第五章

第五章 一話 「祝いの日に」

 カートランド要塞から戦士達が帰還した二週間後、一九九三年の七月十四日、プラの集落はいつもとは違う賑わいを見せていた。


 集落の外周には兵士達が陣地について周辺を警戒している光景が変わらず広がっていたが、集落内部では他の村から集まった人々があることを祝っていた。その中には幸哉や狗井、彼らの戦友達の姿もあった。


 人々が祝っているのは村の若者達の結婚、新たな人生の始まりであった。そして、人々に祝福されている若者こそ、幸哉の親友のカマルであった。


「結婚おめでとう!」


「この幸せ者め、末永くお幸せにな!」


 プラの集落の古くからの風習や伝承を強く反映した儀式にはカマルの親戚の他、戦場で命を預けあった戦友達も集まっていた。


 一連の儀式が終わった後、祝賀会の中で酔ったエネフィオクに頭から酒をかけられたカマルを幸哉は力強く抱きとめた。


「おめでとう。カマル。幸せにな」


「ありがとう、幸哉。今ここに僕がいられるのは君のお陰だ」


 本当にありがとう、とカマルが言った時、幸哉達の背後で人々のどよめきがあった。


 カマルや幸哉が振り返ると、彼らの組織の最高指導者が歩み寄ってくるところだった。


「エジンワさん……」


 まさか自分の結婚式に直々にやって来てくれるとは思っていなかった人が姿を現したことに驚いているカマルの手をエジンワはしっかりと握りしめて、祝いの言葉を告げた。


「本当におめでとう。これからも幸せでな」


 そう言ったエジンワに兵士の誰かが呼びかけた。


「エジンワさん!壇上にどうぞ!」


「いや、私は仲人でもなんでもないので……」と最初は断ろうとしていたエジンワだったが、人々の強い勧めがあって、嬉しそうに壇上に登っていった。


「まずは今日、新たな人生の幕開けに旅立たれる二人に祝福の言葉を送りたいと思います。本当におめでとう」


 静まり返った会場の中でエジンワは祝辞の言葉を続けた。


「今日このような日に若者達が喜びと希望をもって生きていくことができるように国を変えていくのが、私のような政治家にできる微力ながらの努力ですが……」


 エジンワのスピーチはその後、暫くの間続いた。


 相変わらず内戦の状態は解決していないが、和平交渉に成功した後のこの日、プラの集落には戦争の影は全く見えず、若者の新たな旅立ちを祝賀する人々の暖かな意思が村全体を包んでいたのであった。






 エジンワの挨拶も終わり、人々が思い思いに話し合い、若者の結婚を祝う祝式を少し遠い小屋の階段から幸哉は見つめていた。


(優佳……)


 幸せそうなカマルと婚約者の姿を見て、本当に自分が進むべき道が優佳を大切にすることのような気がした幸哉はしかし、自分の理想がその正しい道の中には無いような気がして苦悩していた。


(優佳は大事にしたい……。でも、俺は日本よりもこの国が、この国の人達が好きだ……。だから、この国の人達のために戦いたい。でも……)


 そこまで考えたところで、


「また、考え事か?」


と声をかけてきた声に幸哉は階段の下を見つめた。そこには酒の入った小さな土器を片手に持った狗井が立っていた。


「いえ、そんな……、大したことは……」


 そう言って最初は誤魔化そうと思った幸哉だったが、かつて一度、戦場で胸の内を明かした相手に今更嘘を付くのも意味がないと思い、頭を横に振ると、真っ直ぐな視線を向ける狗井に自分の迷いを話し始めた。


「俺にも婚約者みたいな人が居るんです」


「おぉ、やるじゃないか。お前」


 感心したような、少し驚いたような様子を見せた狗井は小屋の階段を登ってくると、幸哉の隣に座った。


「その人は今も俺のことを待ってくれています」


 隣に座った狗井の顔を見ることはなく、頭上に広がる青空のどこか一点を見つめながら、幸哉は続けた。


「本当に正しいのは彼女を大切にすることだと俺も分かっています。でも、そうすることに俺は自分の理想を、生き甲斐を見いだせない……」


 本当に酷い人間だと幸哉は思った。


(自分を大切にしてくれる人よりも自分自身の生き甲斐が大切だなんて……。俺は……)


 だが、真実は、彼の内心はどれ程、彼が自分の浅薄さを責めても変わらなかった。それが故に彼は悩んでいるのだった。


 そんな幸哉の話を一通り聞き、土器の中の酒を一気に飲み干した狗井は一つ大きな息を吐き出すと、隣に座る若者にある提案をした。


「お前、一度日本に帰ってみたらどうだ?」


 突然の提言に驚き、思わず狗井の方を見開いた目で見た幸哉は、


「いや、でも、まだ戦いは終わっていませんから……」


と断ろうとしたが、狗井はその肩を優しく叩いた。


「気にするな。この和平状態はまだ暫く続く」


 戦争のことなど忘れ、祝賀ムードの中に身を沈めている人々の方を見やって、狗井は「それに……」と続けた。


「丁度、山下さんが日本に帰る手はずを一人分整えてくれている」


 パスポートを喪失しているため、今の幸哉が自身の判断だけで日本に帰ることは難しかったが、そういった難しい手続きは山下が済ませてくれているという話だった。


「隣国のゾミカから国境を抜けて、そこから日本へ向かうんだ」


 そう言って立ち上がった狗井の言葉に自分の未来を勝手に決められてしまったような気がした幸哉は、「いや、でも……」と抵抗する言葉を出そうとしたが、片手を突き出した狗井の声に制されてしまった。


「もう何も言うな。また日本で色々と考えてから戻って来い」


 そう言い残した狗井は何も反論する言葉を封じられた青年を置いて、祝賀会の方へと戻って行った。


 自分の命を助け、生き方についても説いてくれた人の背中に従ってみる価値はあると思った幸哉は密かに日本に帰る提案を受け入れることを思案するのだった。

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