51.特別な日
時計の針は午後1時を回った。落ち着かないかつらは「まつり」の外に出て道路を見つめていた。店ののぼりには
10分後、ようやく墨田川の方向から
「戸祭さんたちが来ましたよ」
かつらは「まつり」の店内に呼ばわった。
「よし、お餅を入れるぞ」
「ヒロさんに持ってく分は残しといて」
「分かってるよ。一人2個でいいかな」
康史郞は餅を数えると鍋に入れ、残りは新聞紙の上に置く。その間に3人が店に到着した。戸祭が
「全部うまくいったぞ。刑事さんがヤクザたちを警察署に連れてった」
「それは良かった」
隆は安堵したが、心配そうにかつらが尋ねる。
「家は荒らされたりしてませんか」
「南京錠は壊されたが、予備の錠をつけといた」
戸祭は南京錠の鍵をカウンターの上に置いた。カイが胸を張って言う。
「それ、うちの商品だけど今日のお雑煮代にしてよ」
「アニキ、威張って言うことじゃないよ」
リュウがぼやいた。
「戸祭さんがお店と食器、
「それと
「さすが進駐軍とつながりがある人はいいの飲んでるな」
感心する戸祭に隆が答えた。
「その分働いて下さってますからね」
「早く食べないとお餅が溶けちゃうよ」
康史郞が悲鳴を上げたので、皆は我に返った。かつらがお椀とお玉を持つ。
「皆さん、お雑煮配りますよ」
お雑煮を入れたお椀と、水を入れたコップが皆に配られた。戸祭が隆に呼びかける。
「京極さん、挨拶を一つ頼む」
隆はコップを持つと立ち上がった。
「皆さんの協力で、新年会を無事開くことが出来ました。本当にありがとうございます。それと、このたび私、京極隆は横澤かつらさんと婚約いたしました。康史郞君が卒業する来年までに、家族で暮らせる新居を見つける予定です」
「皆さんには本当にお世話になりました。康史郞を一人前にすることと、ようやく出会えた新しい家族になる人を守ることが、これからの私の仕事です。これからも皆さんにご迷惑をおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願いします」
隆の隣に立つかつらが頭を下げる。皆は拍手した。
「まつり」では歓談が続いていた。男性陣はウイスキーを水割りにしたので酔いが回り始めている。
「たばこでもどうですか」
隼二が隆に勧める。
「今日は特別だからいただきます」
かつらはあわてて灰皿を出した。隆は灰皿を手元に引き寄せると礼を言う。
「ありがとう」
「もう息がぴったりだね」
戸祭マツが二人を見てうなずいた。征一がお雑煮の入ったお椀を差し出す。
「ばあちゃん、お餅小さくしといたから咽に詰まらせないでね」
「ありがとう。お雑煮なんていつ以来だろうね」
マツはゆっくりとお椀をすすっている。
「ところで、今回の逮捕作戦は京極さんが考えられたんですか」
槙代がかつらに尋ねる。
「俺も聞きたかったんだ」
康史郞にも迫られたので、かつらは説明を始めた。
「
「『金ちゃん』『隼ちゃん』って子どもの頃に帰ったみたいで楽しそうでしたよ」
槙代は微笑む。
「しっかし、今朝いきなり戸祭のおじさんが来たときにはびっくりしたよ。しかも下駄持って上がってきて。姉さんは顔色一つ変えずに奥に案内するし」
康史郞の言うのももっともだ。
「康ちゃんに黙ってたのは、万が一八馬さんが探りに来ないか警戒してたからよ。戸祭さんにはずっと私の布団の中に隠れてもらってたの。目隠しの布もあるから、じっとしてれば気づかないと思ってね」
「それでずっと待っているのは退屈だろうと思ったんで、父ちゃんに僕の借りてた漫画を貸したんだ」
征一は漫画を見ているカイとリュウを見ながら説明した。
「まあ、読んでみれば結構面白い。わしも子どもの頃は講談本を読んでお袋に叱られたもんだよ」
戸祭の感想を聞いたマツは嘆息する。
「そんなところまで父ちゃんに似なくてもいいのに」
「ま、ほどほどにな」
戸祭は征一に呼びかけるとかつらに言った。
「ところでかつらさん、もっと大切な話があるだろ」
「そうだったわね」
かつらは隆を見た。
「これからの私たちの話、康史郞にも知っておいて欲しいの」
隆はうなずく。かつらは康史郞を見つめ、ゆっくりと語り出した。
「今どんどんヤミ市が取り締まられてるの。ここもいつなくなるか分からないわ。お世話になった戸祭さんのためになんとか出来ないかと考えてね。隆さんが新しい家を見つけたら私たちは引っ越して、あの家の土地に戸祭さんのお店兼自宅を建ててもらおうと決めたの。もっとうまくいけば、今戸祭さんが住んでいる長屋に山本さんたちが引っ越せるわ。もちろんあの土地は大切だけど、今の私にとって何より大切なのは康ちゃんと隆さんが側にいることだから。ミシンもあるからどこに行っても仕事はできるわ」
康史郞はかつらの言葉を聞き、横澤家の家族写真を思いだしていた。
「姉さん、変わったね。それは京極さんのせい?」
「隆さんはもちろんそうだけど、康史郞が立派に成長しているからよ。困っている人に手をさしのべられるような人になってくれて本当に嬉しいわ」
かつらに見つめられ、康史郞は誇らしい気持ちになった。
「俺、独立したら自分のお店を持ちたいんだ。その店は、カイやリュウのような家のない子たちも働けるような場所にしたい。どうすればいいかはまだ分からないけど、これが俺の今の夢だ」
「康史郞、その夢応援するよ」
リュウの呼びかけに康史郞は振り返って答えた。
「ありがとう、リュウ」
夕方になり、新年会を終えた皆はそれぞれ帰路についた。カイとリュウはお土産用のお餅を持っている。
「ヒロさんによろしくね」
手を振る康史郞にカイとリュウも振り返した。
戸祭一家や山本夫妻と別れた後、かつらと康史郞、隆は横澤家に戻ってきた。
「心配してたけど良かったよ。壊されたのが鍵だけで」
隆は南京錠を見て安堵している。
「わざわざ来て下さってありがとうございます。
かつらが隆に呼びかけたのを見て、康史郞は言った。
「じゃ俺、先に食器の片付けしてるよ」
康史郞が台所に向かうのを見送った後、二人は厩橋に向けて歩き出した。肩を寄せ合いながら歩く二人は、厩橋のたもとで立ち止まる。
「今日は本当にありがとう。もっと一緒にいたいけど、今日はもう帰らないと」
隆が呼びかけた。顔が少し赤みを帯びている。お酒のせいか、それとも照れているのか、かつらには分からなかった。
「かつらさん」
隆が手を伸ばしてきた。そのままかつらの体を包み込む。
「隆さん」
かつらはそれしか言えず隆を見つめる。
「ごめん、近づきすぎた。もしかしたらたばこの臭いが残ってるかも知れない」
「それなら確かめてみて」
かつらは意を決して顔を上げた。隆がそっと自分の唇をかつらの唇に重ねる。数秒後、唇を離した隆にかつらはささやきかけた。
「ちょっとだけしたわ」
隆はそのまま厩橋を渡っていく。かつらは夢見心地のまま見送った。
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