第300話 春先の異変が突然に牙を剥く件



 その日は朝から、何となく不穏な空気が来栖家に付きまとっていた。どこがと言われればハッキリとは言えないが、例えばペット達の醸し出す雰囲気とか。

 どことなくピリピリしており、ハスキー達の家の周囲の見周りも、いつもより気合が入っている気も。それから末妹の香多奈が、嫌な夢を見たと朝方に飛び起きて来たのも1つの大きな要因。


 末妹の普段の寝起きは最悪で、冬場は特に二度寝チャンピオンである。家畜の世話の為に早起きする生活は、5年目に突入して慣れているとは言え。

 いつも一番最後に2階から降りて来て、姫香に朝から怒鳴られるのが常である。ところが、この日は珍しく一番手に置き出して、ミケを抱きしめ叔父の部屋へ。

 抱っこされたミケも、どことなく心配そうに末妹を窺っている。


 こんな騒動だが、実は5年前に姉妹を引き取った時は割と頻繁に起きていた。その時の香多奈はまだ6歳程度で、小学校に上がる前の年頃だったか。

 両親を亡くした事といきなり始まった田舎生活に、精神的に参っていたのだろう。その時は姉の姫香と、もちろん護人も可能な限りのサポートに尽力した経緯けいいが。


 それが段々と落ち着いて行って、元の快活な性格に戻るのに1年程度は掛かっただろうか。そんな過去があるだけに、護人は冷や冷やしながら末妹の対応をするのだが。

 どうやら内容は覚えていないけど、とっても怖い夢を見たと話の内容はあやふや。ひょっとしたら、勝手に生えて来た予知スキルのせいかもと勘繰るも。護人にはどうする事も出来ず、ただ背中を優しく撫でてあやすだけ。

 姉の紗良と姫香も、半泣きの末妹には心配そうな表情。


 それでも朝の業務はこなさねばと、手伝いに来てくれたお隣さんと家畜の世話をいつも通りに行う。朝食の支度が整う頃には、香多奈も幾分か落ち着いた模様。

 小学校を休むかとの叔父の提案も、仲良しの6年生と過ごすのもあとたった数日だとの末妹の返答。だからちゃんと行くとの事で、それを止めるすべも無し。


 3月の青空市が終わって数日、その日も晴天で気温はまずまず温かさを増して来ており。護人はいつも通り、香多奈を車に乗せて学校へと送り出す。

 そんな末妹の小学校スケジュールだが、あと1週間で6年生の卒業式があるそうだ。今年の卒業生はたった6人で、それでも顔見知りとのお別れは寂しい限り。


 今日も卒業式の予行演習があるそうで、それが終わると間もなく楽しみな春休みである。ただし春と言えば、今年の日馬桜町に限っては必ずしも待ち遠しくないのも事実。

 何しろ色んな予知者が、かなりの規模の凶事が訪れると口を揃えて発言してるのだ。春の定義は難しいけど、もうすぐなのは間違いは無い。


 それに備える来栖家チーム『日馬割』だけど、嬉しい誤算もチラホラ。まず1つ目は、兼ねてから協力を申し出てくれていたA級ランカー勝柴かつしば率いる島根県チームの存在である。

 つまりはチーム『ライオン丸』が、3月の青空市の前から町に滞在しているのだ。この日馬桜町に宿泊施設は無いので、キャンピングカー泊を続けているらしい。


 場所は協会の敷地内で、ウォーミングアップの為か近場のダンジョンにも潜っているそう。そんな情報が、間接的に協会支部長の仁志から護人へと伝わって来ている。

 取り敢えずは、“春先の異変”を前に町中の戦力は増えてくれて一安心だ。更にはお隣には、異世界チームが異界から引っ越して来てくれており。

 戦力的には、異変が起きても対応出来そうな予感。


 鬼たちのお節介で出来上がった“ダンジョン内ダンジョン”は、5つの内やっと2つ目を半分クリアしたのみ。2月は遠征などしてしまったお陰で、それ以上の進展はない有り様。

 3月の内に、何とか巻き返して残り3つ半をクリアしたいと護人は考えているけど。予知者の発言では、恐らく“春先の異変”はもうすぐなんじゃないかとの話。


 ちなみにムッターシャの異世界チームと、ベテラン探索者達の顔合わせは無事に終了してくれた。青空市からのお泊り提案には、多少慌てた来栖家だったけど心配は無かった模様。

 取り敢えずは甲斐谷チームの3人と、岩国チームの2人を来栖邸に迎え入れ。顔合わせからの模擬戦での力較べと、予想通りの展開にはなってしまったモノの。

 何とか無事に、そのイベントも終了して今日に至る。




 そんな現状だが、護人は協会に寄って土屋つちや女史を車で拾っての毎度の帰宅。ゲスト扱いの異世界チームだが、来栖家がずっと付いている訳にも行かない。

 その世話役を買って出た土屋には助かっているし、ぜひこのまま続けて欲しいとも思うのだが。肝心の彼女が、未だに異世界チームに慣れていないのは如何いかがなモノか。


 もう少しくだけた感じで、親しくなれば良いのにと護人は思うが儘ならないモノだ。例えばウチの子たちのように、まぁあれは一種の才能なのかも知れないけれど。

 慣れないと言えば、来栖家に対しても壁を感じる土屋女史である。口数の少ない性格なのかも知れないが、仕事上で必要な事くらいは話して欲しい所である。


 或いはこんな田舎に独り残されて、不満を内に溜め込んでいるのかも。そんな人は結構いて、こんな時代にも田舎は不便と言うだけで馬鹿にされる宿命だったり。

 今や都会も、生きて行くのはとことん不便だと言うのに。


「さて着いた……済みませんね、寄る所があって遅くなってしまって。こっちの都合ながら、麓に何度も車で降りるのはそれなりに大変なんで。

 おっと、ムッターシャ達は外に出て何かしてるな。リリアラがいないのは、温室にでも入りびたっているのかな? 彼女がいないと、通訳が出来なくて大変ですね」

「そっ、そうですね……」


 それで会話が終わってしまって、護人もどうしたモノかと天を仰ぐ。3月の空は晴れ渡って、日差しも段々と温かみを増している感じ。

 農家も一斉に、稲や野菜の苗を育成し始める時期である。護人もそろそろ、田畑の管理に忙しくなって来る。その関係で、麓であれこれ回る用事があったのだ。


 ついでに峰岸自治会長とも、春先の町内行事やら何やらを話し合ったり。段々と忙しくなって来たけど、その忙しさは不思議と嫌では無い奇妙な高揚感。

 時刻はもうすぐ10時で、子供達はゼミ生に勉強を教わっている時間だろうか。車から一緒に降りたレイジーは、茶々丸の出迎えに軽く挨拶を交わしている。

 体を微細な揺れが襲ったのは、そんな長閑のどかな午前だった。


 それからかすかな鳴動、それが大地の鳴らす音だと気付いたのは果たしてその場の誰が先だったか。土屋女史は慌てて車にしがみ付き、レイジーは遠吠えを始めている。

 その振動は、ムッターシャ達が慌てて護人の元に駆けつけた後にも続いていた。続いて地震だと慌てて家屋を飛び出した、ゼミ生と子供達もこちらを見付けて駆け寄って来る。


 それでも終わらない鳴動に、その場の全員が不安そうな表情。隼人がしっかり年少組と手を繋いで、大丈夫だと励ましの言葉を口にしている。

 一方のペット勢は、レイジーの遠吠えに呼応してこの異変にヤル気満々。どうやら裏庭に集合したようで、ツグミと茶々丸と萌まで慌しくしている模様。


 ルルンバちゃんまで、ドローン形態で納屋から飛んで行くのを発見した姫香は、ここで来栖邸の異変に気付く。その瞬間、隣の凛香に武器と防具を着用して再集合と言伝を飛ばす勇ましい少女。

 そして疾風はやてのように、自らも着替えに家へと飛び込んで行く。


「護人叔父さんっ、紗良姉さんも……ペット達が裏庭で、ダンジョンから出て来たモンスターと戦ってるみたいっ!

 急いで着替えて、加勢してあげなくちゃ!」

「えっ、ダンジョンって“裏庭ダンジョン”の事かっ!? あそこはこの前コアを破壊して、今は休眠中の筈だろうっ!?」

「大変っ……ひょっとして、あちこちでオーバーフローが起きてるっ!?」


 ようやく事態を呑み込めた面々は、オーバーフロー騒動に備えて武器や防具を取りに家へと戻って行く。それは異世界チームも同じで、その俊敏さは明らかに凛香チームを上回っていた。

 庭先の異変を察知したのは、どうやら護人たち人間が一番遅かったらしい。ミケですら、ニャンコ扉から外へと出てレイジー達に加勢を始めている。


 その光景を、着替えの前にチラッと確認した護人は大慌て。確かに姫香の言う通り、裏庭の休止中のダンジョンから蟻モンスターの大群が湧き出ている。

 それを苦もなく、退治して行っている来栖家のペット達。考えてみれば、コアを破壊したのは5か月前……復活していても、おかしくない時間が経過している。

 いやしかし、まさかこんなタイミングで?


 家に一番近いだけあって、この“裏庭ダンジョン”の魔素鑑定は割と頻繁に行っていたってのに。最新の鑑定では、それ程問題ではない数値に落ち着いていた筈。

 大急ぎで着替えながら、そんな事を護人が思い出していると。真っ先に着替え終わった姫香が、残りの2つもあふれてるよと大声での注意喚起を飛ばしてくれた。


 つまりは来栖家の敷地内の、全てのダンジョンがオーバーフロー騒動を起こしているって事だ。さて、この現象は何に起因するのだろうか。

 まさかだが、町の他のダンジョンにも異変が……?




「先生っ、これって地震じゃないと思うの……だってコロ助が、敵がもうすぐ来るよって鳴いてるし。だからアレじゃないかな、予知で大人が言ってた奴?

 “春先の異変”だっけ、スマホで叔父さんに訊いて見よっか?」

「えっ、香多奈ちゃん、それって本当!? サイレン鳴るかな、みんなで真面目に避難訓練の練習した甲斐があったね!」

「それはいいけど、せっかく卒業式の練習してたのにさ。これじゃあまた、行事がオーバーフロー騒動でお流れになっちゃわないかな?」


 リンカの懸念は、確かにありそうとキヨちゃんも同意の構え。中年過ぎの担任教師は、慌てつつも廊下に飛び出して、他の教室の担任と連絡を取り合っている。

 香多奈に対しては、何とかスマホの使用を解禁してくれてまずは一安心。それから念の為に体育館に移動するよと、5・6年合同の十数人の生徒達に通達する。


 呑気な生徒たちは、口々にお喋りしながら外の様子など伺っている。あの振動以来、確かに勇ましいコロ助の遠吠えしか、今の所は変わった点は存在しない。

 いや、この鳴り止まない地鳴り自体が既に変なのだけど。


「あっ、香多奈ちゃん……コロ助が校庭で、何か小さい影と戦ってるよっ! 不味いかも、だってこの学校の体育館が避難場所なんでしょ?

 避難して来た近所の人が、モンスターに襲われちゃうかも?」

「えっ、それは大変……鞄にお助けアイテム入ってる、それを使わなきゃ!」

「手伝ってやるよ、香多奈ちゃんは叔父さんに電話繋げて指示を仰ぎな」


 男前のリンカの言葉に、ありがとうと返事をして素直に従う香多奈である。他の生徒は、何だかんだで既に校舎の渡り廊下を伝って、木造の古い体育館へと避難を遂げていた。

 香多奈も独りだったら、きっと不安で身動きすら出来なかっただろう。それを、いつもの友達の励ましで、何とかコロ助が戻って来るまで踏ん張れそう。


 そんな事をしている間に、ようやくスマホが繋がって叔父さんの慌てた声を聞く事が出来た。それでもホッとするのは、お互いの無事を確認出来たからだろう。

 そして案の定、向こうの指示は合流するまで大人しく隠れていろだった。その側では、太一とリンカが家から持ち出した『魔法のランプ』に透明な魔石(中)を投入している所。


 魔石封入ケースは、最近では協会で安価で購入出来るようになっていた。魔素を放出する魔石だけど、意外と素人でも触れる機会がある為だ。

 例えば魔石エンジンだとか、野良モンスターを護衛犬が偶然倒しただとか。そのせいで、子供達も魔石の取り扱いに変に慣れていると言う実情が。

 そして出て来た炎の魔人も、立派な2メートル超えサイズ。


 その威容には、子供達も大はしゃぎで強そうとか格好良いと声援を飛ばしている。そして護人との通話が終わったタイミングで、町内にけたましいサイレン音が。

 同時に駆けつけた担任の先生は、その音に驚いて腰を抜かしそうに。間違いなくこれは、本格的なオーバーフローを町内の住民に知らせるサインだ。


 魔人ちゃんはその音にうるさいなみたいな感想を漏らし、まるで呑気な物腰だ。それに構わず、香多奈は魔法の鞄から『鶏パペット兵』と『不死者の骨壺』を取り出す。

 それから魔人ちゃん用に、最近入手したとっておきの武器を手渡す。それから、これで避難して来るみんなを守ってと、戦闘の師匠に可愛くお伺いを立てる。

 召喚された師匠に、もちろん否は無い。





 ――それじゃあ戦力を増やそうかと、彼は武器を手に鷹揚おうように頷くのだった。







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