24.弟として、兄として

 康史郞こうしろうはカイとリュウと一緒に店の外へ出た。

「さっきはありがとな」

 康史郞に礼を言われたリュウは戦闘帽を深く被り直すとうなずく。

「昼にもっと話したいって言ってたよな。リュウを家に送ってくから、その後話そうぜ」

 カイはそう言うと先に立って歩き出した。


 3人はヤミ市を外れ、墨田川近くの焼け跡にバラックが建ち並ぶ一角にやって来た。

「ここが店の倉庫兼、俺たちの住まいさ」

 カイはトタン塀に囲まれた敷地を指差す。横澤よこざわ家と大差ないようなバラックの周りには廃材やくず鉄が積まれている。先日康史郞がもらったドアの窓もこの中から調達したのだろう。

 カイはバラックの横にあるリアカーと便所を回り込み、裏側に入っていく。そこにはトタン屋根をつけた防空壕があった。ドア代わりに置いてあるトタンをどけると、むしろの敷かれた土間に毛布が置かれただけの空間が現れる。かつて横澤家が暮らしていた防空壕を康史郞は思い出した。

「うちも今の家ができるまで防空壕で暮らしてたよ」

「そうなんだ」

 康史郞の言葉にうなずくリュウにカイが呼びかけた。

「こいつを送ってくから夕飯はその後だ」

「わかったよ、アニキ」

「じゃあな」

 リュウに手を振ると、康史郞はカイと共に歩き出した。


 カイと墨田川沿いの道を歩く康史郞は、蔵前橋で溺れた時のことを思いだしていた。

(カイたちが家を壊さなかったら、俺がズックをなくすことはなかった。でも、京極きょうごくさんがうちに来ることもなかった。どっちが良かったんだろう)

「家を壊してしまって悪かったな」

 カイが声をかけたので、康史郞の思考は中断した。

「命令だったんだろ、仕方ないさ。ところで、どうしてヤマさんと暮らしてるんだい」

 康史郞の問いを聞いたカイは、少し考え込むときり出した。

「話す前に知っといて欲しいことがある。実はリュウは、俺の妹なんだ」

「やっぱり」

 康史郞の返答はカイには意外だったようだ。驚いたまま立ち止まる。

「さっきヤマさんに飛びかかろうとした俺をリュウが引き留めてくれたとき、胸があるって気づいたんだ。男装してるのには訳があるって思ってさ」

「なるほどな」

 カイは再び歩き出すと、これまでのいきさつを話し始めた。

「ヤマさんとヒロさんと出会ったのは去年の冬さ。俺たちは東京大空襲で親も家も亡くしちまったんで、ずっと上野の地下道で暮らしてた。だけど、リュウが寝てる間に酔っ払いの男たちに襲われそうになったんだ。あいつも15だから、それなりに成長してるんだよな」

「待てよ、じゃカイはいくつなんだ」

「16だ。一年半離れてる」

「悪かった。てっきり14の俺と同じくらいかと」

 康史郞は思わず謝る。

「焼け出されてからずっと食うや食わずの毎日だったんだ。背が伸びるわけがない、と言いたいが、親父もお袋も小さかったからな」

 カイは自分の頭を叩いた。


「とにかく、それからリュウは恐がって地下道で雑魚寝ざこねできなくなっちまった。俺の服をリュウに着せてから、新しいねぐらを探して両国に来たんだ。腹ペコだった俺たちはヤミ市で店の裏にミカンが置かれてるのを見つけて忍び込んだ。それがヤマさんの店だったんだ」

「リュウが着てるのはカイの服だったのか」

 うなずく康史郞。

「俺たちは店の表から入ってきたヤマさんに見つかり、リュウが捕まっちまった。俺たちを殴ろうとしたヤマさんを店に戻ってきたヒロさんが止めたんだ。ヒロさんは俺が服の代わりに毛布を巻き付けてるのを見て『寒いだろ』って言って自分の着てた軍服を渡し、ミカンを一個ずつ分けてくれた」

「俺、ヒロさんのことはあまりよく知らないけど、いい人なんだな」

「ヒロさんが店に軍隊の品を横流ししてるから、ヤマさんも頭が上がらないらしい。とにかくヒロさんの取りなしで、俺たちはリアカーを入れていたあの防空壕に住めるようになった。その代わり、ヤマさんの使い走りをやったり、ヒロさんの横流ししたヒロポンをヤクザに渡してたんだ」

「ヒロポンをヤクザに?」

 聞き返す康史郞。

「そうさ。今日お前が持ってった包みの中身。ヤクザがヤミ市で売るんだ。本当は薬局で売るものだから警察に見つかったら大変だ、ってヤマさんからきつく言われてる」

 康史郞は自分がしたことが改めて恐ろしくなった。

「お客さんが大きめの買い物をした後、体当たりして商品を取り返すのも俺たちの役目だ。お前の姉貴がズックを買った時は失敗したけどな。そのズックを拾ったのがお前の姉貴と仲良くしてる眼鏡の男だったんだ」

「京極さんと姉さんって、俺のズックが縁で繋がったのか」

 康史郞は意外な事実に驚いた。


「俺たちはヤマさんたちに恩があるし、リュウを守るためなら命じられた仕事もしてきた。でも、今日のヤマさんの話を聞いて思ったんだ。もしかしたらリュウも女給じょきゅうにするつもりなんじゃないかって」

「ヒロさんでも止められないのか」

 心配げに尋ねる康史郞。

「ヒロさんもヒロポンを打ってるんだ。最近は昼間でもお構いなしで『亡霊を見た』ってずっとおびえてて人が変わっちまったみたいだ。俺たちをかばってくれたヒロさんが捕まったら今度こそ家を追い出されちまう」

 カイはそのまま黙り込む。近づいてきたうまや橋を見ながら、康史郞は話し出した。

「話してくれてありがとう。カイやリュウのしてきたこと、俺には責められないよ。姉さんや死んだ兄貴たちがいなかったら、俺も戦災孤児になってたかもしれないんだ」

「実は屋根を壊したとき、部屋にあった家族写真を見たんだ。俺たちと同じで、あんなにいた家族がきょうだい二人きりになっちまったんだなって思って、それ以上壊せなくなったんだ」

「そうだったんだ。ありがとう」

「じゃ、俺は帰るから。これ以上ヤマさんたちには関わるなよ」

 カイは立ち止まる。康史郞は振り返りながら尋ねた。

「カイもリュウも俺より年上なんだよな。『カイさん』って呼んだ方がいい?」

「何だよ今さら。今まで通り呼び捨てでいいさ」

 康史郞は初めてカイの笑顔を見た。

「じゃ、2人の本当の名前を教えてくれないか」

「難しいぞ。俺は『高橋海桐たかはしかいどう』。海にきりの下駄の『桐』って書くんだ。漢方薬に使う木の名前から取ったと親父が言ってた。妹は『柳子りゅうこ』。柳の木から取ったんだ」

「本当に難しいな。それじゃ、リュウによろしくな」

 康史郞はそう言うと手を挙げた。カイはそのまま来た道を戻っていく。康史郞は今日起きた出来事を頭でまとめようとしたが、どう整理していいか分からずに家に戻るしかなかった。

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