22.直接対決
日曜の昼食後。
「すみません、お茶ぐらいしかなくて」
謝るかつらを槙代は制した。
「いいんですよ。うちの人はお昼寝中ですし」
「実は、
「まずはほどいてから湯のしして、糸を伸ばさないといけないわね」
槙代は康史郞のセーターを取りあげながらかつらに話しかける。
「さすがに湯のしは家にないわ。工場のアイロンを借りる訳にはいかないし。やっぱり毛糸を買ってきた方がいいかしら」
かつらはお茶を一口飲んだ。
「マフラーに5玉はいりますね。セーターなら10玉くらいかかりますから、ほどいたら康史郞君とかつらさん、2人分のマフラーが編めるかもしれませんよ。私で良かったら編み方を教えましょうか」
「ありがとうございます。とりあえずセーターを買ってから考えようかと」
かつらは槙代からセーターを受け取った。
「ところで、康史郞君はお出かけですか」
槙代の問いにかつらは笑顔で答えた。
「ええ。
「そういえば、勇二郎君と
槙代は横澤家の家族写真に目をやる。彼女も2人の亡骸に手を合わせたのだ。
「本当にあっという間の2年間だったわ。康史郞もそろそろ勇二郎の背丈を超えそうだし。羊太郎兄さんくらい大きくなるといいわね」
かつらが感慨深げにセーターをたたみ始めたその時、ドアを叩く音がした。
「あら、もう帰ってきたのかしら」
立ち上がって玄関のドアを開けたかつらの体が固まった。以前来た無精ひげの男と、アロハシャツに背広姿の男が立っていたのだ。背広の男が話しかける。
「横澤さんですよね。折り入ってお話ししたいことがありまして」
「今、来客中なので」
かつらが断ろうとしたところに、槙代が声をかけた。
「大丈夫ですよ。ごちそうさまでした」
背広の男は槙代が出ていくのを見送ると、玄関の上がり口に腰を下ろした。無精ひげの男がドアを閉める。
「私は両国で店をやっている八馬って言うんですが、この家の土地を欲しがっている人がいましてね」
八馬は一枚の図面を広げた。
「こんど厩橋から続く道路を拡張するんですよ。するとこの家の土地が直接大通りに接することになるので、そこに進駐軍相手の酒場を開きたいそうなんですよ」
「この土地は売らないと、以前お断りしたはずです」
かつらは厳しく言い放つ。
「それは
「仕事なら今ありますから」
つれないかつらにかまわず、八馬はさらに話し続ける。
「昼夜掛け持ちで働いても新しいズック1つ買えない、と弟さんが言ってましたよ」
「弟を知っているんですか」
かつらが思わず尋ねると、八馬の口元が緩んだ。
「くず鉄を売りに良く来てましてね」
康史郞が終戦直後からくず鉄拾いをしているのはかつらも知っていたが、取引相手については知らなかった。
「進駐軍相手だから金払いもいい。新しい靴も服も買い放題って訳ですよ。従業員の寮も作るそうなので、お店で働きながら弟さんと暮らせますよ。もちろん完成するまでの仮住まいの場所も提供しますよ」
かつらはとうとうと話し続ける八馬とは裏腹に、無言でかつらを見つめる廣本の視線が気になって仕方がなかった。それでも意思表示はしなければならない。
「今の仕事をやめるわけにはいかないんです。すみませんがお帰り下さい」
かつらは頭を下げる。今まで黙っていた廣本が初めて口を開いた。
「あんた、
かつらは思わずかぶりを振る。それを見た廣本はかつらを見据えた。
「あの男はここにはもう来ない。あきらめろ」
廣本が上野で会った男だとかつらは確信した。
「教えて下さい。なぜ京極さんが亡霊なんですか」
廣本はかつらの問いには答えず、ドアを開けて外に出て行った。八馬もあわて図面をしまうと立ち上がる。
「気が変わったら弟を通して連絡してくれ。でないとまた家が壊れるかもよ」
八馬は出て行こうとして、玄関にある康史郞の古いズックとかつらの下駄に気づいた。
「まだあの下駄履いてるんだ。それじゃ失敬」
2人が立ち去った後、かつらは下駄を履いて玄関を飛び出した。厩橋を渡っていく2人を目で追いながら、かつらは隆と再会した日、2人組の子どもにズックを取られそうになったことを思いだした。
(もしかして、あの時の子どもたちが家を壊した犯人? そしてズックを買った店の主人が今日来た人なら、最初から目をつけられてたってこと?)
かつらは背筋が寒くなった。
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