第三章

第三章 一話 「新たな任務」

 一九九三年五月十五日、激しい気流が荒れ狂う中、一機のダグラスDC-3Cがズビエ南部の高空を目的地へと向かって飛行していた。軍用目的に一九三十年代のアメリカで開発された大型輸送機が帯びていた任務は一つ、その内部に乗せたメネべ民族解放戦線のリーダー、ナシム・ジード・エジンワを部族間会議の行われるサシケゼの集落に送り届けることだった。


 機体中央から後部にかけて広がるキャビンの両壁には二十八個の座席が左右十四個ずつ側壁に据え付けられており、その内のコクピット室に最も近い席に今回の任務の最重要人物であるエジンワが座っていた。彼の隣、そして向き合う座席にはみっちりと護衛の兵士達が座っていたが、その中には戸賀幸哉の姿もあった。


「その課題の解決は簡単ではないが、私もどうにかしなければならないと思っている……」


 対向する乱気流が機体の側壁を軋ませ、両翼の大型レシプロエンジンの発する轟音が金属製の床を震わせる中、幸哉は一ヶ月前にエジンワから聞いた言葉を頭の中で反芻していた。


(本当に俺の思いは伝わったのだろうか……)


 向かい合った座席の列の一番コクピットに近い席にシートベルトを装着して座っているエジンワの様子を一瞥しようとした幸哉は対面する座席から自分に向けて厳しい視線を向ける狗井と目があって、思わず顔を伏せた。


(俺がこの任務に参加したことをまだ納得していないんだろうか……)


 今まで自分に見せることの無かった狗井の鋭い視線にその訳をあれこれと考えながら、胸の鼓動が速まっていくのを感じた幸哉は一週間前のプラの集落でのブリーフィングに記憶を巡らせるのだった。





「駄目だ!今回の任務にお前は連れて行けない!」


 プラの集落のセンターにて、部族会議の護衛に関するブリーフィングが終わった直後、自分がブリーフィングに招集されなかったことを不服として申し立てた幸哉に対して、狗井は容赦なく言い捨てた。


「何故です!ヘンベクタ要塞への交渉には俺を連れて行ったのに、何故!危険なのは同じはず!訓練の成果は十分です!」


 二ヶ月弱の訓練の中、肉体だけでなく精神にも軍隊規律を刻みつけられてきた幸哉には部隊の決定、上官の命令は絶対であることは分かっていたが、今回の任務への参加に関してはどうしても譲れぬ理由が彼にはあった。


 少年兵達の課題……、ヘンベクタ要塞にて自分が目撃した理不尽……。命を懸けた前回の任務の後、自分が伝えた思いをエジンワが忘れずに少数民族の族長達に解決すべき課題として本当に提示してくれるかどうか、どうしても見届けたいという意思が幸哉にはあったのだった。


「今回は最重要の任務だ。まだ未熟なお前を連れて行くことはできない!」


 目線を逸した狗井が吐いた一言に幸哉は自分の客観的な立場を思い知らされたような気がして落胆した。


「俺は……、俺は信頼されていないんですね……」


 掠れた幸哉の声に青年の震える心情を察した狗井は再び幸哉の顔を見つめると、自分が青年に抱いている不安を素直に述べた。


「お前は一時の感情に流される傾向がある。今回は絶対に失敗してはならない任務だ。分かってくれ」


「お邪魔はしません!だから何とか……!」


「もう今の時点でお前は己の感情に流されている!」


 何とか食い下がろうとする幸哉の意思を狗井ははっきりと切り捨てた。


「ここで俺達の帰りを待ち、村の平穏を守るのも重要な任務だ」


 狗井の言葉は正しかった。揺るぎの無い正論をぶつけられ、加えて自分の客観的な立場まで思い知らされた幸哉にこれ以上抗う気力は残されていなかった。


「そうですか……」


 深い失望とともに幸哉は説得を諦めようとしたが、彼の背後から救いの声がかけられたのはその時だった。


「良いじゃないか、狗井!」


 思わず振り返った幸哉の視線の先には、他の村人達と変わらない茶褐色のポロシャツに身を包んだナシム・ジード・エジンワの姿があった。


「エジンワ……」


 最高指導者の言葉とあっては反論もしづらく、狗井が言葉を詰まらせている内に、笑顔のままで二人に歩み寄ったエジンワは幸哉の肩を叩き、狗井の方を向いて言った。


「彼には十分な才能と器量がある。本人が強く望むなら経験はさせておくべきだと私は思うが……?」


 あくまで部下に強制はせず、自己での判断の余地を残したエジンワの言葉に狗井は仕方ないという風に目を閉じ、溜め息を一つ吐くと、幸哉の方を向いた。


「お前に任せる」


 素っ気無い物言いだったが、自分の意思を認めてくれた狗井の言葉に思わず頬を緩めた幸哉の肩に手を置いたエジンワは日本人青年の顔を覗き込むようにして確認した。


「交渉の場に直接立ち会うことは許可できないが、それでも良いか?」


 それでは少年兵の問題が議論されるかどうか確認することができない……。一瞬そう思い、僅かに失意した幸哉だったが、自分を信じて既に無理をしてくれているエジンワの内心を想像すると、異論は無かった。


(エジンワは俺を信じてくれた。だから俺も彼を信じる……!)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る