第29話 暗闇の中 光る刃
『はじめまして。今回の討伐隊に参加を志願した
移動に一夜を過ごしたあと、空が白み始める前に僕たち討伐隊は出発しました。ここから移動には慎重を重ねて、誰も彼も一言もしゃべりません。緊張感が伝わってきます。
ゴブリンの巣穴を叩くなんてのは、冒険者をやっていれば何回かあることだと言います。ベテランの諸先輩方の中には余裕を見せる人もいますが、ゴブリンといえど数の恐ろしさは、良くわかっているつもりです。
舐めてかからないようにしないと…。』
◆1
夜が明けて空が白み始めるころ、森は霧に包まれた。
自分の隣にいるはずの仲間の身体が、半分消えているかのような感覚を覚えるほどの濃い霧。
その霧の先に反り立つ岩壁があった。地面から突然生え立ったかのような、その岩壁に洞穴がある。穴は深く、洞窟となっているようだ。
街から比較的近い場所でありながら、ついこの間までその存在が知られていなかった。
単純に人間の行動圏から外れていた事もあるだろうが、おそらくは発生して間もない新生の
洞窟の入り口には
見張りをしているのだろう。
周囲を警戒する素振りを見せながらも、片方の小鬼は暇そうに腰を落としては足元の蟻の列をボロボロになった槍の柄でつついている。霧にかすむその影は、無邪気な子供と変わらない。なんとも
不意に小鬼の鼻を甘い匂いが付いた。
足元の蟻に気をやっていた小鬼が反応して顔を上げる。
少し離れた場所からは何やら嫌な感じがする、しかし甘い匂いとは別だ。
小鬼は左へ顔を向ける、自分と同じにこの匂いに感づいていないかと、面倒にも見張りの番を申し付けられた相方がいた方に目をやる。
しかし濃い霧で、すぐそこにいるであろう相方の姿が確認できない。霧の向こうにうっすらとそれらしき影が見えるだけだ。
近づいて相方の姿を確認すべく、その腰を上げたその瞬間だった。
小鬼が見ていた世界はぐるりと回り、平行だった地面が垂直に立った。
何が起こったのか理解できない小鬼は、驚き声を上げようとするが、言葉が音にならない。口から吐く言葉で空気が震えないのだ。
そこで小鬼は自分が地面に倒れたことに気が付いた。
敵だ!仲間に伝えなくては!
小鬼は思った。しかし声を上げられない。
小鬼は別の方法を模索する、だが手が足が自分の物ではなくなったかのように動かない。
そしてその視界に影がかぶさる。
わずかに動いた眼球のその端でとらえたのは人間の足だった。
仲間の影だと思っていた、霧の先の影は憎き冒険者のものだったのだ。
次の瞬間、小鬼の視界は暗闇に覆われ、その闇が二度と晴れることはなかった。
◆実力
見事な手際だった。
隊の頭を進んでいた
すぐに脇にいた二人が大きく外から回り込む、同時に先頭付近にいた魔法使いが二人、呪文を唱え始めた。
消音と眠りの魔法。
消音の魔法は叶ったが、眠りの魔法は1匹にしか掛からなかった。
すると魔法使いの脇に控えていた
あとは、先に回り込んだ
隊列の最後尾からついて歩いていた夜雲が洞窟を視界にとらえる頃には、見張りとして立っていた小鬼2匹は始末され、誰彼の指示なく各班、各自が突入前の準備を整え始めている。
茂みの中、身を潜めていた冒険者達の視線が、隊を率いているシングゼイに集まる。
シングゼイは、右手を突き出し人差し指を立てる。
続けて中指と親指を立てて、”3”を表した。
”隊を3班に分ける”
次に、人差し指と中指を立てて横に振る
”先行して2班が突入”
その二本指を逆さに突き立てる
”しかるべき場所で待機”
今度は握りこんだ拳を横に振る。”0班”存在しない隊が突入する。すなわち1班分が突入する程度の
”時間をおいて”
最後に親指を立てて横に振った
”3班が突入する”
シングゼイに視線を注いでいた者たちが頷く、それにこたえるようにまたシングゼイも頷くと左手の手のひらを上に胸の高さに上げる。
合わせて、冒険者達の一部が立ち上がる、主に大楯を構えた重装の冒険者達だ。
シングゼイの左手が返されると同時に、洞窟へと向かって進み始める。
露払いと罠探知を行う第1班ということだろう。
今度はシングゼイの右手が翻る。
合わせて立ち上がったのは、軽装の冒険者たちだ。多くは杖を構えているところをみれば、魔法使いが多い火力を担った第2班のようだ。
先を進んだ重装の冒険者達とさほど距離を開けず、彼らもまた洞窟の中へと入っていく。
◆3 森の息吹
静かな突入だった。
夜雲はまた、ほぅと感嘆の息を漏らした。
「言わずとも隊が動くとは、見事な練度でござる。」
「簡単な
夜雲の感想に、シングゼイはふふんと鼻を鳴らすかの様に、少し自慢げだ。
まだ突入を行わず残っているのは、夜雲とシングゼイを含めてもかなり少人数になるはずだ。それぞれ、身を潜めているが気配は感じる。
「残った人数は随分少ないようでござるが」
「問題ないですよ。小鬼程度が何匹まとまろうが問題なく対処できる実力者達です。まぁ、ちょっとした新人研修も兼ねてますけど」
新人研修と言われて、目の前で身をかがめていた青年がぺこりと頭をさげた。
「カールって言います。まだ入ったばかりの新人ですけど」
少し癖毛の入った髪はくすんだ赤毛で、その襟足は刈り上げられている。タレ目勝ちな目元、自信なさげに下がった眉と合わせて、幼い印象を受ける。
身に着けているのは確かに心もとない装備かもしれないが、まだ細身で筋肉のついていない彼を重装で身を固めれば、その重さで動けなくなってしまうだろう。
「小次郎と申す。拙者も冒険者登録とやらを終わらせたばかりの新参者でござる。こちらこそ勉強させてもらうでござるよ」
「そんな、小次郎さんはフローラさんが、いや…その見てました!闘技場で、ギーズ…さんと、とやっていた、あの…っ!」
彼の中で、目に焼き付いていた記憶がよみがえる。冒険者
魔法が得意ではないカールにとって、夜雲は強く印象に残る存在となっていた。
その時、静かなだが森の中を綺麗に伝わる声。
「リーダー、洞窟前まで移動しよう。穴から
カールの言葉を遮ってシングゼイに声をかけたのは、先ほど見事に
少し離れた場所から、身をかがめたままスルスルと近づいてくる。
カールと同様に細身で軽装だが、それはしなやかな曲線で構成された女性の身体であり装備も
鍔広の帽子を目深にかぶり、長い金髪はおさげにまとめられ、長くきれいでありながらこれも邪魔にならない配慮がなされていた。
新人のカールに比べ、その出で立ちと装備の馴染み方は、まさしく様になっていると形容して間違いないだろう。
そして耳は特徴的に尖った形をしており、彼女がエルフであることを表していた。
「あぁ、キッシュ。そうしよう」
シングゼイは彼女の事をキッシュと呼んだ。その言葉にキッシュは頷く。
が、その時彼女の視線は夜雲の方に注がれていた。
「何か?」
その視線に夜雲が応えるも、キッシュと呼ばれた彼女はツイと視線を外して洞窟の方へ向かって歩き始めた。
「私たちも行こう、少しのあいだ洞窟の前で見張り番だ」
そういうとシングゼイとカールも彼女を追うように歩き出す。別の場所からこちらの様子をうかがっていた影が動き出す。残りの第3班だ。
洞窟の前に第3班が集まった。
魔法使いのシングゼイ・弓を使うキッシュ・軽剣士のカールの他に、重装に大斧を携えた大男ガンガロ。
第1班・第2班に比べて確かに人数は少ないが、洞窟の入り口を塞ぎ、先に突入した仲間達が挟み撃ちにならないように見張りをする分には十分な戦力のようだ。
カールがただ一人、気を張って周囲に目をこらしてやたらとキョロキョロしているが、他の者たちは落ち着いたものだった。
「落ちつきなさいカール。そんなに気を張っていては見張りをしているだけで倒れてしまう」
「でもキッシュさん、こんなに視界悪いのにどうやって…」
「見張り番だったら、昨晩もやっていたでしょ」
「それは、夜の時は他にみんながいましたし、穴の奥で戦闘状態になっちゃってるって思ったら、緊張感が違うというか」
しどろもどろと応えるカールに、キッシュは呆れたようにため息をつくと、キッと鋭い視線で彼を睨みつける。
「あのね、夜も今も見張りは見張り!昨晩の時は手を抜いてたとでも!」
なおも怒鳴りつけて詰め寄ろうとするキッシュとカールの間に割って入る影があった。
「まぁ、まぁ。でござるよ。」
夜雲だった、行軍の間あまり誰とも話したがらなかった彼らしくもなく、人懐こい気を張らない声で二人の間を遮った。
「見張りと言うのは、地味で簡単に見えても責任の大きなものでござる。
そういうと、夜雲はカールの首に腕を回して、グイと引き寄せる。
夜雲の顔とカールの顔が近づく、もう少しでカールの若くもっちりとした頬肉が、夜雲の無精髭で擦り下ろされそうになる。
「…っちょ!」
思わず声を漏らしたのは、カールではなくそれを見たキッシュだ。
瞬間は理解が追い付かなかったが、すぐに夜雲の行動が何を意図したものかを理解すると鍔広の帽子を深くかぶり直した、帽子の奥から少し紅潮した頬が見えている。
「見るでござる」
夜雲が指さす方に、カールは視線を流した。
顔の距離は近いはきになるが、夜雲と視線の高さがあってどこを見せようとしているのかが分かりやすかった。
「拙者たちが身を隠していた茂みでござる。あれは遠くて、深くて…日差しが差し込み始めて霧が薄くなってきた今でも、あそこに人が気づきにくいでござろうな」
「はい」
カールが返事をすると、夜雲はまたグイッと体を捻った。捕まえられているカールも合わせて動く。
「右に一段と太い木の幹があるでござる」
「裏側に2.3人隠れられそうですね」
「そうでござろう。なれば、どうしても目につきやすい。その裏をつき、その影を利用してあの茂みまでで進行を留めた斥候らの手腕は見事でござる」
「でも、逆をいってしまえば、ここからじゃ見つけにくいってことじゃないですか」
カールの質問に、夜雲は首廻していた腕をほどいた。
「感じてみるでござる」
「感じるですか…魔力を感じろ!とかよく聞きますけど、自分はそれが余りうまくなくて…」
「魔力でござるか、拙者は魔抜けとやらでござるから。残念ながら、魔力の感じ方は教えられんでな」
「いや、そんな…」
夜雲の戦いに魅せられて少なからず尊敬の念を持っていたカールは、そんなつもりはないと言わんばかりに言葉を詰まらせた。
「いやいや、地下での立ち合いを見ていたのであれば、先の
と言いながら、夜雲はカールの両肩を掴み、彼をぐるり反転させた。カールの背中に夜雲が立ち視界から外れる形となった。
「あの、なにか…っ!!」
と夜雲の意図を読みかねたカールが言いかけた瞬間の事だった。
カールの背中と首筋からどっと汗が噴き出した。
(圧だ!何か分からないけど、感じる。途轍もない何かが、自分の後ろにいる。
いま自分の後ろにいるのは、小次郎さんのはず!でも、あの人なんかよりもっとデカい何かが自分の後ろにいる!)
カールを襲うそれは恐怖だ、当の本人はそれを理解できていない様だが、とにかく後ろを振り返えることが出来ない。
(なんだこれ!なんだこれ!なんだこれ!やばいやばいやばいやばい怖い怖い怖い怖い!!無理無理無理無理無理無理無理!)
思考が追い付かない、圧力に内臓が口から飛び出すかのような感覚に襲われる、視界がグルグルと回って気持ちが悪い。
せめて目が回る事だけでも何とかしたいと、カールはグッと目を閉じた。
世界が黒く染まった。視界を閉じたことで他の感覚が研ぎ澄まされた。
視界は暗いが波打つものが見える。瞼の裏だ、波打つものは血液の流れだろうか、鼓動と共に動くのが分かる。繋がって自分の体内を血液を流れる音が聞こえる。内から外へ、外から内へ、その流れに乗って”何か”感じる。
”何か”といったが、それが何なのかカールには確信はあった。
(僕の魔力だ)
これまで、ただ何となくでしか感じることが出来なかった自分の魔力が、こんなにも強く波打って、後からの圧力にあらがおうとしているのが分かった。
その瞬間である。
一筋の銀光が閃いた。
それは暗闇の中、カールの胸から生え出たかのように表れた。
(刺された!!)
痛みはない、しかし間違いなく刺された。
暗闇の中、生え出た銀光の場所が、流れていた血液が噴き出る感じが、ようやく感じることが出来た魔力の様子が、多くの感覚が自分は刺されたことを頭に伝えてくる!
「くはっ!!」
カールはカッと目を見開くと、そのまま正面に両腕をついて倒れ込んだ。
丁度四つん這いになる形となり、顔面を強打することは
「…カールっ!!」
一泊おいてハッとしたキッシュが彼の元へ駆け寄る、腰を落とし優しく彼の背中をさすり始めた。
彼女の手が、彼の背中に触れた時に、ようやくカールは気付く。
「刺されてない」
自分の腕でも、胸をさすって確かめてみる。
刺され貫かれたと思ったところは、穴が開くどころか、血の一滴も出ていない。
「あっ、あれ?」
四つん這いから、地面に座り込む体制にすると、ペタペタと自分の身体を触り始めて変りがないことを確認する。
「…おっ、お前やりすぎだ!」
そう叫んで夜雲の胸倉をつかみ上げたのは大男のガンガロである。だがそのガンガロも気が付く、男の胸倉をつかみ上げた自分の手のひらが汗で湿っていることを。
「感じることは出来たでござるか」
掴まれた胸倉を指して気にする様子もなく夜雲は言う。
「えっ、えぇ。見えてないのに、小次郎さんの存在がはっきりと」
「それは重畳。魔抜けの拙者を感じることが出来たというのであれば、気配をとらえる方法は魔力とやらだけではないという事でござるよ。今のはかなり分かりやすくやったでござるが」
ガンガロに掴まれていた腕をほどき、夜雲もカールの隣に膝をついた。
「立てるでござるか?」
カールに対して手を差し出す夜雲の背中をガンガロは訝し気に見ながら言う。
「分かりやすくって…お前、あれは殺気だっただろ」
吐き捨てるように、ガンガロが言う。しかし夜雲はさして気にした様子も見せず、カールを引き上げて立ち上がる。
「そうよ、殺気!あなたカールを本気で殺す気だったんじゃないの!?」
今度はキッシュが突っかかってくる。カールの無事を確認してホッと息をなでおろしていた分、反応が遅れた。
同じ怒りだが、彼女の場合はまた別の感情で突き動かされてるようにも見えた。
「キッシュさん、やめてください!」
遮ったのはカールだ。
「でも、カール!」
「僕は大丈夫ですから、それに小次郎さんのおかげで・・」
そう言うとカールは自分の胸の前で、両手を広げた。するとすぐにその手と手の間が揺らめき始めた。
夜雲はそれが何か分からなかったが、キッシュは直ぐに気が付いた。
「それ魔力…あなたあんなに苦手だったのに」
カールの所作は、ごく簡単な魔力操作。魔法を使って行く上で基本的な基礎訓練のようなものだ。彼はこれが極端に苦手だった。そしてそれが魔法使いをあきらめて、彼が剣士を目指した理由でもある。
「さっき、自分の中にはっきりと感じられたんだ。すごい怖かったけど、これは小次郎さんのおかげです。」
彼の目はさっきまでのどこか怯えた感じとは違い、強い光を宿していた。
(生きて帰れば、使えるかもしれん…)
カールの手の中の魔力の渦を見て、シングゼイがポツリと漏らした。
その言葉は森の騒めきによって儚くもかき消えて行った。
まもなく3班も突入の時間となる。
・・・続く
マヌケな侍と魔法の国 ~リボンの武士異世界へ行く~ 餡蜜ぜんざい @anmeetszenzai
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