蒼空(ソア)~SNSで知り合った青い髪の女の子から聞いた不気味な話~
苦虫うさる
1. SNSで知り合った子
その日、いつも通り、僕と妻は並んで腰かけて、夕飯を食べ始めた。
僕も妻も、それほど話すほうではない。
夕飯では、その日あった出来事やネットで見聞きした話などをぽつぽつと話す程度だ。
断片的に飛び交う言葉の合間に、不意にどこかで聞いたことある言葉が耳に飛び込んできた。
僕は顔を上げた。
目の前のテレビの中で、スーツを着たアナウンサーが歯切れのいい硬質の口調でニュースを読み上げている。
画面の下のテロップには、「十八歳の女性、失踪から丸一年。『友人に会いに行く』と言って家を出たまま。未だに足取りをつかめず」という文字が出ていた。
捜査員たちが聞き込みをする様子を映した画面の下部に、失踪した女性のものと思しき名前が映し出される。
僕はその文字を食い入るように見つめた。
妻が食事をする手を止めて、驚いたように僕の顔を見つめた。
「どうしたの? 急に」
怪訝そうな妻の声には答えず、僕はテレビ画面に映った名前を呟く。
「松井……
「蒼空」と書いてソア。
よくある名前ではない。
むしろ凄く珍しい名前だ。
僕は同じ名前の人間に一年前に会ったことがあった。
彼女もちょうど十八歳くらいの女の子だった。
妻がまだ僕の顔を眺めていることに気付いて、僕は慌てて平静なフリをした。
「何でもない。ネットの知り合いだった子と同じ名前だったからさ。その子は本名じゃないと思うから、もちろん別人だろうけれど」
僕の言葉に、妻は面白くなさそうに眼を細めた。
「ネットの知り合いだった子? ふうん? 女の子なんだ?」
僕は強いて軽い口調で言った。
「君と出会う前だよ。もうほとんど忘れちゃったな。たまにリプをやり取りする程度で、大した知り合いじゃなかったしね」
嘘だった。
僕は妻と出会った後も、ソアとかなり親密なやり取りをしていた。
ソアとは気が合ったし、多少後ろめたい気持ちがないこともなかったが、会うつもりはないからいいだろうと思っていた。
ソアは魅力的な女の子だった。
控え目だがとてもしっかりした部分と繊細で動揺しやすい部分が混在していた。最初のうちは二人の人間が、共同でアカウントを運営しているのではないかと思ったくらいだ。
僕がソアと長く関わりを持ち続けたのは、彼女の二面性のある不可思議な性格に強く惹きつけられたからだ。
妻は疑い深そうな目で、僕を見た。
妻は妙に勘が鋭いところがある。
何もかも躍起になって否定するよりも、その勘にある程度迎合したほうがいい、ということは僕が結婚生活で学んだことのひとつだった。
「変わった子だったんだよ」
妻の疑惑と好奇心を満足させるために、僕はそう言った。
「時々、得体の知れない不安感がわいてきて、自分でもどうしようもなくなっちゃうんだってさ。医者には神経症の一種じゃないかって言われたって言っていたけれど。
誰かが自分を捕まえにくるような、そんな妄想が出てきて、警察に電話したくなっていても立ってもいられなくなるんだって。一人でいると所かまわず電話しちゃうんだ。そういう時にSNSでつながっている友達に、相手をしてもらったりしていたよ」
「あなたもその『友達』の一人だったわけね」
妻は皮肉っぽく言ったが、好奇心に負けたように口調を変えて続けた。
「一人で家にいられない、とかそういう感じなのかしら? 警察に電話しちゃうんじゃ、周りの人も困っちゃうわね」
「そうなんだよ、だからまあ、一種のボランティアっていうかな? そういうつもりで話し相手になってあげていたんだ」
僕はここぞとばかりに「ボランティア」という言葉に力を込める。
だが妻は、既に僕とソアの関係にはこだわっていないようだった。
「捕まえに来るって、誰が来るの?」
「警察、って言っていたな」
僕は記憶を掘り起こしながら言う。
「自分は悪いことをしてしまって、そのことがバレて警察が来るんじゃないかって言う妄想に怯えていたんだ。その妄想がひどくなると、いっそ自分から警察に連絡しようっていう気になるみたいだったよ」
「悪いこと? 何をしたの?」
「さあ? たぶん子供の時に万引きをしたとか親の財布からお金を抜いたとか……そういうことじゃないかな?」
何となく不安そうな妻の言葉に、僕は答える。
ソアと話すことは楽しかったが、妄想の話を聞くことは面倒だった。だからその話はろくすっぽ聞いていなかったのだ。
ソアは妄想が湧いたときは、相手が誰であれどんな態度であれ、誰かがいることだけを求めていた。
僕が明らかに面倒くさげな態度を取っても一時間でも二時間でもその話をした。
僕がソアから離れたのは、話を聞くことが面倒になったからだ。
彼女は若くて可愛い女性だった(だと思われていた)ので、僕が去っても代わりはいくらでもいた。
彼女のネットでの交友関係は、誰かが彼女に惹きつけられてまた去っていく、その繰り返しで成り立っていた。
妻がふと言った。
「その子、自分が何かをした、とかじゃなくて……何かを見たんじゃないかしら。見てはいけないものを」
僕はギョッとして顔を上げた。
「見てはいけないもの?」
「話を聞いていると、何かをしたって言うより何かに巻き込まれちゃったみたいな印象だったから……でも、今さらあれこれ言ったって仕方ないわよね。もう会わない人なんだから」
妻は僕の反応の強さに驚いたようだった。
深い意味があって言ったことではなかったらしい。
僕の視線に戸惑ったように視線をそらす。
何となく気味が悪くなったように強引に話を終わらせて、夕飯に集中し出した。
これ以上、この話に触れたくないことが明白だったので僕も黙り、夕飯を食べ始めた。
しかし、「ソア」という名前を再び聞いたその時から、ソアのこと、彼女から聞いた話が次から次に心に浮かび上がるようになった。
今まで忘れていたことのほうが、むしろ不思議だった。
ソアの話は、当時の僕にとって、聞くことが面倒臭いという以上に、ひどく気味が悪いものだったからだ。
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