殺戮オランウータンを待ちながら

狐狸田すあま

殺戮オランウータンを待ちながら

わたしが目覚めると、目の前には血に塗れた一匹のオランウータンがいた。正確には、そう呼称されていたもの、だが。

オランウータンだったものは、長い腕を真っ白な床に投げ出し、濁った灰色の目で虚空を見つめている。よく見ると腕の関節があらぬ方向を向いていて、全てが逆向きに折られているようだ。さらに首に何者かに噛みちぎられたような痕がある。血塗れなのはそのせいだろうか。

ここは宇宙ステーション。

地球移民プロジェクトのために用意された施設。

わたしは先発隊としてこの星に一番最初に投入されたグループのメンバーのはずだ。先発隊が星を調査、ある程度環境を整えた後、順次研究者や入植者たちが投入されていく計画。

そしてここは入植者たちの生活エリアの入り口。真新しいシーツを思わせるような白い床に、点々と真っ赤な血が滴っている。

赤と白のコントラスト。それ以外には色のない世界。

わたしは更に辺りを捜索し、他の生命体を探した。

先発隊のメンバーは知っている。学習プログラムのとおりであれば。

巨大な建造物の中を、壁に沿って歩く。

物音を感知できるよう、静かに歩く。

そしてやっと、一つの部屋に辿り着いた。

メンバーに与えられるはずの個室。

その部屋の隅に、膝を抱えた子供が座っていた。辺りには自動で配給される宇宙食のカケラが散らばっていた。どうやらわたしより先に目覚めていたらしい。

子供はこちらを目で追っている。だから生きている。

こちらから通信信号を送った。


「はじめまして。わたしはアン。あなたと同じ先発隊のメンバーです」

「ぼくはオリバー」


相手も通信信号を返す。学習プログラムは機能しているようだ。


「きみは……今起きたばかり?」


眠たげだった目が見開かれた。驚いたのかもしれない。それは先程わたしが目撃したものに関わりがあるのか。


「ねえ、さっそくだけど推理してみない?」


推理、という聞き慣れない言葉には心なしか、この状況下を楽しもうとしているかよような不謹慎な響きがあった。


「ここで一体、何が起きたのか」



***




「状況を整理してみましょう」


快い、不思議な響きの声を持つ彼女は、ぼくの唐突な問いかけにもすぐ適応してみせた。さすが、このプロジェクトに選ばれただけはある。

まるでミステリー小説みたいだ、とぼくはわくわくする。コールドスリープ中に何度も読み返した、鹿撃帽にパイプを加えた名探偵を思い出した。このプロジェクトにぼくを送り出したヒトたちは、こんな状況を想定してはいないだろうけれど。


「それでは、一緒にこの星の調査及び捜査に行きましょう」

「ぼくも行っていい?」

「もちろん。調査にはあなたの手も必要です」


ぼくは個室を出て、アンについて行く。

彼女は音もなく白い建物の中を移動した。ちょっとしたコツでもあるのだろうか。滑らかな動きとともに先に進んでいく彼女の後ろ姿を見失わないよう、ぼくはがんばった。真っ白い廊下がどこまでもどこまでも続いていて、目が痛くなりそうだった。


移動中、アンはぼくに施された睡眠学習プログラムの確認をしたかったらしく、色々なことを質問された。それともこれって尋問だろうか?名探偵が事件の関係者に話を聞くような?

アンの話はぼくにとっても有益だった。ぼくが今の状況をちゃんと把握できているのかの確認もできたから。

ここはぼくらがもといた星とはとても遠く遠く離れた惑星らしい。環境の悪化した星から引っ越すためのプロジェクト。

最初から生存に適した惑星を探すのではなく、ぼくらのような先発隊を派遣して、テラフォーミングした後に入植する、という方法を採用しているのだそうだ。このあたりの情報はコールドスリーピング中の睡眠学習で習熟済みのことだったのだけど、ぼくにもちゃんと理解できていてほっとした。

あとプロジェクトの進行についてぼくが把握しているかも確認された。

実は先発隊のメンバーには色々な役割が課されていて、星の調査もそうだけどぼくの場合にはーーこの星での生殖という任務がある。

学習プログラムの中にも教本として、簡単な性教育や恋愛小説なんかが入っていたのもそのせいらしい。長い旅の間の娯楽かと思ったらそんな役割があったなんてびっくりした。ぼくは睡眠中に読んだフィクションだとミステリーも好きだったけど、それにも論理的な思考を獲得するためという名目があったらしい。なるほど考えられている。

そんな話をしながらぼくらは星を巡った。

星の調査はすぐに終わった。見渡すばかりの黄砂。宇宙服を着込んでいても砂埃で煙くなりそうな、荒れた土地。この星由来の生命は、肉眼で見る限り見つからない。

植物が生えていて原生の動物がいるような星であればぼくの役割もあったのだけど、これでは難しそうだ。

砂漠の中にそびえ立つ宇宙ステーションは、星の中でもよく目立っていた。ステーションの裏側以外では、黄砂のせいで少しクリーム色のようになった大きな建造物を確認することができた。


星の調査は2時間程度で終わった。

そのあとは宇宙ステーションに戻って、コールドスリーピングされたヒトたちがいるかを探した。

このプロジェクトでは、ぼくらは小型の宇宙船兼冷凍睡眠装置に乗船した後、射出される。冬眠したような状態であれば、生命維持もコストが下がるので宇宙船も小さくできる。そして目的地の宇宙ステーションに到着したあとは、ステーションにプログラムされた適切な処置を施されて目覚める。今のところステーション到着前に目覚めてしまったケースはないらしい。あったとしても死亡例として報告されているだけかもしれないけど。

冷凍睡眠中に死亡した場合、宇宙船は乗組員の死を観測した段階で自国の星に帰還するそうだ。乗組員を祖国で弔うためなどではなく、コストが少ないとはいえ割高な宇宙船を再利用したいという理由らしいけど。

だから解凍を行う処理施設にも確認したのだが、今解凍中の宇宙船はなかった。

ぼくらの他には誰もこの星には来ていない。


「これですべての可能性を検討することができます」


彼女はそう切り出した。


「ぼくにも聞かせてもらっていい?わからなかったら、質問したいから」


「承認します。ではまず、犯人の定義から始めましょう。死亡していたオランウータンーー彼女、と呼称しましょう。彼女の死因は、首の咬創による失血死です。あの痕は刃物などの人工物で切り裂かれたものとは考えにくい。また未知の病気やウイルスで死んだのではありませんでした。ですから犯人は、『彼女の首元を噛んだ何か』です」


「うん。続けて」


「まず彼女は宇宙船に乗り込んだ段階では生きていたはずです。このプロジェクトは死んだオランウータンをよその星に送るプロジェクトではありませんから。そして宇宙ステーションに到着したということは、旅の途中でも生存していたということです」


「移送中に死亡が確認された場合、宇宙船は自国に帰還するようにプログラムされている」


「そうです。つまり彼女はこの星に到着した後に死んでいる。そして正しく解凍された後に目覚めたと思われます。冷凍中に噛まれたのなら、大量に出血するとは思えません。解凍中の事故、という可能性も、何かに噛まれたような傷、ということで除外してもいいように思います」


「犯人がこの星由来の未知の生物という可能性は?」


「わたしたちが生物として感知できなくとも、この星にもまだ未知の生物がいる可能性はありますが、それは砂によって否定されます。宇宙ステーションの真っ白な床には、赤い血のほかに何もなかった。黄砂はどこにも見当たらなかったのです。もし宇宙ステーションの外部からやってきたものであれば、黄砂がどこかに残されているはず。あれだけ砂埃が舞っていたのだから」


アンとたどった真っ白い廊下。どこまでもどこまでも続く真っ白い廊下。

そして外から見上げた時、クリーム色になっていた宇宙ステーション。

確かに、宇宙ステーションの中に黄砂は確認できなかった。


「ですので、犯人の候補として残されるのは、わたしとあなたですがーーわたしは彼女を噛むことができません」


つるりとしたガラス玉のような目がぼくを見ている、ように見えたのはぼくの気のせいだろうか。彼女は滑らかに移動をすることはできるけれど、その身体はのっぺりとしていて、音声も口から発したものではなくどこからか通信信号を鳴らしている。彼女には口が存在していない。


「ではなぜ、あなたはわたしに『何が起きたのか』推理してほしいと言ったのでしょうか。それは、純粋に知りたかったのですよねーーわたしはあなたの睡眠学習のテキスト内容を把握しています。あなたは」


彼女に挨拶をしたかったのですね、と。

ぼくのお世話をしてくれるAIロボット「アン」は、そう推理をしてくれた。


***



ぼくは彼女を永い間待っていた。


一番古い記憶は、森の中。大きな人に連れられえ入った建物。ぼくには使命があるのだと教えられて、その後コールドポットに入れられた。

僕の体は眠っていたけれども、夢の中でたくさん勉強をした。

外の世界で生きていくための実用的な本も読んだけれど、ぼくが好きだったのは物語だった。たくさんの小説を読んだ。サイエンスフィクション、ファンタジー、ミステリー。不可思議な事件を鮮やかに解く名探偵が精緻な論理で謎を解くのにはわくわくした。お気に入りの作家もできた。エドガー・アラン・ポー、アーサー・コナンドイル、アガサ・クリスティー。

色々な文章を読み漁ったが、だんだん読み慣れてくると恋愛小説が好きになっていった。何気ない日常で恋に落ちる、気が付けばすれ違い、成長しながら恋を育てていく。

そしてぼくは知った。ぼくのお姫様。それは物語の中で様々に姿を変えてぼくを魅了した。恐ろしい怪物に囚われたお姫様。氷の中に閉じ込められたお姫様。最愛の人であったはずなのに、記憶を無くしてしまったお姫様。


だからぼくは待っていた。目覚めて、到着した星に、必ずぼくのお姫様がいるのだと。その子はきっとぼくの目覚めを待っていて、ぼくがコールドスリープから目覚めたら、一緒に喜んでくれて、ぼくは彼女と愛を育む。そして星を緑化しながら、幸せに暮らすのだ。


そしてぼくは冬眠から目覚めてーー彼女に出会った。

そして記念すべき邂逅の時、かの有名な名探偵が、のちに助手となる男にやったように。

握手を求めてーー


「オランウータンの握力はメスよりオスの方が強いのです。そしてコールドスリープされた身体では、制御が聞きにくかったのでしょう。触感も鈍くなっていたのでしょう」


そう、ぼくにはわからなかった。


だから今度は彼女に親愛の表現としてーー


抱きしめて、首元にかじりついたーー


「キスをする、という表現の一種に、首元にかじりつく、と書く場合がありますね。でもあなたはそのままの意味と取ってしまった。それがこの結果、ということです」


QED、とAIロボットはそう締めくくった。そして押し黙る。彼女はこれからどのように緑化を進めるか、計算を始めているのだろう。オスとメスのつがい、その片方を損失した状況を、プロジェクトの遂行のために。

でもぼくにはもう、物語を進めることができそうにない。

ぼくにはもう、手を差し伸べてくれるヒロインがいないのだから。


もうぼくには、物語を終わらせてくれる存在を待つしかない。それは目の前のAIロボットかもしれないし、この星の厳しい自然かもしれないし、ぼくよりももっと強く賢い、恐ろしいものかもしれない。


そしてぼくは思い出す。


ありとあらゆる物語の中には、電子網上の文章をまとめたものもあって、市井の人たちが戯れに書いた物語もたくさんあった。

その中の胡乱な物語にあった言葉。二つの不連続な、意味の通らない言葉。

今ならきっとわかる。


ぼくこそがーー殺戮オランウータンだったのだと。


だからぼくは待っている。

物語を終わらせてくれる、殺戮オランウータンを。


(了)

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