第三章 光の中の影

14.秘密の仕事依頼

 たかしを送ってきたかつらがバラックに戻ってきた。なぜか顔色が上気しているように康史郎には見える。

「姉さん、何かあったの」

 康史郞こうしろうが尋ねると、かつらはちゃぶ台を片付けながら語り出した。

京極きょうごくさんが来週の日曜日、私と康ちゃんを映画に誘いたいんですって。もちろん、チケット代も持つそうよ」

「そりゃすごいや。でも、俺は釣りに行くから良いよ」

「康ちゃん、折角京極さんが誘って下さったのよ」

 かつらは康史郞に向き直った。

「だからだよ。折角誘ってくれたんだから、2人でランデブーしてくれば」

「ランデブーって……」

 康史郞はかつらから聞いた映画『素晴らしき日曜日』の話を覚えていた。

「私は京極さんとおつきあいしてるわけじゃないのよ」

「うまくいけばそうなるかもしれないじゃないか。それとも姉さんは京極さんが嫌いなの? 」

 かつらは康史郞の問いには触れず、「わかったわ」とだけ答えた。


 9月22日、月曜日。康史郞が中学校から帰ると、八馬やま横澤よこざわ家の前で待っていた。

「こないだできなかった仕事の話をしたいんだが、時間はあるか」

 今日は征一せいいちは貸本屋に寄るため一緒に来ていない。

「大丈夫だよ。ちょっと待ってて」

 康史郞はバラックのドアを開けると、学生帽と肩掛けカバンを室内に置いた。八馬は玄関の靴を見ている。

「そうだ。ヤマさんがくれたガラスを窓にはめたんだ。こっちに来てよ」

 康史郞は外に出ると、八馬に新しい窓を見せた。

「そいつは良かった。誰が細工したんだい」

「姉貴のお店の常連さんが手伝ってくれたんだ」

「ふうん。姉貴の恋人じゃないのか」

 八馬はトタンを乗せ直した屋根を見上げると、話し出した。

「こんどの日曜日、正午に学生帽とカバンを持って俺の店に来てくれ。商品をお得意さんに届けて欲しいんだ」

「配達の手伝いだね。ところで、店ってどこにあるの」

「両国駅の近くだ。これから案内するから一緒に来い」

 八馬はうまや橋に向かって歩き出した。


「坊主、今日もそのズックか」

 八馬は、古いズック靴を履いている康史郞を見ながら話しかけた。

「俺は横澤康史郞だって」

 康史郞は軽く愚痴ったが、八馬はさらに尋ねる。

「もしかして、新しいのは盗まれたのか」

「どうしてそんなこと聞くんだい」

「さっき玄関に片方しか靴がなかったからな」

 康史郞の顔色が曇る。

「実は、新しいズックを片方なくしちまったんだ。俺のせいだから、姉貴に買い直してくれとも言えないし」

「そうか。残念だったな」

 八馬はそっぽを向いてニヤリと笑うと足を速めた。


 ヤミ市の中にある雑貨屋にたどり着くと、八馬は康史郞を店の裏手に案内した。

「まあ座れや」

 八馬に木箱を薦められた康史郞はそのまま腰掛けた。

「お前、姉貴のことどう思ってるんだ」

 八馬はだしぬけに話を切り出す。

「どうって、俺にとっては親代わりさ。勉強しろってうるさいのは玉に瑕だけど、しっかり者だし、結構美人だと思うよ」

 まんざらでもない表情の康史郞を見ると、八馬はアゴをしゃくって話し出した。

「姉貴は昼夜働いてて大変なんだろ。俺の仕事をしばらく手伝ってくれればアルバイト代を出すぞ。くず鉄売りよりもずっといい稼ぎになるし、新しいズックも買える。もちろんお前次第だがな」

「本当? もちろんやるよ」

 康史郞は身を乗り出す。八馬はたたみかけるように説明した。

「それなら早速段取りを説明するぞ。日曜日、正午に厩橋の電停に来い。そしたら、2人組のガキが紙包みを持ってくるから、受け取って都電に乗り、上野広小路駅に向かうんだ。着いたらお前は学生帽を後ろ向きに被って駅で待ってろ。すると無精ひげの30歳くらいの男がやってくる。『何色のズックを持ってきたか』と聞くから『黄色』と答えろ。『ならもらおう』といったら包みを渡せ。男から代金をもらったら、都電に乗ってここに帰ってこい。そしたら代金から2割を渡す。都電代は今渡しとこう」

 八馬は流れるような動きでポケットから5円札を取り出す。

「分かってるだろうけど、この仕事は姉貴には内緒だぞ」

 八馬は普段ののらりくらりとした態度ではなく、威圧するように康史郞を見つめた。

「分かったよ」

 そう答えると、康史郞は雑貨店を出た。

 八馬の言った仕事の段取りを思い出しながら、康史郞はある一点が引っかかった。

(俺に包みを持ってくる2人組のガキって、もしかして家を壊した奴らなのか?)

 八馬にガラスの借りを返すため、そして子どもたちの正体を探るため、康史郞は八馬の仕事を受けることにした。

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