3. 蒼い瞳

 それからしばらくの間、僕の頭の中は、記憶の底から甦ったソアから聞いた話で頭がいっぱいだった。


 家の中は、いつも糞尿と残飯の臭いがこもっていた、とソアは言っていた。

 家を閉めきりにしていたのでそうなったのだろう、とも言っていた。



「最初はいつも仲がいいの。本当の家族みたいに。私も一緒にお出かけしたり、遊んだりしていたわ。

 二人でお出かけしたときに、逃げた方がいいよって言ったんだけどね、信じてくれないの。やっぱりうちに戻ってきちゃうのよね」


 ソアは淡々とした虚ろな声でそう話した。



 一体、なぜソアの家族はそんなことをするのか。


 ソアにもはっきりとしたことはわからなかったようだが、あやふやな口調で推測らしきものを述べていた。


「何かを閉じ込めていて、それが段々と汚くなって弱っていくと、ママもお兄ちゃんもお姉ちゃんも、何だか……凄く安心しているように見えた。『そこにいる』っていう感じがする。何かを閉じ込めなきゃ、自分たちがそこにいられないみたいな」


 僕には何だかよく分からない話だったし、正直さほど興味もわかない話だった。



 だが今は。

 記憶に残るその話に、ひどく興味が惹かれている自分がいた。


「何かを閉じ込めておくと、『自分がそこにいる』という感じがする」


 それはどういうことなのだろう?



 僕は耐えきれなくなり、ある日、妻にソアから聞いた話についてそれとなく話してみた。


 妻は、一体何の話をしているのか、という胡乱そうな目つきで僕を眺めた。


「この前、話しただろう? ほら、SNSで昔、知り合った子の話」


 僕が説明すると、妻はやっとソアのことを思い出したようだ。


「また、その話? どうしたのよ? 急に」


 妻は僕のことを疑い深そうな眼差しで見つめる。


「本当はけっこう仲が良かったんじゃない? その子と」

「いや、会ったことはないよ」

「本当に?」

「本当に」


 妻は僕のことをなおも見つめ続ける。

 まるで、陽が射し込まない森の奥深くにある、底の見えない湖を覗き込んでいるような気持ちになってくる。


 ふと。

 心に暗い翳りのようなものを感じて、僕は不安になった。

 その翳りに隠されて、目の前にあるものがどうしても見えないような、そんな気持ちになったのだ。


「ねえ、?」


 妻は動かない瞳で、僕を眺めたまま、奇妙に優しい声音でもう一度言った。


「あなた、本当にその子と会ったことがないの?」

「本当……」


 僕がかすれた声で囁くと、妻はゆっくりと微笑んだ。


「でも……あなたは、忘れたいことは全部忘れちゃうからな。『ここにあるもの』でも」


 その時、リビングとつながる奥の洋室で何か音がした。

 何かが必死にあがくようなもがくような、そんな音だ。



 突然、僕の内部で何かのスイッチが入ったかのように、五感から色々な情報が流れ込んできた。

 閉めきられた部屋の中にこもる、据えたような嫌な臭いがただよってくる。


 何でだ?

 今まで、こんな臭いがするなんて感じたことがなかった。

 隣りの部屋で、あんなに騒がしく蠢く何かがいるなんて感じたことがなかった。



 一体、



 僕は恐怖から、すがりつくように妻の顔を見つめ尋ねた。



 僕の目の前で妻が笑っていた。


 その瞳は。

 空よりも深い蒼色だった。 





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蒼空(ソア)~SNSで知り合った青い髪の女の子から聞いた不気味な話~ 苦虫うさる @moruboru

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