第二章 六話 「ダンウー族の指揮官」

 執務室へと続く二重扉を開けると、その先には床面積十平方メートルほど、壁の高さは二メートルほどの狭い空間が広がっており、部屋の中央に置かれた執務机の向こうに今回の交渉相手であるダンウー族指揮官のジョサイア・トールキンが傍らに側近の男を立たせて座っていた。座っていたといっても、交渉相手が目の前にいるにも関わらず、両足を机の上に乗せたままのトールキンの態度に幸哉は無礼だと思う以上に度肝を抜かれた。


(何なんだ、こいつは……)


 ダンウー族自体が武闘派ということはジョニーから聞いていたが、別部族のリーダーであるエジンワやサヴィンビ将軍とは明らかに異なる、最低限の敬意すらも相手に見せないトールキンの姿に幸哉が言葉を失っている前でダンウー族の指揮官は煙草に火を点けた。


「ようこそ、我々の本拠地へ。遠路はるばる御苦労だったな」


「大佐こそ、お元気で何よりです」


 そもそも座る席もないが、楽にするようにも言われなかった狗井は三人の部下ともども直立不動の姿勢で答えた。形式的な挨拶を終えたところでトールキンは先程、火を点けたばかりの煙草を口に運ぶと、幸哉の方を睨みながら鼻につく白煙を吐き出した。


「見ない顔がいるな」


 まるで物でも見るかのような遠慮のない、そして射るような鋭い視線をトールキンと側近の二人に向けられ、尻込む幸哉の横で狗井が代わりに答えた。


「我々と行動を伴にしている医療ボランティアです」


 医療ボランティア?、と小馬鹿にするように鼻で笑ったトールキンの態度に幸哉は先程から溜まっていた鬱憤が憤怒として爆発しそうだったが、トールキンの傍らに立ってこちらを睨んでいる側近の姿を見て思い止まった。下半身はカーキ色の作業服を着た側近は裸の上半身の上にグレネードポーチを多数取り付けたジャケットを着用しており、大量の破片手榴弾を携行するとともに右腰のホルスターには銃身の長いリボルバーを装備していた。


(丸腰の人間を相手にも抜かりはないか……)


 幸哉がサングラスをかけた側近の動きを意識の片隅で注視する中、狗井とトールキンは会話を進めていった。


「お前と同じ日本人か?」


「はい……」


「傭兵ではないのだな?」


 相変わらず、幸哉のことを物珍しげな目で睨め回すトールキンに狗井は幸哉が戦線に参加した経緯を端的に説明した。


「なるほどな……」


 聞いてはみたものの、全く興味はないといった様子で幸哉から視線を外したトールキンの態度に幸哉は更に苛立ちを感じたが、ダンウー族の指揮官は日本人青年の内心など全く気にかけていなかった。


「エジンワはどうした?」


 カーキ色の戦闘服の上に白色のスーツジャケットを着たダンウー族指揮官は狗井の方に視線を向けると、半ば苛立ったような口調で問うた。


「申し訳ありません。誠に勝手ながら、我々の事情でエジンワは来ておりません」


「組織の重大事項を話し合おうという時に、その首領が不在とはどういうことだ?」


 激昂まではしていないが、厳しい口調で問い詰めたトールキンに狗井は「申し訳ありません」としか返せなかった。


「まぁ、良い……」


 狗井の自重したような表情と言葉に頬を緩めたトールキンは執務椅子にもたれ掛かると、再び煙草を口にした。


「君達の事情は理解しているつもりだ。情報漏洩の件が不安なのだな……」


 臭気のきつい白煙を吐き出しながら、口にしたトールキンの言葉に狗井は無言で頷いた。


「だが、そんな大切な情報を漏洩するような組織に我々が協力したくなると思うか?」


「内応者の発見には現在、全力で務めています……」


 普段は部下達にはきはきと命令を下す狗井が歯切れ悪く自己弁護するのを幸哉は初めて聞いた気がしたが、何の決定権も持たない彼には上官に助け舟を出すこともできなかった。話のペースを掴まれ、交渉を有利に進められない現状を何とか打破しようとした狗井は「例の協力拒否の件ですが、何とか御再考頂けないでしょうか?」と自ら切り出したが、トールキンの反応は芳しくなかった。


「協力拒否は取り消さん」


 頑なにはっきりと言い切った交渉相手に狗井は何とか食い下がろうとした。


「しかし、それではダンウー族の安全保障も危うくなります……!」


「我々の部族のことは我々自身で守る。それに、重大な情報漏洩を許す組織に安全を保証するなどと言われても信用はできんな」


 狗井の忠告をそう言って一蹴したトールキンは交渉相手が反論の口を開くよりも先に交渉の絶対条件を突きつけた。


「我々の協力が得たければ、直ちにモチミ族への支援を一切打ち切ることだ」


「それはとても……」


 実行に移せない……、狗井がそう言いかけると、トールキンは鋭く切り返した。


「何故だ?何故、迷う?あんな貧弱な民族より我々の部族の方が戦力になるぞ?」


 確かにダンウー族は強い。だが、モチミ族の協力も得られなければ、メネベの独立はない。ここでの発言が大きな失言とならないように慎重に言葉を選ぼうとする狗井にトールキンは畳み掛けるように一気に言い切った。


「我々も考えは君達メネベの人々と同じだ。政府の圧政には辟易している。独立を得るためには全てを差し出す決意だ。この土地も、命も、子孫さえも……!」


「でも、子供を兵士にするのは間違えてますよ!」


 狭い執務室に突然響いた若い声に室内に居た全員が驚いて、声の主の方を振り向いた。


「何だ?ボランティア君?」


 そう言って自分の方を睨んだトールキンの双眸に宿る黒い輝きに幸哉は思わず、たじろぎそうになったが、


「所詮は何も知らんくせに……」


と呟いたダンウー族指揮官の言葉に、この部屋に入ってから溜まりきっていた鬱憤を一気に吐き出してしまった。


「何も知らないのは貴方の方だ!礼儀も人の心も知らない!こんな窮屈な洞窟でコソコソと暮らす貴方達よりもモチミ族の人達の方がよっぽど活き活きとしている!」


「おい!」


 傍らに立っていたソディックが幸哉を止めようとするのと同時に、トールキンの隣に立っていた側近が腰のホルスターから引き抜いたコルト・パイソンを幸哉の額に向けて構えた。


(恐れるな……!こんなこと……!)


 自分に向けられた大型リボルバーの銃口を睨んだ幸哉は逃げ出しそうになる己を叱咤した。


(まだだ……!あいつとやり合った俺がこんなチンピラに負けるはずがない……!)


 武器を持って脅しているが、チェスターと比べれば殺気も気迫も圧倒的に劣る側近の顔を幸哉は睨み返し続けた。


「オヨノ!銃を下げろ!」


 緊迫した空気の流れる執務室にトールキンの怒声が響いた。銃身六インチのリボルバーを構えた側近は指揮官の言葉に不服そうな表情を浮かべたが、トールキンが、


「私の執務室を穢れた黄色人種の血で汚すな」


と付け加えると、薄ら笑いを浮かべて銃を下ろした。


「これは戦争だ。子供だろうと、猿だろうと使えるものは全て使う。貴様の言っていることは所詮、綺麗事にすぎん!」


 張り詰めた空気が解けて来た頃、トールキンが溜め息をつきながら口を開いた。


「我々の考え方は根本から異なるようだ。交渉は決裂だな……。帰り給え」


 きっぱりと言い切ったトールキンの言葉に自分のせいで交渉が破談したと自責の念に襲われた幸哉は狗井が反論するのかと思って、横目で上官の様子を窺った。しかし、現時点ではこれ以上の交渉は無駄であると感じていたのは狗井も同様だったようで、幸哉に扉を開けるように目配せした。


「青年!」


 執務室を出ていく時、自分を呼んだ声に幸哉は振り返った。


「君はもっと、この国のことを知れたら良いな」


 侮蔑の視線とともに投げられたトールキンの言葉に会釈だけ返した幸哉はそのまま執務室を後にしたのだった。

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