第三章 九話 「奪われた日常の痕跡」

 自分達の背丈を超える藪が生い茂る獣道を各々の銃を構え、身を屈めながら前進して行った狗井とエネフィオクの背中が草原の中に見えなくなった後、ソディックと二人だけで残された幸哉は途方に暮れた表情で、今まで歩いて来た村の方を振り返った。相変わらず不気味な静けさが漂う点は変化ないが、その内部を精査したことで少しは恐怖感の減弱した廃村を遠い目で見つめる幸哉の前に背中の無線機を背負い直したソディックが立った。


「これが狗井さんのやり方だ。どんな状況でも、予備退路は常に用意しておく……」


 年齢は殆ど変わらないが、自分よりも軍隊経験は遥かに長いソディックの顔を見やった幸哉は村の方を睨む無線兵が自分と同じような不安げな表情を浮かべているのを視認して、少しだけ気持ちが軽くなったような気がした。


(怖いのは俺だけじゃないってことか……)


 自分だけが腑抜けなのではと心配していた幸哉は勝手に救われたような気分になっていたが、そんな一時の安堵もソディックが次の瞬間に放った一言によって、完全に打ち破られてしまうのだった。


「軍曹達が戻ってくるまで時間が無い。二人で手分けして、手早く終わらせよう」


 真剣な表情ではっきりと言い切ったソディックの言葉をすぐには飲み込めず、幸哉は茫然とした表情を浮かべた。そんな青年の面様を見て呆れたような顔とともに溜め息を吐いたソディックは自分の指示を把握できない若者にもしっかりと理解できるよう、もう一度噛み砕いて自分の意思を伝えた。


「分担せずにやると、時間がかかり過ぎるだろう?だから手分けしてやるんだ」


 厳しい表情の先輩兵士から投げ掛けられた言葉に否定したい現実を飲み込まざるを得なくなった幸哉は目の前のソディックが既に足を踏み入れようとしている廃村の方を向くと、嘆息とともに失望の念を抱くのだった。


(一人でこの村を周るのか……)





 一度偵察して危険がないことを確認しているとはいえ、不気味な殺気を漂わせる廃村の空気に戦慄しながら偵察を進める幸哉だったが、上官や仲間達に少しでも貢献したいという思いが彼の足を一歩一歩前に進ませるのだった。


(もしかしたら、一周目は見逃しただけで敵が隠れているかもしれない……!)


 周囲に漂白する殺気につい意識を引っ張られそうになる自分を律しつつ、幸哉は反対方向から迂回して村を分担で偵察しているソディックと早く合流できることを祈りながら、五六式自動小銃を腰に構えて、一周目は確認しなかった家々の一つ一つの中まで入念に確認していった。


 死体も死臭もないが、物は乱雑にひっくり返り、あちこちに暴虐と殺戮の痕跡が残るサバナ集落の廃村は遠く離れた平和の国からやってきた青年にもひしひしと感じ取れるほどに虐殺の残酷さを生々しく物語っていた。


(これがズビエの現実……、ズビエのありふれた日常……)


 自分がこの国に来たばかりの頃に巻き込まれた虐殺と暴力をフラッシュバックするかのように思い出した幸哉は同時にそこで最も大切な親友を失ったことも思い出して、無力感から全身の力が抜け出そうになる感覚を覚えたが、生きた人々の消えた集落が青年に伝えるのは虐殺の惨劇だけではなかった。


 地球上で最も熾烈な高温と乾燥のため原型は失われているが、丁寧に並べられた皿の上に準備された料理だったと思しき物……、半壊した家の外で木組みの物干し竿に干されたまま風になびく血に汚れた衣類達……、それら日常生活の残影は遠く離れた国からやって来た青年に虐殺の直前までこの集落にも人々の生活が存在していたことを強く認識させた。


(ここにもちゃんと人が暮らしていたんだ……)


 そう思うと、不気味さよりもここに住んでいた人々を救えなかった虚しさの方が強く胸を占めてきた幸哉は四個目にクリアリングした住居の中で散乱した家具の傍らに転がる小さな写真立てを見つけた。自分とは全く関係のない人間の平凡な持ち物……、何も無ければ何気なく見過ごしていたであろう写真立てだったが、そこに写る人影とつい目が合ってしまった幸哉は思わず腰を屈めて手を伸ばしてしまったのだった。


(駄目だ……。こんなもの見たら、また自分をコントロールできなくなる……)


 心の奥底で本能が警告する声は聞こえていたが、好奇心ゆえかそれともそうすることが彼の運命だったのか、幸哉は小さな写真立てを拾いあげると、その片面にはめ込むようにして固定されたカラー写真を凝視したのだった。


 砂や埃の被膜が表面を覆い、一部には何かがこすったような白い擦り傷が残るカラー写真には幸哉が今その内部を探索している家屋を背景として、三人の人間が肩を寄せ合って写っていた。


 背丈の高い二人の男女に挟まれ、こちらを凝視している少年と思しき子供……、緊張していたのか拗ねていたのか、不機嫌そうな表情を浮かべている幼き顔を見つめた瞬間、幸哉は視界がふらつくような目眩を覚えた。慌てて意識を保とうとした青年の脳裏にはダンウー族の要塞で彼の目に焼き付いた少年兵の生き様とその最期の姿が蘇っていた。


(守れなかった……、俺には何もできなかった……)


 手の中にある写真に写る少年は幸哉がヘンベクタ要塞で出会った少年兵よりも遥かに幼く、全くの別人であることは明らかだったが、それでも写真の中の幸せそうな家族が虐殺に巻き込まれた事実に思いを及ばすと、幸哉は何とも形容し難い無力感と哀情感に襲われるのであった。


「ごめん……」


 荒らされた家の中に注意して目を向けると、写真の中に写る家族が生活に使っていたのであろう衣服や食器、木製の玩具などが生々しく散乱しており、かけがえのない命と日常が謂れのない暴力によって奪われたのだという動かぬ事実を幸哉は痛切に思い知らされた。


(俺が何も知らず、のうのうと生きている間にこんな家族が……)


 自分の考えの及ばぬ所、自分の力の届かない場所で起こっていた惨劇の無惨さと無慈悲さを知り、心が押し潰されるほど強く感じた無念に一筋の涙が幸哉の頬を流れた時だった。


 それほど遠くない場所、数メートルほど離れた場所から何かが倒れるような物音が家屋の土壁を超えて聞こえてきたのだった。


(ソディックか……?いや、違う……!)


 突然の不審な物音を聞き、高まる緊張感とともに意識を現実に引き戻された幸哉は頬を伝っていた涙を振り払うと、腰を低く屈めた状態で五六式自動小銃を構え、家の外へと一切の物音を立てぬよう忍び足でゆっくりと歩み出たのだった。

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