第二章 十三話 「禁じられた兵器」
「だいぶ減っちまったなぁ……」
プカラの撃墜を確認した後、混乱するジャングルに散り散りになった部下達を生存者確認も兼ねて招集した狗井だったが、殺戮と混沌の対地攻撃を生き残った解放戦線兵士達の人数は僅か二十名にも満たなかった。持ち込んだ車両の中でも無事だったのは非武装型のランドローバーが一両のみで、嘆息をついたジョニーを始めとして解放戦線の面々の表情は暗かった。
「これからどうする?」
人員輸送に特化した車両とはいえ、小型のランドローバー一両だけでは生き残った人員の全員を乗車させることはできない。ジャングルのあちこちから立ち昇る硝煙の香りが鼻を突く中、狗井達は本拠へと撤退する手段を失って困り果てていた。
「ダンウー族の奴らに車借りるか?」
プラの集落まで徒歩での行軍も不可能な距離ではなかったが、こちらの行動が政府軍に漏れていることが攻撃機の強襲で証明された今、再び奇襲される可能性のある山道をたった二十人弱の勢力で行軍するのは大きな不安があった。腕組みをして思案する狗井にジョニーはダンウー族の助けを借りる提言をしたのだったが、その助言に答えたのは狗井ではなかった。
「その必要はない」
唐突に背後からかけられた声に狗井を始め、解放戦線の面々は声がした方向を思わず振り返った。周囲では難を逃れたダンウー族の兵士達が遺体や破壊された資材の回収作業に当たる中、ジャングルの斜面に仁王立ちし、狗井や幸哉達を見下ろしているのは交渉の場面にも参加していたトールキンの側近の男、オヨノだった。
「ついて来い」
下半身はカーキ色の戦闘服の上にコルト・パイソン用のホルスターベルトを巻き、上半身はグレネードポーチを多数縫い付けたジャケットを裸の上に着込んでいるオヨノは一言だけ残すと、踵を返し、要塞の入り口がある方へと向かってジャングルの斜面を登り始めた。
「ついていく……、しかないか……」
助けの手を差し伸べるようでいて、余計な情けは一切かけるつもりがないという強い意志を背中に宿したダンウー族幹部を呆然と見つめて漏らしたジョニーの独言に、
「そのようだ」
とだけ返した狗井は生き残った部下達を引き連れて、オヨノの後に続く足を踏み出した。先程まで胸の中で燃え上がっていた憤怒と呪怨の行き場を無くし、虚無を除いて一切の感情を喪失してしまった幸哉も茫然自失の表情のまま、狗井達の後に続いたのだった。
☆
ヘンベクタ要塞のトンネルの中には洞窟の外以上に凄惨な光景が広がっていた。ただでさえ狭い通路の両側には多数の負傷者が木材で作った即席の担架の上に仰向けに寝かされており、その中には顔に布をかけられた死者と思しき者の姿もあった。
「ひでぇもんだ……。たった二機、たった二人のパイロットの所業だけでここまでの地獄が創り出せるなんて……」
通路の両脇で呻き声や苦悶に満ちた悲鳴を上げている負傷者達の姿を眺ながら、ジョニーが呟いた。プカラは一人のパイロットだけで運用が可能な対地攻撃機(COIN機)だ。余りにも凄惨で容赦の無い暴力を目の前で見せつけられた幸哉には実感が湧かなかったが、先程まで彼らが戦っていたのはたった二人の人間だったのである。
(それだけの人数でも凶悪な武器と意志さえあれば、これだけの人間を不幸にすることができる……)
機銃弾をばら撒きながら上空を悠然と飛翔する黒い影、激戦の最中で半身を失った少年の最期の姿……、つい先程目に焼き付いたばかりだが、無意識の防衛反応が遠い過去の記憶のように封印した光景を脳裏にフラッシュバックさせた幸哉は再び憤怒の念を思い出し、両手の拳を握りしめた。
(どうすれば、こんなこと終わりにできる……?)
向け場の無い怒り、答えの出ぬ問いに幸哉が苛まれている内に解放戦線の一行はオヨノに導かれるまま、洞窟の最深部に辿り着いていた。人の行き来が激しく、蛍光灯の光もあった洞窟の要塞部分とは全く異なり、電気も人気もない暗闇の中で隊列の先頭についていたオヨノが携帯ライトの照明に加えて、発煙筒の烈火を焚いた。
完全な暗闇のせいで視界が利かず、幸哉達は全く気づいていなかったが、鮮赤色の炎に輪郭を照らされた洞窟の最深部は要塞のトンネルとは違い、広漠たる空間が広がっていた。十メートル以上は高さのある天井の岩壁には無数のオオコウモリが翼を折り畳んだ状態で逆さ吊りに止まっており、ホラー映画の一場面のような不気味な雰囲気を醸し出していた。
「落ちるなよ」
先頭のオヨノが後続の幸哉達の方を振り返ると、右手に握った発煙筒を通路の左側に投げ捨てた。バチバチと化学剤の爆ぜる音をたてながら、空中に放り出された発煙筒は周囲の岸壁の輪郭を鮮赤色の閃光で浮かび上がらせながら、奈落の闇へと落ちていく。通路の右側には壁があったので左側にも壁があるだろうと思っていた幸哉は自分のこれから歩く道のすぐ左側が断崖絶壁になっていることをその時になって初めて気づいた。オヨノに投げ捨てられた発煙筒は数秒の間、落下を続けると、水面を跳ねるような音を立てて姿を消した。鮮赤色の閃光が消え、再び暗闇に包まれた奈落の深さは五十メートル以上、その底には水溜が広がっているようだった。
「これは地底湖か……?」
通路の左側に身を乗り出して、携帯ライトで下方を照らしたジョニーの問いに新たな発煙筒を焚いたオヨノが答えた。
「その通り。落ちても死にはしないが、出口はない」
つまりは上方の通路からロープを下ろして貰うなり何らかの助けがないと、自力での生存は困難……。暗にそう言ったオヨノの言葉に幸哉は恐怖した。先程、ダンウー族の案内人が落とした発煙筒の光が照らした光景から想像するに、反対側の壁までは五十メートルはあると思われる地底湖の巨大さに解放戦線の面々達は畏怖するのであった。
☆
巨大な地底湖が左手に広がる通路を百メートルほど歩いた後、幸哉達は再び細いトンネルの中へと足を踏み入れた。先程までのような落下死の可能性はないが、人一人が身を屈めてようやく通ることができるほどしか広さのない閉所を歩くのは上下左右からの圧迫感に加え、物理的な酸素濃度の低さも相まって、不快な息苦しさを幸哉達に強く感じさせた。
(爆発でもあって、ここで天井が崩れたら……)
地上からは恐らく百メートル以上の深さにある洞窟の中でそんな理に適わない恐怖を感じていた幸哉だったが、息の詰まる狭いトンネルは意外にもすぐに抜け出ることができた。
相変わらず照明のようなものは全く無く、発煙筒と携帯ライトの光以外は暗闇が支配する新たな空間には先程の地底湖のような落とし穴は無かったが、左側に岩壁がそそり立つ通路の右側には広やかな空間が展開しており、古く錆びた大型機械が何個も並んでいた。ホコリを被っているが、人間の背丈よりも遥かに大きい機械工具を目にして、幸哉は小学生の職場体験で見た工場の大型機械を想起したが、目の前の機械類に接続された巨大なタンクの側壁に記された文字記号を目に入れて愕然とした。
暫く人が触っていないのか、ホコリや汚れが表面にこびりつき、かなり見えづらくなっているその文字記号だったが、その意味はつい数ヶ月前まで日本に居た幸哉でも知っているものだった。
ハザードシンボル……。
幸哉が化学兵器を表す目の前の記号の正体を思い起こしたのと、狗井が機械の方を指さして先頭のオヨノに問うたのは同時だった。
「おい、これは何だ?」
背後からかけられた狗井の声は大きくはなかったが、それでも離れた幸哉にもはっきりと聞こえるものだった。幸哉よりも狗井に近い距離に居たオヨノが聞き逃すはずはなかったが、ダンウー族の案内人は無言のままで歩いていこうとした。
「おい!」
明らかに故意に自分の問いかけを無視したオヨノに対して、狗井は先程よりも強い語調で呼び止めた。その声に流石に無視を貫き通すこともできなくなったのか、ゆっくりと振り返ったオヨノの頬には意味ありげな笑みが浮かんでいた。
「身を守るための武器です……」
「何?」
こちらを挑発するような視線を向けたダンウー族の案内人に狗井はガスタンクらしき構造物の表面に記されたハザードシンボルを携帯ライトの光で照らすと、
「でも、これは化学兵器だろ……?」
と問い返した。その口調に微かでも批難の意志が含まれていたことを幸哉は聞き逃さなかった。核兵器、生物兵器と並び、化学兵器というものが世界中で禁止され、排斥すべき外道の攻撃手段として認知されていることは兵士としては素人の幸哉でさえ知っていた。人道的配慮は勿論のこと、国際社会を敵に回さないためにも解放戦線はNBC兵器類は一切保有しておらず、協力・関係する少数民族組織にも装備を禁じていたが、今幸哉達の目の前に鎮座しているのは間違いなく化学兵器だった。
部族間の協定に違反したのだから、狗井がオヨノを責めるのも当然である。だが、ダンウー族の副指揮官に悪びれる素振りは全く無かった。
「かつての白人政権との独立戦争時代、旧政府軍より接収したものになります……」
「私が貴様に聞いているのは、そんなことではない!」
話をまともにしようとしないオヨノに狗井は遂に激昂した。
「こんなものを保有して良いなどと、我々は……、エジンワは許可していないぞ!」
トールキンを呼べ、と怒鳴った狗井の激憤した様子を見て、幸哉達の間には張り詰めた緊張の雰囲気が漂ったが、肝心のオヨノに動揺している様子は全く無かった。寧ろ狗井達を見下すように悠然とした表情を浮かべているダンウー族の副指揮官は静かな口調でゆっくりと口を開いた。
「身を守るための手段を持つことが悪なのですか?」
「身を守ること自体を責めているのではない!このような醜悪な兵器を保有し、隠匿していたことを責めているのだ!」
相手の言葉に間をおかず怒鳴り返した狗井に対して、オヨノはやはり不敵な笑みを浮かべたまま答えた。
「あなた方も今見たばかりではないですか……。政府軍の圧倒的な破壊力を……」
「何?」
「今日、襲撃してきたプカラはたった二機だけだった……。それなのにあなた方は六十人もの同胞を失い、我々も甚大な被害を被った……」
「何が言いたい……」
苛立った表情で問い返した狗井にオヨノは「分かるでしょう……」と言って続けた。
「兵士の人数、装備の性能、組織としての生産力……、その全てにおいて我々は今の政府に圧倒的に劣ります……」
薄ら笑みを浮かべたまま、一抹の動揺も感じさせぬ様子でオヨノはゆっくりと続けた。
「通常戦力のみで対抗していては、いずれ敗北することは必至……。だからこそ、我々はこの兵器を政府に対する最終的な脅迫手段として温存しているのです……」
化学兵器の保有も使用も人道的ではない……、それは当然のことであったが、オヨノの発言にも合理性があった。
目の前のダンウー族高官の全く悪びれていない様子に、これ以上の議論は無駄だと判断した狗井が舌打ちをついて目を逸らすと、鼻先で笑ったオヨノは再び前を向き、隊列の先導を始めたのだった。
化学兵器の恐ろしさもズビエの少数民族が抱える苦悩も幸哉には実感できるものではなかったが、狗井が言い負かされるのを初めて目にした幸哉は問題の複雑さと重大さを朧げに察するのであった。
☆
要塞から続く未開の洞窟を抜けた先には、背の高い熱帯樹の葉に頭上を覆われたジャングルが広がっていた。蔦や藻の生い茂る低木層を掻き分けながら、洞窟の暗がりより出てきた幸哉達の前には小川にも満たないような小さな水流が静かに流れていた。風と水の流れる音に混じって、鳥や動物の鳴き声が時折聞こえてくるそこは正しく未開のジャングルだった。敵はおろか人の気配すらない。
「ここから要塞まではどのくらい離れてるんだ?」
重なり合った樹葉の上から木漏れ日が差し込む中、スパス12を構えて周囲を警戒しながら問うたジョニーに敵の存在など寸分も心配していない様子で岩場に腰掛けたオヨノが答えた。
「約一キロメートル。我々が要塞を建築する前から存在する天然の通り路だが、政府軍に気取られるのを避けるため、平時は使っていない」
答えたオヨノは危険など全く憂慮していないようだったが、黒いサングラスの奥に宿した眼光は鋭かった。
「警備はどうしてる?兵士の姿は見えないが……、地雷でも設置しているのか?」
人の気配が全く感じられない上、少しも警戒していないオヨノの様子を見て、スパスの銃口を下ろしたジョニーが続けて問う。
「いや。あえて、政府に気取られるような小細工は仕掛けていない」
そう端的に答えたオヨノは岩場から腰を上げると、「こっちだ」と言って、ジャングルの茂みの中へと歩いていった。
オヨノに続き、ジャングルの中の道なき道を数分ほど歩いた幸哉達は先程の小川とは違う大きな水の流れる音を聞いた。
「川……?」
ジョニーが独り言ちたのと、オヨノの歩く先のジャングルが開けたのは同時だった。頭上の樹葉に遮られていた陽光が一気に照りつけてきて、皮膚を焦がす熱射に一瞬目を細めた幸哉達の前には川幅五十メートルはありそうな河川が広がっていた。そして、川岸のこちら側には小型の木造船が二艇停泊している。
「これに乗って帰れば、襲撃されることもないだろう」
オヨノが指した船の傍らではダンウー族の男達が自動小銃を抱えて待機していたが、彼らの服装はポロシャツに短パンのみとまるで非戦闘員のようだった。
「なるほど、漁船と漁師に擬装する訳か……」
そう感心しながら船に乗り込んだジョニーとは正反対に、オヨノと睨み合いながら険悪な表情を浮かべている狗井の様子を幸哉は見逃さなかった。
(あの化学兵器のことを根に持っているんだろうな……)
上官の心中を想像しながら、隊列の最後についた幸哉が船に乗り込むと、オヨノが船の脇に寄って来た。
「お気をつけて……」
それまでの粗暴な態度とは打って変わり、不敵な笑みを浮かべて見送りに出たダンウー族の副指揮官の様子に気味の悪さを覚えたのは幸哉だけではなかった。
「もしかして俺達、政府軍に売られたんじゃないだろうな」
オヨノが最後に残した言葉に裏切りの事態を懸念したジョニーは不安げな様子で竹編みの壁の隙間からボートの外に警戒する視線を向けたが、狗井の方は険しい表情で腕を組んだままだった。
「それは無いだろう」
今ここで解放戦線を裏切ってもダンウー族には何のメリットもないこと、そしてダンウー族の本拠もつい先程政府軍の攻撃を受けたばかりであることなど、様々な事実を考慮した上で裏切りはないと判断した狗井だったが、彼の胸の中には別の事案に対する憤怒が燃え盛っていた。
「だが、あの兵器については看過できん。エジンワに報告する……」
竹編みの壁の一点を睨んだまま、厳しい表情でそう言った狗井が何を考えているのか、問うまでもなく察した幸哉達の間には重い沈黙が流れた。原始の姿を残したジャングルの一角を穏やかにプラの集落の方向へと向かって流れている河川を二十人の解放戦線兵士達を乗せた二艇の木造船は静かに航行していた。
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