34.かつらの気づき

 一方、縫製工場から家に戻ってきたかつらは、台所でニンジンとカボチャの煮物を作っていた。少し多めに作って夕食と明日の朝ご飯のおかずにする予定だ。

(康ちゃんも勉強で疲れてるからたくさん食べるかも。そしたら明日は梅干しのおかゆにしようかしら)

 出来上がった煮物を入れた鍋を持ってかつらが台所を出た時だ。家の周りに見慣れない男たちがいる。どうやら土地を測量しているようだ。

「何してるんですか」

 かつらが尋ねると地図を持った男が答える。彼が仕切り役らしい。

「ここに店を建てる準備をしてるのさ」

「そんな話聞いてませんけど。誰に頼まれたんですか」

 きっぱりと言うかつらに、男は臆することなく答えた。

「上野の日下くさかさんさ。もうすぐ更地になるから先に測量して欲しいってさ」

「そんな予定はありません。帰って下さい」

 かつらは言い放つと鍋を持ったままバラックの戸を開け、中に飛び込んだ。ちゃぶ台に鍋を下ろしてからさっきの男の言葉を思い出す。

(上野の日下さんって、もしかしてこないだ両国駅にいた人じゃ)

 そっと窓から外を覗くと、うまや橋の方向に戻っていく人影が見える。かつらは安堵すると共に、自分が仕事に行っている間に康史郞こうしろうが一人で家にいるのは危険だと感じた。

(康ちゃんには私が帰るまで戸祭とまつりさん家で待っててもらおうかな)

 かつらは皿に煮物を少し取り分けるとカーディガンを羽織り、肩掛けカバンと煮物の入った鍋を持って外に出る。しっかり南京錠を締めると戸祭家へ向かった。


 戸祭家のある長屋は空襲で焼けた後建て直したもので、バラックに毛が生えたような作りだ。引き違い戸を叩くと征一せいいちの祖母、マツが出てきた。腰がやや曲がっているが喋りはまだ達者である。

「どうしたんだい」

 かつらはマツの向こうから室内をのぞき込んだ。部屋の奥では征一がちゃぶ台の前に座って教科書を読んでいるが、康史郞の姿はない。

「康史郞がここに来てませんか」

「いんや。征一がカバン預かってきただけだよ」

 マツは振り返ると征一を見た。

「征一君、康史郞はどこにいるの」

 かつらの呼びかけに驚いた征一は読んでいた教科書を倒してしまった。後ろに隠して読んでいた漫画本が丸見えになる。

「ちょっと待って」

 慌てふためく征一にマツの声が飛ぶ。

「また漫画読んでる。いい加減にしな」

「ごめんよ、ばあちゃん」

 征一はあわてて自分の肩掛けカバンに漫画本をしまうと立ち上がった。

「まあまあ。煮物を作りましたので良かったらどうぞ」

 かつらは鍋の蓋を取り、カボチャとニンジンの煮物を見せる。

「あらおいしそう、すみませんね」

「戸祭さんに比べたらまだまだですよ」

 機嫌が良くなったマツは皿を取りに台所へ向かった。かつらは征一に呼びかける。

「康史郞に話がしたいの。呼んできて」

 征一は慌てて玄関に出ると、小声で答えた。

「康ちゃんはちょっと出かけてて」

「変な人たちが家の周りに来てるから、仕事が終わるまでここにいて欲しかったのに。どこに行ったの」

「お姉さんの好きな人に会いに行くって」

 かつらの顔色が変わった。

(もしたかしさんに会いに行ったのなら、廣本ひろもとさんや八馬やまさん、ヤクザの人に見つかるかもしれないわ。危険に巻き込まれる前に止めないと)

 かつらは鍋を玄関に置くと外に飛び出そうとしたが、皿を持って戻ってきたマツが呼びかけた。

「康史郞君が来たら家で引き留めとくよ。征一、父ちゃんに『横澤よこざわさんは用事で遅れるから』って言ってきな」

「分かった。仕事も手伝うよ」

「お願いね」

 かつらは征一と共に厩橋を渡り、両国駅の方向へ早足で歩き出した。


「お姉さん、康ちゃんを叱らないで。『いつも姉さんには苦労かけてるから』って言って、学用品やズック代を自分で稼ごうと頑張ってるんだ」

 歩きながら訴える征一に、かつらは厳しい表情で答えた。

「康史郞の気持ちは嬉しいし、時々くず鉄拾いをして稼いでるのも知ってるわ。でも今回の相手は家を壊した人たちよ。何をするか分からないわ」

 かつらの返事を聞いた征一の顔が曇る。

「康ちゃんの約束を破った僕は親友失格かな」

「もし康ちゃんが怒ったら私が取りなすわ。お父さんによろしくね」

 かつらは隆の住む「墨田川館」に向かうため、「まつり」に向かう征一と別れた。自然と足が速まる。

(康ちゃん、隆さんの家の場所知ってたかしら。迷ってないといいけど)

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