33.兄妹の危機

 「墨田川館」を離れた康史郞こうしろうはまっすぐ家には帰らず、カイとリュウに報告しようと八馬やまの雑貨店に足を運んだ。

 裏口からのぞき込むと、リュウが木箱の上に座っていた。手持ちぶさたなのか、いつも被っている戦闘帽を指でくるくる回している。康史郞はそっと呼びかけた。

「ちょっと来てよ」

 リュウはあわてて木箱から下りると外に出てきた。

「カイはどこ?」

 康史郞の問いにリュウは小声で答える。

「ヤマさんが荷物取りに行ったから、店番してる」

「ヒロさんはいないのか」

「今日は見てないよ」

 康史郞にとっては帽子のないリュウを見るのは初めてだ。ぼさぼさの髪の毛の下から三白眼気味の目が覗いている。

(やっぱり女の子、なんだよな)

 康史郞は学校の同級生たちとリュウを比べている自分に驚きながらも話を続けた。

「あのさ、リュウはヤマさんとヒロさんのこと、どう思ってる?」

「どうしてそんなこと聞くの」

「カイから君たちがここに来たときの話を聞いたんだ」

 リュウはうなずくと話し始めた。

「ヤマさんは僕たちが仕事をきちんとしたら機嫌もいいし、代金もくれるけど、失敗した時は怒鳴るから嫌い。ヒロさんは時々食べ物を分けてくれるし、銭湯にも連れてってくれるいい人。でも最近のヒロさんは亡霊のことばかり言ってて恐い。このままじゃヒロさんが亡霊になっちゃうよ」

「俺、ヒロさんの亡霊の正体を知ったんだ。ヒロさんが亡霊のこと気にしなくなったらヒロポンも打たなくなるんじゃないかな」

「本当?」

 リュウは康史郞を見つめる。

「ああ。だから一度ヒロさんときちんと話してみたいんだ」

 その時、店から八馬の声がした。

「リュウ、どこ行ったんだ」

「ちょっと隠れてて」

 リュウは戦闘帽を被るとあわてて店の裏に戻る。康史郞は店の横に積まれた木箱の影に隠れて八馬の声を聞いていた。

「こいつを両国駅前にいるヒロに持っていけ」

「ヒロさんにこれ以上ヒロポンを渡したら、中毒になっちゃうよ」

 カイの声だ。

「かまわんさ。あいつはもう役にたたん。それに軍からの横流し分も品切れだからな。これからはお前たちがヒロポンを作るんだ」

 八馬の声にリュウが驚く。

「僕たちが?」

「ああ。密造のやり方を教わる代わりに残りはヤクザに渡す。それを俺が店長になる進駐軍相手のキャバレーで売りさばく。店までの運び屋は横澤康史郞よこざわこうしろうにしてもらう。姉貴と一緒に女給の寮に住むから疑われないって寸法さ」

「この店はどうするんだよ」

 カイの問いかけに八馬はいらつくように答えた。

「ヒロがやりたいなら続ければいいさ。お前たちはヒロポン造りに精出してもらうからここには来られないからな」

「あんまりだよ」

 リュウがたまらず声を上げるが、八馬はそのまま話し続ける。

「これまでの恩を忘れたのか。それともヒロポンを打ってやろうか。そしたら嫌でも欲しくなるだろ」

 カイのうめき声があがり、木箱が転がる音がする。たまらず康史郞は飛び出した。

「俺がヒロさんに持っていく!」

 カイの腕を掴んでいた八馬が振り返った。カイが呼びかける。

「康史郞、なんでいるんだよ」

「ちょっと金が入り用でさ」

 とっさに康史郞はでまかせを言った。八馬は康史郞を一瞥いちべつすると呼びかける。

「両国駅西口にあるたばこ屋の隣の路地に行くんだ。上野で黄色のズックを渡した時の無精ひげの男が待っているからこいつを渡せ」

 八馬は新聞紙にくるまれた塊を差し出した。この中にヒロポンが入っているのだろう。

「渡したら金を出すからまっすぐここに戻ってこい。分かってるな」

 裏口を出ようとする康史郞にリュウが呼びかける。

「ありがとう」

 康史郞は無言でうなずくと小走りに店を離れた。

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