48.毛糸の湯のし

 11月30日。横澤よこざわ家では朝からかつらと康史郞こうしろうが客を迎える準備をしていた。

「姉さん、火鉢持ってきたよ」

 セーターに羊太郎ようたろうの軍服ズボンをはいた康史郞が玄関先に陶器の火鉢を置く。使わない時は倉庫代わりにしている防空壕の中に入れているのだ。

「ありがとう。ミシンを運ぶ邪魔になるから窓の側に持ってきて」

 布団を奥に寄せながらもんぺ姿のかつらが答えた。窓は換気のために少し上げてある。

「火鉢が出るといよいよ冬本番って感じね」

 しみじみとつぶやくかつらに康史郞が相づちを打つ。

「今日は京極きょうごくさんとカイとリュウが来るから、大賑わいだな」

「もうすぐ戸祭とまつりさんも来るから、康史郞は一緒に倉庫へ向かって頂戴。私はその間に火起こしをしておくわね」

「分かったよ」

 康史郞は外に出て行った。陶器の火鉢は炭を起こして暖める準備がいる。今日は湯のしをするので、ヤカンを掛けてお湯も沸かさなくてはいけない。かつらはちゃぶ台の上にあらかじめセーターをほどいておいた毛糸とミシンの革ベルト、工場から借りたミシンの説明書、山本さんから借りた工具箱を並べた。

「そうそう、リュウさんの服を作る準備もしなくちゃね」

 かつらは竹の長い物差しと裁縫箱を取り出すと、ちゃぶ台の上に置いた。


 11時を回った頃、ミシンを載せたリアカーが両国駅の方向からやって来た。戸祭がリアカーの前を引っ張り、たかしが後ろから押す役割だ。カイと康史郞は左右でリアカーを支え、リュウは服と先日洗った布の入った風呂敷包みを持っている。

「みなさん、お疲れ様でした。お茶とミカンがあるのでどうぞ」

 お盆に湯飲みとミカンを載せたかつらが出てきた。こんなに人が来るのは珍しいので、ごはん茶碗や味噌汁椀も総動員である。

「戸祭さんも折角の休みなのにすみません」

 お茶を淹れるかつらに戸祭は汗を拭きながら答えた。

「背中怪我してる兄さんに無理はさせられないからな。これもらったら帰らせてもらうよ」

「怪我はもう大丈夫です。かつらさん、ミシンの説明書を見せてくれませんか」

 隆は作業服のポケットから軍手を取りだした。


 かつらが見守る中、隆はベルトの取り付けを始めた。火鉢の方では、ヤカンの口につけた湯のし器から、湯気で伸ばした毛糸が出てくるのを康史郞が巻き取っていく。毛糸を繰り出すのはカイとリュウの役目だ。

「ところで、病院のヒロさんはどうだった」

 康史郞の問いにカイが答える。

「だいぶヒロポン中毒が治まってきたから、正月には帰りたいって言ってた。それと、ヤマさんの代わりに俺たちを住み込みの従業員として雇って店を続けたいってさ」

「良かったじゃないか」

 毛糸で両手がふさがっている康史郞がうなずく。

「そうそう、あのミシンは元々ヒロさんの家にあったもので、お袋さんが使ってたのを防空壕に避難させてたんだってさ。でも家も空襲で被害を受けて、お袋さんも奥さんも亡くなっちまったんで、使える人がいるなら持っていけって言ってた」

「そうか、ヒロさんも大変だったんだな。ヤマさんのことは何か言ってた?」

「ヤマさんは日下くさかの所に行くってさ。それと、まだキャバレーのこと諦めてないみたい。店を渡す代わりに横澤家の動きを知らせろって言われたって」

「本当しつこいな。あの刑事さんに教えた方がいいかも」

 あきれたように言う康史郞に隆が呼びかけた。ベルトの取り付けが終わったようだ。

新田にった刑事には昨日私から伝えといたよ。それで、みんなに一つ相談があるんだ。戸祭さん達にも協力をお願いしたいんだけど、まずは君たちにと思って」

「一体何ですか」

 取り付けたベルトの具合を確かめていたかつらが尋ねる。

「戸祭さんが言ってた、私たちの婚約祝いを兼ねた新年会を『まつり』で開きたいんだ。みんなを招待してね。その時に……」

 隆は声のトーンを落とした。


 ミシンの設置も無事終わり、かつらはミシン台の引き出しに入っていた糸を取り付けて試し縫いを始めた。戦時中に使っていた防空頭巾だ。

「いい感じよ。後は油を少し差した方がいいわね」

「姉さん、その頭巾何にするの」

 湯のしをした毛糸を持ったままの康史郞が尋ねる。

「この椅子、座面がボロボロでしょ。座布団代わりにしようかなって」

「確かに、もう被ることもないもんな」

「これを被って逃げるなんてこと、二度としたくないわ。終わったらカイ君の服の裾上げと、リュウさんの服を作るために寸法を測らせてね」

「うん」

 リュウは笑顔で答えた。

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