第七章 新しい日々へ

47.忍び寄る不安

 11月28日の金曜日、上機嫌で「まつり」に来たかつらを見て戸祭とまつりは尋ねた。

「いいことがあったみたいだな」

「頼んでたミシンのベルトが届いたんです。これで修理が出来ますわ」

 前掛けを締めながらかつらは答える。

「ああ、雑貨屋の倉庫で見つけたっていう古いミシンか。しかし、家まで運ぶのは大変だろ」

たかしさんとカイ君と康史郞こうしろうに手伝ってもらってリアカーで運ぼうかと」

「『隆さん』かい。すっかり仲良くなったな」

 戸祭に茶化されたかつらは手をひらひらさせた。

「お店では『京極きょうごくさん』ですから。けじめは守りますよ」

「そうかい。征一せいいちから君たちが婚約したって聞いたんで、正月に新年会を兼ねてお祝いをしようと思ってたんだが、早すぎたかな」

「康史郞が言ったのね」

 軽く頬を膨らませたかつらに戸祭が尋ねる。

「ところで、いつごろ結婚するんだい」

「康史郞が中学を出るまでは待ってもらうことになってます。まだ進路も分かりませんし」

「なるほど。うちの征一は調理師資格を取る学校に行く予定だけど、まだまだ漫画が好きなガキでね。育て方を間違えたかな」

 味噌汁に入れる大根を切りながら戸祭はぼやく。

「でも友達思いのいい子ですよ。勉強も康史郞より出来るそうですし、息抜きの漫画くらいならいいんじゃないですか」

「『まつり』がここでいつまで続けられるかも分からないし、征一にはどこかの店で修行してもらうことになるだろうからな。とても漫画にうつつを抜かしている暇はないさ」

「本当にどこかで新しい店が開ければいいんですけどね。さ、仕事しなくちゃ」

 三角巾をつけたかつらは店へ出て行った。


「いらっしゃいませ。きょうのおすすめはぶり大根です」

 19時半を回った頃、隆が「まつり」を訪れた。かつらにとっては日曜日以来である。

「なら、それと味噌汁をもらおう」

「そうそう、ミシンのベルトが届いたんですけど、明日か明後日空いてますか」

 ぶり大根と味噌汁を差し出しながらかつらが尋ねる。隆は味噌汁を一口飲むと答えた。

「私は大丈夫ですが、カイ君たちの都合も聞かないと」

「ええ。仕事帰りにお店に寄ってみましょう」

 かつらが言ったその時、店の裏手から声がした。

「康史郞の姉さん、ちょっと来てよ」

 カイの声だと気づいたかつらは、一礼すると厨房に引っ込んだ。


「どうしたの」

 裏手に出てきたかつらは幌の中をのぞき込むカイに呼びかけた。隣にはリュウもいる。

「ヤマさんが昨日店に来たんだ。釈放されたんだって」

 かつらの顔色が変わった。

「店は大丈夫?」

「うん。今日はもう閉めてきた」

 心配げなかつらにリュウが答えた。

「ちょうど隆さんも来てるし、もう少しで閉店だから厨房で待ってて」

 かつらは二人に言い残すと店に戻っていった。


 「まつり」を閉めた後、店に残った隆とかつら、カイとリュウは店のカウンターを囲んでいた。

「夕飯まだだろ。残り物だけど食べてきな」

 戸祭は味噌汁のお椀とごはん、大根の煮物を差し出した。かつらは味噌汁のお椀を取って礼を言う。

「いただきます」

「ところで、ヤマさんは君たちに何かしなかったかい」

 隆の問いにカイが答えた。

「売り上げをよこせって言われたから、持ってた分を渡したんだ。後倉庫から自分の荷物を持ってった。病院のヒロさんに会ったら上野に行くって」

「上野ってことは、日下くさかってヤクザの所に行くのかしら」

 かつらは隆の顔を見る。隆はたばこを吸うように口に手を当てた。

「釈放されたのが日下たちの差し金ならそうかもしれないな」

「ミシン修理の目処が付いたから、明日か明後日家に運びたかったんだけど、無理かしら」

 かつらの問いに答えたのは無言で大根を食べていたリュウだった。

「アニキ、ミシン運ぶの手伝おうよ。お姉さんに頼まれてた湯のしの道具、手に入れたんだ。それに早く服も直したいし」

 リュウは学生服のポケットから紙の箱を取りだすと、中身をカウンターの上に置いた。陶器のT字型の物体だ。

「へえ、ヤカンの口につけて湯気で毛糸を伸ばすのね」

 かつらは箱書きを見て感心している。

「お母さんはこれで僕たちの古いセーターをほどいた毛糸を伸ばして、編み直してたんだ」

「そうだったの。もしあったら編み棒も欲しいから、日曜に一緒に持ってきて。お代は先に払うわね」

 かつらは肩掛けカバンからがま口を取りだした。

「俺、明日ヒロさんに会ってくるよ。ミシンのことも断らないといけないしな」

 カイも元気を取り戻したようだ。隆は支払いをするため立ち上がった。

「私は新田にった刑事が何か情報を掴んでないか聞いてみよう」

「それじゃ、日曜の9時にミシンを取りに行っても良いかしら」

 かつらの問いにカイとリュウがうなずく。

「もし男手が欲しいなら手伝うからな」

「ありがとうございます」

 戸祭の申し出にかつらは一礼した。

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