第二章 十四話 「受け止めてもらえた思い」

 ダンウー族の副指揮官が用意してくれた木造船に乗って、ジャングルの河川を下った後、熱帯雨林の中を数十分ほど行軍した幸哉達は満身創痍の状態でようやくプラの集落に辿り着いた。二人の傭兵に加え、ソディックやオルソジ、エネフィオクやカマルなど、幸哉が親しくしていた面々は幸いにも無事だったが、プカラの攻撃により部隊は兵員の四分の三を失っており、残された者達の精神へのストレスは甚大だった。


「ジョアンもリカルドも殺られちまった……」


 COIN機の機銃掃射で親友を失ったカマルは集落に到着した後も、何事か聞き取れぬうわ言を虚ろな表情で呟き続け、その様子を案じた幸哉は親友の隣についてその情態を見守っていたが、精神的ストレスを被ったのは幸哉も同様だった。目を閉じれば、背中を黒焦げに焼かれた解放戦線兵士の死体や半身を失った少年兵の姿が脳裏に浮かび、胸の鼓動が速まるのを感じながらも、幸哉は自分以上に心を病んだ親友の側に寄り添い続けた。


(俺も辛い……。こんな俺にかけられる言葉なんて無いのかもしれないが……。それでも……)


 二週間前、狗井達に取り残され絶望していた自分を静かに見守ってくれたカマルに幸哉は何とかして恩を返したいと思っていた。たとえ、側にいることしかできないとしても……。


「お前達、大丈夫か!」


 幸哉達が帰還してからというもの、負傷者の手当てや回収してきた遺体の収容などで村人達が慌ただしく周囲を動き回る集落の中で高床式住居の階段に腰掛けて休止を取っていた幸哉とカマルに集落の一角から歩み寄ってきた狗井が呼び掛けてきた。


「大事ありません、大丈夫です……」


 そこまで返答したところで、十メートルほどの距離まで歩み寄って来ていた狗井が足を止めたのに気づいた幸哉は日本人傭兵が首を向けている方向に目をやって言葉を無くした。


「やぁ、狗井」


 護衛は伴わず、狗井の方に笑顔を向け、頭の上に上げた片手を振る若い男……、長らく会っていなかったその男の名前を幸哉は一瞬の間、思い出せなかったが、狗井の声が思い起こさせてくれた。


「エジンワ!」


 ナシム・ジード・エジンワ、モツ族の族長にしてメネべ民族解放戦線の首領であるその男の顔を数週間ぶりに見て、幸哉は安堵にも似た感情を抱いたが、同時に彼の胸の奥には沸々と沸き立つ暗い感情もあった。


(今頃になって現れるなんて……!)


 情報の漏洩があったとはいえ、仲間まで騙して自分は交渉に参加せず、全てが終わった今になって現れたエジンワに対して、幸哉は強い憤りを感じていた。


「大変な損害が出たようだが……、狗井、君が無事で良かった」


「ああ……。しかし、ダンウー族の件に関して、お前に話さなくてはならないことがある。エジンワ……」


 数メートル目の前で狗井と対面し語らうエジンワの横顔を睨む幸哉の脳裏にはダンウー族の要塞で大人の兵士とともに命を懸けて働く児童達やプカラの爆撃で半身を失った少年兵の最期の姿が映っていた。


「少年兵の問題すら解決できないくせに……、何が民族独立だ……」


 そう呟きながら、エジンワを睨む幸哉の目に尊敬の念は既に無く、憤怒に裏打ちされた殺意の暗い光が宿っていた。隣で沸き上がる異常な殺気の気配に、先程まで上の空だったカマルも正気を取り戻し、幸哉の方をふと振り向いた瞬間、日本人青年は木組みの階段から腰を上げると、狗井と談合するエジンワの方へと自身の指導者の顔を睨みながら歩み始めていた。


「おい……」


 まだ半分虚ろな表情のカマルが呼び掛けたが、力無く発せられた声など幸哉の意識には届いていなかった。


(組織の……、民族のリーダーでありながら仲間さえ欺き、目の前の小さな問題も解決できない男など……)


 憤怒の念を眼光と気配に宿し、ゆっくりと近付いてくる幸哉の姿に気づいたエジンワは、


「幸哉か……、無事だったんだな……!」


と明るく呼びかけたが、殺気の籠もった視線でこちらを睨み、挨拶にも応答しない日本人青年の様子を怪訝に思い、小首を傾げた。その瞬間だった。


 薄皮一枚の理性で抑え切っていた怒りが爆発した幸哉は怒声とともにエジンワに飛びかかっていた。エジンワの傍らに立っていた狗井が自身の指導者を見を呈して守ろうとしたが、この数週間、チェスターへの雪辱を果たすべく訓練を積んできた幸哉の動きは狗井の想像の何倍も速かった。


 左の足裏で地面を踏み込み、一気にエジンワに接近した幸哉は小さな動きでしかし大きく振りかぶった右の拳を目の前の解放戦線指導者の顔面にめり込ませた。硬く尖った挙頭が正面から高速で衝突したエジンワの鼻は軟骨が変形し、折れ曲がった鼻道からは紅血が漏出する中、背中から地面に倒れたエジンワに幸哉は容赦の無い一言を浴びせかけた。


「あんたに部族のリーダーを名乗る資格はない!」


「おい、幸哉!」


 怒りに身を任せ、冷静さを完全に失った幸哉を狗井が後ろから止め、周辺に展開していた解放戦線兵士達が日本人青年に向けて銃を構えようとしたが、エジンワが片手を上げてそれを制した。


「いや、彼の言う通りだ……」


 鼻血を拭い、変形した鼻を掴んで治しながら、ゆっくりと立ち上がったエジンワの落ち着いた態度を見て、幸哉は先程まで胸の中で燃え上がっていた激憤の念が急速に萎えていき、頭の中が冷えていくのを感じた。それと同時に言葉も交えず、一方的に殴った自分の行動に罪悪感と自己嫌悪の念を感じて目を伏せた幸哉の肩にエジンワは優しく手を置いた。


「向こうで色々とあったようだな」


「すみません……」


 感情の激昂が収まり、萎縮し切った日本人青年の肩を柔らかく叩いたエジンワは狗井の顔も一瞥すると、小さく頷いた。


「一緒に話をしよう。だが、ここではなんだ。来たまえ」





 燃え上がる怒りの感情を失い、縮こまった幸哉がエジンワに連れられて入ったのは彼が一ヶ月前にその中で狗井から武器を受け取った小さなバンブーハウスだった。


「座り給え」


 十五平方メートルほどしか広さの無い暗い部屋の中央に設置された木机を中心に向き合うようにして並べられた二組の椅子の内、一つに幸哉は勧められるまま座った。その隣の椅子に狗井が着席し、続いて机を挟んで反対側に座ったエジンワは椅子に腰掛けると同時に幸哉の目をしっかりと見返して口を開いた。


「まずは君達に謝らなくてはならない。作戦といえど、君達に嘘をつくことになってしまったことを……」


 日本人とは文化が違うので頭を下げることはしなかったが、陳謝しているエジンワの真剣な眼差しを見つめて、目の前の男の真摯な思いを受け止めた幸哉は「大丈夫です……」と力無い声で返したが、その心の中は話も聞かずに暴力を振るってしまった自分の器の小ささに対する反省と自己嫌悪で満ちていた。


 組織のリーダーにはたとえ仲間から憎まれ恨まれようとも、厳しい決断を取らねばならなくなる時がある……。自分と十歳ほどしか年の違わないエジンワがそんな苛烈な業を一心に背負っていることを悟って、幸哉は尊敬と感服の念を抱いた。


(俺はそんなことも分からずに……)


 幸哉が沈黙してしまい、小屋の中に気まずい空気が数秒ほど流れた後、それまで黙っていた狗井が口を開いた。


「エジンワ、俺からも話さなくてはならないことがある……」


 出来ればこんな話はしたくなかったが……、そう続けた狗井はヘンベクタ要塞にてジョサイア・トールキンとの交渉が成功しなかったこと、そして要塞の洞窟奥深くで戦線が保有を禁じているはずの化学兵器を目にしたことをエジンワに伝えた。


「化学兵器か……」


「世界に知られれば、解放戦線が国際的支持を失うことになりかねん問題だぞ、エジンワ!」


 狗井の話を聞き終わると、両腕を組んだ状態で椅子に深くもたれかかり、遠くを見るような目線を宙空に向けたエジンワに狗井は畳み掛けるように切り込んだ。


 問題の即解決を望む日本人傭兵の真剣な目を見返し、静かに頷いたエジンワは椅子からゆっくりと立ち上がると、薄い陽光の光を漏らす窓際にゆっくりと歩み寄った。


「交渉失敗の件は気に病まなくて大丈夫だ。化学兵器のことも……」


 竹編みの窓枠に寄りかかり、炎天の野外でボール遊びをする子供達の姿を眺めながら、そう言ったエジンワは自分の発言の真意を掴もうとして真剣な眼差しを向ける二人の日本人の方を振り向くと、胸の中に秘めていた計画を告げた。


「来月十五日、サシケゼの集落にて部族間会議を行う。戦線に参加する各部族のリーダーが参加する予定だ。君達にはその際の私の護衛を頼みたい……」


 サシケゼの集落の場所も名前も全く知らなかった幸哉は僅かに動揺し、横目で狗井の様子を窺ったが、日本人傭兵の横顔からそれほど困難な任務ではないことを推し量ると、僅かに安堵した。


「その場所で化学兵器の件も議題に出せれたらと思う……」


 そう言ったエジンワに狗井が敬礼を返し、話し合いが終わりになろうとした時、幸哉は自分も申し立てしなければならないことがあったのを思い出して、慌てて声を発した。


「あの……!」


 話が終わったと思い、小屋から出ていこうとしていたエジンワと狗井が幸哉の方を振り向く。政治と戦場……、自分よりも遥かに厳しく救いの無い世界を生きてきた二人の大人の真剣な眼差しに魂を貫かれた幸哉はたじろぎそうになったが、彼の心の中には死んだ者達の思いも代弁して声にしなければならない願望があった。


「少年兵の件も議題に取り上げて頂けませんか!」


 それは幸哉自身の意志だけが発した言葉では無かった。自分の未来、可能性、自由の全てを知らずに、大人達が始めた戦争のために命を懸ける少年兵達の思いを背負った言葉の重さに幸哉が戦場で抱いた心情を察したエジンワは小さくだが、しっかりと頷いた。


「その課題の解決は簡単ではないが、私もどうにかしなければならないと思っている……」


 ダンウー族の指揮官は言わずもがな、仲間達にさえまともに相手にされなかった自身の理想を真剣に受け止めてくれたエジンワの言葉に幸哉は僅かに救いを得た気がした。


「自由と権利を求めるために闘争は避けては通れない……。だが、その過程で罪の無い人々や力の弱い者達が惨劇に巻き込まれてしまうのもまた事実……」


 幸哉の目を見返し、そう言ったエジンワは、「苦しい時代だな……」と残すと、静かに小屋の外へと出て行った。狗井もその後に続き、一人小さな木造小屋に残された幸哉は自分達のリーダーが組織の長としての格を備えていたことを実感し、安堵を感じていた。


「ありがとう……、ございます……」


 既に去った族長の背中にそう告げた幸哉はこのズビエで起きている理不尽の全てを解決するために一人の人間として自分ができるであろうことを胸の中で模索するのであった。

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