第二章 五話 「ヘンベクタ要塞」
目的地の小山に到着しても要塞の姿は見えず怪訝に思っていた幸哉だったが、警衛達の後に続き駐車地点から百メートルほど山を登ったところで、何故要塞の姿が見当たらなかったのかその理由を理解した。ダンウー族の要塞はプラの集落のような地上に展開した拠点ではなく、小山の斜面に穿たれた洞窟を拡張して形成された地下施設だったのだ。
「これがヘンベクタ要塞……」
周囲を鬱蒼と覆っていたジャングルが急に開け、目の前に現れた洞窟の入り口に幸哉は思わず声を漏らした。
「な、俺の言った通りだろ?」
先程、ランドローバーの車上で黙ってついてくれば分かると言ったジョニーが得意げな笑みを幸哉に向けた。
「確かに……」
突然、眼前に現れた要塞の入り口を前にして感動にも似た感情を抱いた幸哉は半ば上の空の状態で答えた。
洞窟の入り口の前はジャングルがそこだけ切り広げられており、土嚢を積み上げた陣地が幾つか設置されている。そして、それら土嚢陣地にはジャングルギリーの擬装が施された下にブローニングM2などの重機関銃の他、三脚で自立したミストラル地対空ミサイルの発射機が備えられていた。
「ジョニー達はここで待機していてくれ」
洞窟に足を踏み入れる直前で狗井は部隊を再び二分した。ジョニーを班長として三十人は要塞の入り口に待機させ、残る十人を率いて洞窟の中に入ることを決定したのである。
当然、自分も洞窟の外に残るものだと思っていた幸哉は警戒につく心づもりを整えていたので、
「幸哉、お前も来い」
と狗井から命じられた瞬間、驚嘆した。
「え……、俺が、何で……?」
秀でた交渉技術も戦闘能力も無い自分が何故……、幸哉がそう考えて呆然としている内に狗井達は洞窟の奥へと進んでいった。十人の分隊の最後尾についていたエネフィオクが幸哉がついてこないことに気づくと、振り返って怒声を上げた。
「早く来い!」
エジンワの不在、自分が交渉メンバーに選ばれた理由……、幸哉にはまだ納得できていない事が多くあったが、厳格なダンウー族兵士の剣幕と怒声に押されて、逡巡しながら洞窟の中へと足を踏み入れたのだった。
☆
入り口は小型車両が何とかして入れそうな大きさだった洞窟の内部は一部に人の手が加えわれ、拡張工事の行われた形跡があった。鉄筋棒と角材で補強された天井には筒状の蛍光灯が一定間隔で取り付けられ、自然の灯りのない暗闇を照らしている。洞窟の奥は内部で何通りにも枝分かれしており、幸哉は歴史の授業で学んだ旧日本軍の地下要塞やベトコンのトンネルを想起したが、彼が最も衝撃を受けたのは要塞とは別件の事だった。
(少年兵……?)
要塞の外でもチラホラと目にしたが、洞窟の内部で特によくすれ違う、身長の低い兵士の姿を見て幸哉は言葉を失っていた。最初の内は小柄な大人かと思っていたが、彼らの隊列と洞窟ですれ違ったところで幸哉の疑念は確信に変わった。
(間違いない……!子供を兵士として使っているんだ……!)
自分よりも圧倒的に小さい体で体格に合わない大きさの自動小銃を抱え、まだ幼さの残る顔に兵士の顔の厳しさを宿した少年少女達の軍服姿を目の当たりにして、幸哉は形容のできない悲哀、途方も無い無力感、そして押さえようのない憤怒を覚えた。
(こんな子供達まで使うだなんて……!)
ダンウー族が古来から武闘派の民族であることも、圧倒的多数の政府軍と渡り合うために少数民族には出来るだけ多くの兵力が必要であることも幸哉は承知していたが、それでも彼は目の前の事実を許すことができなかった。もしかすると、それは戦争の現実を知らない若造の甘ったれた独善なのかもしれない。だが、平和の国から来た幸哉にとって少年兵の存在は殺人の罪の意識と等しいほどに重たく、またそう感じるほどに幸哉の心は純真だった。
「さっきすれ違った兵士達って、まだ子供ですよね?子供を兵隊に使うなんてどういうつもりなんでしょう……?」
良識のある人間なら当然、自分と同じように少年兵の存在に嫌悪感を抱いているはずだと思い、幸哉はともに洞窟に入ったソディックに同意を求めるように問うたが、オツ族の無線兵から返ってきた答えは彼の期待を百八十度裏切るものだった。
「君は本当に無知なんだな。少年兵なんかズビエ国内を探してみれば、幾らでもいるよ」
何を言っているんだか、という呆れた表情で返答された予想外の答えに幸哉は絶句した。
(少年兵が普通?そんな訳ないだろ!)
期待と異なる答えに愕然とした後、沸々と沸き立ってきた憤怒の感情に幸哉は危うく反論しそうになったが、同時にどこか冷静な感情の自分がいることにも気づいた。
(もしかして間違っているのは俺?俺が平和ボケしているだけなのか?)
所詮、自分は平和な国から来た部外者。戦争とは如何なるものかを知らないただの若造に過ぎない偽善者、間違っているのは自分だけ……、様々な考えが頭を過り、幸哉は言いようのない疎外感に襲われた。
注意して見てみると、一緒に洞窟に入ってきたメンバーで少年兵の存在を気にかけているものは居ない。皆、交渉が成功するかどうかだけを気にして緊張した面持ちを浮かべている。少年兵など彼らにとっては有り触れた存在であり、もはや解決すべき問題ですらないのだろう。
(やっぱり間違えているのは俺なのか……、でも……!)
それでも幸哉の胸の中には目の前に横たわる理不尽、そしてそれを無視しようとする仲間達に対する憤りが込み上げていた。
(俺にもどうしたら良いかは分からない……。でも、間違ったことをそのままに置いていて良いはずがない……!)
今は無理かもしれないが、この交渉が終わった後にでも狗井に自分の思いを伝えようと幸哉が決意した丁度その時、警衛の案内に従って洞窟の奥へ進んでいた一行はダンウー族のリーダーが待つという執務室の扉の前に到着した。
「失礼ですが、武器はここに置いていって下さい。それとボディーチェックを……」
警衛の言葉に頷いた狗井は部下達に武装解除させる前に部屋の中に入る人員を指名した。無線兵のソディックとエネフィオクを順に呼んだ日本人傭兵は最後に幸哉の方を向くと、
「お前も来い。銃は仲間に預けろ」
と武装の解除を命じた。
「え……、俺もですか……?」
上官の突然の命令に幸哉自身も驚いたが、本人以上に異議の声を上げたのはエネフィオクだった。
「軍曹、こんなやつを大事な交渉に参加させるなんて反対です!」
はっきりと言い切ったダンウー族の機銃手だったが、狗井は「勉強のためだよ」と言い、微笑を浮かべるだけだった。
「しかし……」
エネフィオクはまだ反論したさそうだったが、上官から返ってきたのは叱責だけだった。
「早く武器を部下に渡せ。交渉相手を待たす訳にはいかん」
狗井の目には一切の反抗を許さぬ強い光があった。
「了解しました……」
一気に自重した態度になったエネフィオクがFN MAG機関銃と携帯していた手榴弾を部下に渡したのを確認した狗井は警衛の方を向いて頷いた。頷き返した警衛が地下会議室の扉をゆっくりと開けると、狗井を先頭として交渉メンバーは中に進んだ。扉を越えた先には狭い空間があり、その突き当りにもう一つ扉が閉じていた。
(この先にダンウー族のリーダーがいる……)
交渉メンバーの最後尾から前列の様子を窺った幸哉は初めて対面する部族指揮官の正体に緊張するのだった。
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