第311話 広島周辺の探索者&ダンジョン事情その14



 世間は瀬戸内海に突然に出現した、“アビス”と“浮遊大陸”に色めき立っていた。そして、これを好機と判断した勢力も実は一部に存在していて。

 それ以前に、瀬戸内近郊のダンジョンの半数以上が活性化して大変な事態に。その沈静化にと、多くの探索者が駆り出されて一時期大騒ぎとなっていたのも事実。


 各都市の探索者支援協会では、そんな対策に追われて“アビス”や“浮遊大陸”は後回しに。それはA級の甲斐谷チームや、各々の有名ギルドも当然ながら同じ事。

 とは言え、西広島の一部地域のような一斉オーバーフロー騒動は、他の場所では起きなかった。つまりアレは、どうやら“喰らうモノ”の影響だったらしい。

 それでも活性化からのオーバーフロー騒動は、各地で散見されて。


 今回は予知からの準備態勢も整っていて、幸いにも被害は最小で済ませる事が出来た。5年前、いや6年前の“大変動”の再来かと恐れていた者達は、ホッと胸を撫で下ろす次第である。

 広島の協会本部の葛西かさいも、これを“春先の異変”とめい打って事前準備は怠っていなかった。その甲斐あって、1週間も経たない内に事態は沈静化の方向に。


 その報告を受けて、葛西もようやく一息つく事が出来たのだった。ところが、新たな災難を巻き起こす一報が、何と三原の方面から飛び込んで来たのだ。

 つまりは“ダン団”の連中が、協会を出し抜いて“アビス”に到達しようと動いたとの報告が。自衛隊の保存する軍艦で、一番乗りをしようと瀬戸内海に向かったらしい。

 それを聞いて、信じられないと目を見開く葛西本部長。


「連中はあの魔素の濃さを見て、何とも思わないのか? 肉眼で見える程の濃度だぞ……下手をすりゃ、乗組員全員が“変質”で取り返しのつかない事になるぞ。

 こんなバカな作戦、命じたのは一体誰だ!?」

「恐らくは、“ダン団”と通じた政治家の誰かでしょう……一番乗りで権利を主張して、あるかどうかも分からない富を得ようとの算段でしょうが。

 本部長のおっしゃる通り、“変質”での犠牲は“大変動”以降最悪の数値になるかも知れませんね。向こうの抱える“聖女”が、果たしてそれにどの程度対応出来るかは不明ですが。

 政治家の無茶な命令で、犠牲が増える事態は防ぎたいものです」


 そう口にする葛西の片腕の秘書は、6年前の“大変動”を共に乗り越えて来た戦友でもある。つまりは皮肉でも何でもなく、心から今回の事態を憂慮ゆうりょしているのだ。

 そこまで親身になれない葛西は、それでもその作戦に同行する元同僚の自衛隊員には同情のコメント。それ以上のアクションが出来ない事には、本当に辛い思いを抱えつつ動向を見守る事に。


 それから、せめてすぐフォローが出来る態勢を図ろうと、そう指示を出しておいて。当然の事ながら、瀬戸内海付近の騒乱が治まったら、次は“アビス”と“浮遊大陸”の問題に取り掛からないといけない。

 “アビス”はともかく、“浮遊大陸”は広島市内からも見える巨大さである。噂では、瀬戸内海で最大の大きさの淡路島の倍以上はあると推定されている。


 そんな巨大な“浮遊大陸”の内情など、現時点では誰も知る者などいない。“巫女姫”八神の予知では、敵対勢力は潜んでいるだろうとの話ではあるけど。

 飛行機での接近など、さすがに危険すぎると“ダン団”の連中も判断したのだろう。そちらへの関与は今の所報告されておらず、一応は安心と言った所か。

 ただまぁ、ああも堂々と居座られるのも居心地が悪いのも確か。


「しかし……下手にやぶをつついて、毒蛇を出さなきゃいいが」

「毒で“ダン団”の連中が、揃って倒れてくれれば手間がはぶけるんですがね。欲をかき過ぎた連中の顛末は、世界中の童話を読むまでもなく同じですよ。

 巻き込まれた軍艦の乗組員は、本当に気の毒に思いますが」

「そう辛辣な事を口にするな……ウチも一応、瀬戸内海が落ち着いたら“アビス”に渡る手段を整えなきゃな。どの道、放っておいて消えてくれる類いのモノでも無いだろうし。

 甲斐谷チームに、もうひと働きして貰わなきゃならんな」


 ――とは言えこの問題、現代の人類の力で解決出来るのだろうか?









 護衛艦“いずも”の艦内は、一言でいうと悲惨な有り様だった。乗組員のざっと3割が、“変異”で精神や肉体に異常をきたしたのを皮切りに。

 慌てて引き返したのは良いが、そこからは上からの『命令』と自分達の『命惜しさ』のせめぎ合いで。今の所は、一緒に乗り込んだ狂信的な“ダン団”教団員の意志がやや優勢か。


 つまりは『聖女』の特殊な能力で、“変異”した乗組員に治療を施しつつ。魔素の濃度の比較的低い海上で、“アビス”に乗り込む機会を窺う的な。

 護衛艦“いずも”の館長は、最初こそ幾ら『聖女』だろうと“変異”した者は癒せないだろうと高をくくっていたのだが。その奇跡を目の当たりにして、考えを改めてしまった。

 これなら或いは、“蘇生”が出来るとの噂も本当かもと。


 なるほど、政治屋が協会を排除して新たな組織を立ち上げるに、充分な屋台骨には違いない。その恩恵にあずかれるのなら、少々の犠牲をいとわない者も多いだろう。

 艦長も間近で、この“聖女”と名高い石綿いしわた星羅せいらと言う少女を見掛けた事はあったのだが。線の細い小娘だなとの、そんな印象しか抱けなかった。

 つまりは、担ぎ上げるにはか細過ぎる神輿みこしだなって感想で。


 それにしても、政治屋の欲望には恐れ入る。せめて魔素が落ち着くまで、近付くべきではないとの周囲の真っ当な意見を無視してコレである。

 フォローに奔走する“聖女”が、本当に可愛そうに思えて来る。とは言え他の手段も見当たらないし、艦長にしても部下の治療は有り難いので文句も言えない。

 ただし、元を正せばその原因は強引過ぎる上からの命令に他ならず。


 その体制は、あの“大変動”を辛うじて乗り切った現在も変わりがない。最前線の現場はダンジョン攻略どころでは無いのに、上の連中は知らんぷりで利益しか興味を持たない有り様である。

 艦長も人道的には協会寄りだが、高給を約束されている身分だけに指摘も出来ない。そんな訳で、少々の難題には文句を言わずに従ってしまう身の上を恨みつつ。

 それでも、やっぱり現状での“アビス”上陸は無理!


 その代わりと言ってはアレだが、軍用ドローンでの撮影&情報集めは割とはかどっている。現状で“アビス”の全容は、誰より先行して把握する事が出来た。

 それで分かったのは、予知の能力って凄いなって言う事くらいだろうか。本当に“アビスは”海に空いた穴で、その穴の底は深遠で異界に繋がっている様な不気味さをかもし出している。


 その全長は定かではないが、だいたいの大きさはドローン空撮の情報から判明した。直径は約1キロ余りで、筒の厚さの部分は100メートル程だろうか。

 海上から10メートル程度しか顔を出して無いので、傍目からは大きな建物には見えない。ただし、内側を覗き込むと、その異様な塔のような形状は凄味がある。

 そして、その内側の深さは1キロどころか計測不能と来たモノだ。


 艦長はダンジョンについては良く知らなかったが、なるほどこれは大きな部類に入りそう。飛ばしたドローンの大半は、その過酷な環境に耐えられず全て任務途中で墜落してしまった。

 それでも、階段やダンジョンの入り口らしき扉は幾つも映像から窺えて。そう、何故か入り口は幾つも存在するのだ……そんな構造、普通では有り得ないのだが。


 それを伝えた“ダン団”の関係者は、嬉々としてその情報に悦に浸っていた。どうやら敵対する協会を出し抜いた事に、優越感を抱いているらしい。

 その為に払った犠牲など、歯牙にも掛けぬその傲慢さに艦長は苛立ちながら。どうかその罰に、彼らが今後大いにさいなまれますようにと祈る位が関の山。


 そして祈ると言うキーワードに、胸中でゲンナリする破目に。狂信者“ダン団”の実行部隊は、探索者としての実力もそれなりに兼ね備えているみたいではある。

 ただし、“アビス”ほどの深遠ダンジョンを、一朝一夕で攻略出来る程では決して無い。そしてその頭上に出現した、“浮遊大陸”についての情報は全く無い有り様と来ている。

 何しろあの高さでは、ドローンすら到達不可能なのだ。


 だからと言って、果たして放っておいて良いモノかも判然としない。それでも観測を続けた結果、あの大陸は少しずつ移動していると判明した。

 どうやら魔素の流れに乗って、中国地方の方向に近付いているみたい。その大きさは、観測データによると淡路島のおよそ3倍だそうである。


 そんな大きな島に上空に居座られたら、日の光をさえぎられて地上は大変である。艦長が思ったのはその程度だが、その大陸に異界の住人が生息する可能性も捨て切れない。

 いや、予知によるとその存在は確実だと断定されているそうである。ただまぁ、その凶悪性や人類との敵対の可能性は、今の所は論じられてはいない様子。

 それも当然、こちらから上陸する手段は今の所無いのだから。


「やれやれ、こんな場所での足止めは一体いつまで続くのかねぇ。政治も宗教も、好んで関わるもんじゃ無いな、全く……。

 さっさと仕事を終えて、港に戻りたいもんだな」


 ――それは艦長の、心からの偽らざる本音だった。









 “喰らうモノ”の目論見は見事に成功して、口を開けてすぐに入って来た追跡者の撃退には成功した。それは喜ばしいのだが、誤算もチラホラと出て来ているようだ。

 “ダンジョン”のコアを喰らったのは、果たして良かったのかどうか。何しろダンジョンの特性と言うか、侵入者に宝物を差し出す気前の良さと来たら!


 まさに『盗人に追い銭』である、そんな事をして侵入者があふれる様になったらどうすんの? そんな習性は引っ込めたいのだが、何故かダンジョン特性の方が優位に立ってそれもままならず。

 自分の体内の事なのに、好き勝手出来ないもどかしさと来たら。そんな訳で、強大な敵を配置するのに比例して、宝箱の中身も豪華になって行くと言うジレンマ。

 仕舞いには、それも仕方無いかと開き直る破目に。


 それにしても、4チームの並列攻略のトラップは思いのほか機能してくれた。それで万一、トップクラスの探索者が揃ってしまったら、大事には違いないのだけれど。

 “喰らうモノ”が口を開けた世界に、そんな実力者が出現するのは遠い先の話である。彼は以前に予知能力を有する生き物を喰らった事があり、危険度の計算には自信があった。


 その計算通り、5層の中ボスまで到達したチームは、3チーム中2チームだった。その内の1チームも、中ボスに敵わず逃げ去って行った。やはり自分の難敵は、異世界から追って来た追跡者に他ならない。

 ただし、裏を返せばこちらの世界のチームは、まだまだ鍛錬が足りていないと言う事だ。その時間を有効利用して、こちらがもっと成長を遂げれば良い話。

 実際、“喰らうモノ”の最深階層は、現在10層まで伸びていた。


 ここまで来れば、厄介な侵入者に唯一のアキレス腱であるコアをさらす危険もグンと減る。最終ボスもうんと手を加えて、敵のトップチームにも引けを取らない強者を生み出す事に成功した。

 そのため、結構な魔素を消費したせいで、今後の成長はやや緩慢になってしまうけれど。背に腹は代えられない、自分は倒される訳には行かないのだ。


 彼は強欲な殺戮者と見られがちだが、彼が“喰らう”のは別に強烈な食欲が原因ではなかった。ただその生存欲の渇望に従って、“知恵”や“経験”を得るために食事をするのだ。

 自身の“経験”など、その活動範囲や生存期間からすれば物凄くちっぽけである。それをおぎなう為の能力が、相手をその“経験”と“知識”を得る行為なのだ。

 この生存本能により、“喰らうモノ”は世界で唯一の存在になりつつあった。





 ――そしてその欲望は、こちらの世界でじっくりと居を構えて行く。









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