6.『素晴らしき日曜日』
7月7日、月曜日。かつらはいつものように早朝にふかしたサツマイモを
「康ちゃん、帰ったらごはん炊いてからアジの干物を焼いてちょうだい。明日の朝ごはんにもするから半分残しといてね」
「分かってるよ」
いつもの朝の会話だが、二人は昨日の出来事を互いに話せずにいた。学生服に肩掛けカバンの康史郞が家を出ると、かつらも洗濯したブラウスとスカートに着替え、ユニフォーム代わりの割烹着を被って家を出た。
「昨日昼、無精ひげの男の人が尋ねて来ませんでしたか」
アイロン台の周りで昼食を取りながら、かつらは隣に住む
「昨日の昼は主人と久し振りに映画を見に行ってたんですよ。公開されたばかりの『素晴らしき日曜日』。それで、その人がどうしたんですか」
かつらは槙代に
「本当ですか。うちは焼け出されてあそこに家を建てたけど、前は空き地だったんですよね。立ち退かされたらどうしましょう」
不安げな槙代を見ながら、かつらは自分に言い聞かせるように言った。
「ちゃんとした家を早く建てられるよう、私ももっと稼がないと」
「日曜にそんなことがあったのかい」
縫製工場の終業後、「まつり」に着いたかつらは昨日の出来事を
「正直、ここだってヤミ市の店だからね。いよいよ警察の取り締まりが入るって噂も流れているし、人ごとじゃないよ。この住宅難じゃ新しい店を建てるのも無理だろうしな」
味噌汁の入った鍋をかき混ぜながら戸祭が言う。
「でも、工場が休んでて働けなかった時に雇っていただいて、本当に感謝してるんですよ」
「困ったときはお互い様だ。
戸祭とのこの会話も何度交わしたか分からない。
「今日の日替わりはカツオのなまり節だ。お客さんにもすすめてくれよ」
「はい」
三角巾を付けると、かつらは仕事場の顔に戻った。
「まつり」に
「いらっしゃいませ。今日のおすすめはカツオのなまり節です」
「それじゃそれをもらおう。あと味噌汁を」
割り箸と一緒に灰皿を出そうとしたかつらを、隆は押しとどめた。
「いや、ちょっと禁煙してるんだ」
時計が7時45分を回り、いつもなら退店する時間のかつらだが、隆はまだ店内にいる。隆を何度も見ているかつらに気づいたのか、戸祭は味噌汁と一緒にカツオのなまり節を差し出した。
「あの兄さんの隣が空いてるから、余ったカツオを食べていきな」
「隣に失礼します」
遠慮がちにベンチに腰掛けたかつらは味噌汁に口を付ける。隆はほぼ食事を終えているようだ。そのまま話し出す。
「実は、昨日久し振りに上野で映画を見たんだ」
かつらは味噌汁を一口飲むと尋ねた。
「どんな映画ですか」
「『素晴らしき日曜日』。もしかして君も」
「いえ、うちはとても映画なんか」
かつらはうつむいてカツオをつつき始めた。
「それなら中身を話しても大丈夫かな。お金のない若いカップルがランデブーするって話なんだ」
「ランデブー?」
「フランス語で『逢い引き』って意味さ」
「なるほど。でもそんな話、映画にして面白いんですか」
「うん、なんていうか、不思議な映画だったよ。途中で観客にカップルの女が呼びかけるんだ。自分たちのような若者を応援して欲しいって」
「まるで舞台みたい」
「誰もいない夜の野外音楽堂だったから、あながち間違ってないな」
かつらは隆の顔を見た。眼鏡の奥の目が優しそうだ。
「映画が久し振りに楽しめたし、日曜に特にやることもないから、映画代のためにたばこを止めようと思ったんだ。食事代も節約するから、ここにもあまり来れなくなるかな」
「それなら仕方ないですね。また面白い映画を見たら、話しに来てくれませんか」
かつらは自分でもどうしてそんな言葉が出たのか信じられなかった。隆はかつらの方を向き答えた。
「もちろんさ。では、お会計頼むよ」
立ち去る隆を見送りながら、かつらは心でつぶやいた。
(私にとっては今日が『素晴らしき月曜日』かな。康ちゃんにも映画の話、してあげよっと)
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