23.囚われる人々

 上野広小路から都電でうまや橋に戻ってきた康史郞こうしろうは、八馬やまの言いつけ通りまっすぐ雑貨店に戻ってきた。だが、店にはカイとリュウがいるのみだ。

「ヤマさんとヒロさんは出かけてるよ。アニキが店番してる」

 リュウが説明する。

(俺には『まっすぐ帰ってこい』って言っといて待たせるのかよ)と康史郞は思ったが、さすがに口には出せなかった。代わりにリュウへ問いかける。

「君たち、こないだの台風の後、厩橋の近くにトタン屋根を捨てただろ」

 リュウは無言でうなずく。

「誰かに頼まれたのかい? それとも」

「もう帰ってたのか」

 康史郞の言葉を遮ったのは店の表から入ってきた八馬だった。カイも後ろにいる。

「ご苦労さん。相手の返事はどうだった」

 八馬の問いに康史郞は封筒を差し出しながら答えた。

「『交渉は成立だ』と言ってたよ」

「でかした」

 仕事の報酬を渡そうとした八馬は、康史郞のズック靴に目をとめた。

「もう新しいの買ったのか」

「これは半端物を姉さんが買ってきたんだよ」

「なるほど、やりくり上手だな」

 八馬はあごをしゃくると、封筒から10円札を10枚取りだした。

「ほれ、分け前だ」

 10円札を受け取ると、康史郞は尋ねた。

「ヤマさん、次の仕事はいつ」

「とりあえず終わりだ。仕事ができたらまた呼ぶからな」

 八馬は封筒をポケットに入れる。康史郞はずっと気になっていた疑問を八馬にぶつけた。

「俺が渡した包みが何なのか教えてくれ」

「それは駄目だ」

 八馬は迷惑そうに手を振る。

「だったら教えてくれ。台風の後、俺の家の屋根がなくなったのはヤマさんのせいなのか」

「ああ、そうだよ」

 八馬はあっけなく認めた。

「もう話が決まったから隠す必要もないしな。お前の家がある場所には進駐軍相手のキャバレーができるんだ」

「キャバレー?」

 康史郞にとっては聞き慣れない単語だ。

女給じょきゅう(ホステス)がお酒やダンスで客の相手をする店さ。建物ができても、相手をする女給がいなきゃ店は開けない。だからお前の姉貴も雇ってやる。姉貴も化粧していい服を着られるし、女給の住む寮も作るからお前も一緒に暮らせるぞ」

「何言ってんだ。姉貴には好きな人がいるんだ。女給になんかなるわけないだろ」

 康史郞は抗議する。

「あの男はもう来ない。災いを呼ぶ亡霊だ。近いうちにあの家を取り壊しにヤクザが来るから、その前に俺に土地を売れば仮住まい先を紹介してやる。家がなくなったらお前らは行くあてがなくなる。それともこいつらみたいに宿無しになりたいか」

 八馬はリュウを指差す。その時、背後にいたカイが声を上げた。

「俺たちは宿無しじゃない」

「調子に乗るな。お前らなんかいつでも追い出せるんだぞ」

 八馬の言葉を聞いたリュウは身をこわばらせる。八馬は康史郞に向き直った。

「さっき姉貴に会ってきたんだ。相変わらず強情な態度だったが、お前が俺の手伝いをしてると聞いたら動揺してたぞ。お前がヤクザの手引きをしていると聞いたらさぞがっかりするだろうな」

 康史郞はようやく、自分がていのいい人質にされたことに気づいた。

「よくも、俺を騙したな」

 思わず八馬に飛びかかろうとした康史郞を背後からリュウが引き留める。

「リュウ」

 康史郞は思わず振り向く。

「だめだよ」

 リュウのささやき声を聞き、あることに気づいた康史郞は我に返った。

「このことを大人や警察に話したら、すぐに家が壊されるからな。分かってるよな、横澤康史郞よこざわこうしろう

 八馬はそう言い残すと店に戻っていった。康史郞はずっと自分を「小僧」と呼んでいたのも八馬になめられていたのだと気づき、拳を握りしめる。そこにカイが呼びかけた。

「康史郞、外に出よう」

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