50.新年会の前に

 昭和23年1月3日。正月らしく空気は寒いが、穏やかな太陽が横澤よこざわ家を照らしている。かつらはいつものように洗濯物を室内に干すと目覚まし時計を見た。針は11時を指そうとしている。かつらは留守の間火事にならないよう火鉢の炭を灰に埋めてから呼びかけた。

こうちゃん、そろそろ出かけるわよ。支度できてる?」

「うん。荷物は俺が持つよ」

 セーターの上に学生服を羽織った康史郞こうしろうはちゃぶ台の横に置かれたリュックサックを背負った。中には包丁やお椀、お雑煮用の野菜が入っている。

たかしさんがお餅を持って正午に『まつり』へ来るはずだから急ぎましょう」

 ブラウスにスカート、カーディガン姿のかつらは、翡翠ひすいの帯玉を首に掛け、紺色のコートを羽織った。このコートも学生時代から着ているもので、よく見ると火の粉がかかった小さな穴があちこちに空いている。東京大空襲の時の名残りである。玄関で靴を履こうとしたかつらは家族写真を取りあげた。

「念のため持っていこうかしら」

 写真を肩掛けカバンに入れ、康史郞が外に出たのを確認すると、かつらは室内に呼びかけてから南京錠を閉めた。

「行ってくるわね」


 「まつり」の前ではリュウとカイが待っていた。リュウは先日かつらが作ったスカートをはいている。

「明けましておめでとうございます」

 丁寧にお辞儀するリュウにかつらもお辞儀で返す。

「おめでとうございます」

「ヒロさんは来てないの?」

 康史郞の問いにカイが答える。

「元日に家に帰ってきたけど、『ヤマさんが来るかもしれないから』って残ってるんだ」

「ヤマさんのこともだけど、やっぱりみんなと会うのは迷惑がかかるから避けたいんだって」

 リュウは小声で説明した。

「そうだったの。後でお土産用意しなくちゃね」

 かつらは肩掛けカバンから南京錠の鍵を取りだした。

戸祭とまつりさんから鍵を預かってきたから、お雑煮の下ごしらえを始めましょう」


 厨房を使い、お店の鍋を使ってかつらがだしを取り始めた。野菜を切るのは康史郞とリュウの担当だ。カイはカウンターや食器を拭いている。

「ところで、戸祭さん達はいつ来るの?」

 ニンジンの皮をむきながら康史郞が尋ねる。

征一せいいち君とおばあちゃんは12時半に来る予定よ。戸祭さんは」

 かつらは目を上げた。

「まだ分からないわ。午後1時までは様子を見ることになってるの」


 時計が12時を回った頃、店の裏手からたかしが入ってきた。肩にリュックサックを引っかけている。

「お餅買ってきました」

「お疲れさま」

 ねぎらうかつらに隆はリュックサックを下ろしながら答える。

「戦友が今北千住きたせんじゅの和菓子屋に勤めててね。お餅を取り置いてもらったんだ。久し振りに会ってつい話が弾んでしまったよ。かつらさんたちは予定通り進んでるかい」

「お雑煮はばっちりよ。後は戸祭さんたちがうまくいけばいいんですけど」

「こればかりはヤマさんたちの出方次第だからな。とりあえずお餅を切り分けよう」

 隆はのし餅を取りだした。


 同時刻、横澤家の近くにトラックが横付けされた。八馬やま日下くさかが運転席から降り立ち、スコップや金槌を持った手下のヤクザが荷台に乗っている。

「ヒロの話じゃ、今頃坊主たちは両国で新年会をしてるはずだ。帰ってきたら家がなくてさぞかし驚くだろうな」

 八馬はバラックのガラス窓に近づき、中をのぞき込む。磨りガラスなので分かりにくいが、人の気配はないようだ。バラックの入口に戻ると日下に合図する。八馬は南京錠の留め金を日下が渡した金槌で叩き壊し、中に踏み込む。その時、奥の目隠し用の布が翻った。

「てめぇら、何してる!」

 かつらの布団を肩に引っかけたままの戸祭が仁王立ちしている。

「この家はわしが店を建てるために買ったんだ。グズグズしてると警察呼ぶぞ」

 予想外の出迎えに一瞬たじろいだ八馬だが、すぐに金槌を握り直す。

「うるせえ、おやじ一人で俺たちに叶うもんか」

 そこに別の声が割り込んだ。

「警察だ! そこを動くな」

 同時に日下達の周りを数人の男が取り囲む。指揮を執るのは新田にった刑事だ。

「やれやれ。折角幼なじみと新年の酒を飲もうと思ったのに、一仕事してからだな」


 新田の部下達が八馬と日下達を拘束し、トラックで警察署へ連れて行く。新田は戸祭と隣家の山本やまもと夫妻に敬礼した。

「ご協力感謝します」

「いえ、こちらこそ。また今度ゆっくり酒でも飲みましょう」

 笑顔で答える山本隼二やまもとしゅんじに妻の槙代まきよが呼びかける。

「あなた、そろそろ1時よ。急がないと」

「お、そうだな。とりあえずこれをつけとこう」

 戸祭はカイからもらった予備の南京錠を取りだした。

「さ、お雑煮が待ってるぞ」

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