来訪れるであろう光景を思い描いたのか、嬉しそうに微笑んだ。
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