37.救いの手

 あわてて止まったジープから降りてきたのは、進駐軍の兵士を伴った新田にった刑事だった。かつらは下駄と翡翠ひすいの帯玉を拾いあげると新田に駆け寄る。

「刑事さん、良かった。今交番に弟が向かってて」

京極きょうごくさんから電話をもらったんだ」

 かつらは路地の奥を指差した。

「京極さんはあの奥です。私たち、あの人たちに脅されてたんです」

 進駐軍の兵士が側溝にはまった八馬やまを引き上げるのを横目に、かつらは廣本ひろもとを押さえる隆に駆け寄った。廣本は抵抗する気をなくしたらしく横たわっている。

たかしさん、怪我してる」

 かつらはあわてて肩掛けカバンに帯玉をしまうと手ぬぐいを取りだす。その時、ようやく側溝から引き上げられた八馬が声を上げた。

「俺は廣本の流したヒロポンを運んでただけ。悪いのはあいつだ」

 かつらは八馬に向き直った。手ぬぐいを握りしめると冷たく言い放つ。

「死んだ兄はあなたのような人を一番嫌ってました。これ以上私たちに近づかないでください」

「話は警察署で聞こうか」

 新田は八馬の手から小刀を取りあげると手錠をはめた。


 八馬と廣本はジープで警察署に連行され、かつらと隆は新田と共に交番に向かった。

「姉さん、大丈夫」

 交番の前で待っていた康史郞こうしろうが駆け寄るが、かつらの表情は厳しかった。

「ええ。でも隆さんが」

「救急箱があるから応急手当しよう。その間に弟さんに事情を聞きたい」

 新田の申し出にかつらはうなずいた。


 交番奥の休憩室では、康史郞がかつらの同席の下、八馬の依頼でヒロポンを日下くさかに渡したこと、進駐軍のキャバレーを隠れ蓑に密造ヒロポンを売ろうとしていたことを話していた。カイとリュウも同席している。

「君が持ってきた包みも確認させてもらった。軍で使用していたヒロポンだろう」

 新田が机に置かれた包みを指差す。

「刑事さん、俺も逮捕されるの」

 真剣な表情で尋ねる康史郞に、新田はかつらを見てから答えた。

「話を聞く限り、君は中身を知らずに運んだだけだからな。逮捕は見送ろう」

「ありがとうございます」

 かつらは頭を下げるが、康史郞はまだ不安げだ。リュウが新田に尋ねる。

「ヤマさんとヒロさんはどうなるの」

「まだなんとも言えん」

「ヤマさんの手伝いをしてた俺たちも捕まえるのか」

 カイはリュウの手を握ったまま問いかけた。隙あらば逃げ出せるよう入口近くに立っている。

「カイとリュウは防空壕に住まわせてもらう代わりに働いてたし、ヒロさんだって悪い夢で眠れないから仕方なくヒロポンを打っていたんです。頼むからみんなを助けてくれませんか」

 康史郞の頼みを聞いた新田は一つうなずくと答えた。

「君たちが今後捜査に協力してくれるなら、助けられるよう口添えしよう」

「分かったよ」

 カイとリュウが頭を下げたその時、応急手当を終えた隆が顔を出した。切れた作業服の上衣を肩に引っかけている。

「すみません。肝心な時に役に立てなくて」

 頭を下げる隆に、新田は声をかけた。

「これから病院で君の診断書を書いてもらってから警察署に向かう。ジープが来るまで待ってくれ。他の者は家に帰ってよろしい」

「はい。ただその前に」

 隆はかつらが手に持っていた下駄を見た。


「すみません。鼻緒まで直していただいて」

 交番を出たかつらは隆に一礼した。右の下駄には隆の手ぬぐいを裂いて作った鼻緒が付いている。

「君の手ぬぐいは私の血を拭くのに使ってますからね」

 隆の声はいつもの穏やかな調子に戻っていた。

「康史郞、俺たちは店の様子を見てから家に帰るよ」

 カイはそう断るとヤミ市の方向に足を向ける。後を追おうとしたリュウは、振り返ると呼びかけた。

「さっきはありがとう」

「ああ。気をつけて帰れよ」

 康史郞は二人に手を振った。

 立ち去る兄妹を見送った後、かつらは改めて康史郞に向き直った。

「康ちゃん、どうして話してくれなかったの。もしかして私にばれるのが恐かったから」

「ごめんよ。解決したら全て話すつもりだったんだ」

 かつらの顔を正視できない康史郞は隆の顔を見ようとするが、かつらは康史郞の顔を両手で挟み、正面に向かせた。

「こっちを見て。頼りない姉さんかも知れないけど、私は何があっても康ちゃんを助けたいの。だって、二人きりの姉弟なんですもの」

「頼りないなんて、そんなことない。姉さん格好良かったよ」

 康史郞の目から涙の粒が流れる。かつらは顔を押さえていた手でその涙を拭うと、康史郞を抱きしめた。

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