第二章 七話 「交渉決裂」

 交渉失敗の事実もあってか、執務室を出た狗井達の間に会話は一切なく、交渉メンバーの間には重苦しい沈黙が漂っていた。


(俺のせいだ……。俺が余計な事を言ったせいで……)


 元々、難渋していた交渉だったが、そこに修復不可能な決定打を与えてしまった幸哉は激しい自責を感じていた。


 確かに少年兵の存在を平然と良しとする仲間達には苛立っていたし、無礼な態度の交渉相手にも腹が立っていた。それでも大切な交渉の場で仲間達まで巻き込んで癇癪を起こしてしまった、子供じみた行動を幸哉は深く反省していた。


(俺は何てことをやってしまったんだ……!)


 自分の失態が原因で戦線の統制が一気に崩れるかもしれない……、そんな不安にも苛まれながら幸哉が最初にしたのは、隊列の先頭を無言で洞窟の外へと進んでいく狗井への謝罪だった。


「あ、あの……」


 隊列の最前線へと出た幸哉に狗井は前を向いたまま反応しなかった。


(やっぱり怒っているよな……、当然だ……)


 これを理由に今度こそ部隊を追放されるかもしれないと思った幸哉はもう失うものが何も無い捨て身の姿勢で陳謝した。


「誤って済むことじゃありませんが、すみませんでした!」


 洞窟内に反響するほど大きな声で謝罪した幸哉の声に狗井だけでなく、他の交渉メンバーやダンウー族兵士達も振り向いた。


 周囲の目など気にしていられない。今の自分にすべき事、できる事は誠心誠意謝罪し、償いをすることだ……。そう思い、頭を下げ続けた幸哉の肩を狗井は優しく叩いた。


「お前だけのせいじゃない。いずれにしろエジンワ無しでは交渉は不可能だった。私の判断ミスだ……」


 陽光の入ってくる洞窟の出口の方を見つめながら、狗井は神妙な面持ちで続けた。


「それに勉強になっただろう?」


 一時の感情に流されていては後悔することになるぞ……。そう諭されているのだと思った幸哉は狗井の懐の深さに感動しつつ、


「はい……!」


と感無量の表情で返答したが、狗井の伝えたかったことは幸哉の解釈とは違っていた。


「少年兵など、ズビエには有り触れた存在だ。その問題を解決したければ、戦争を終わらせるしかない」


 そう冷たく言い放った狗井の言葉に幸哉は文字通り、その場から動けなくなってしまった。


(違う……!その考えは正しくないんだ……!)


 自分の考えを全く理解していなかった上官に対する失望と悲哀に暮れ、その場で硬直してしまった幸哉の内心など全く知らない狗井は再び洞窟の出口へと歩き出した。


「もう頭上げろよ。お前のせいじゃねぇんだから」


 頭を下げたまま硬直して動かない幸哉の肩を、側を歩み去ろうとしたエネフィオクが励ますように叩いた。幸哉が顔を上げると、普段は厳格な機銃手は同情にも似た悲壮な表情を浮かべていた。そんな表情が幸哉の心をより深い悲哀に堕とすとも知らずに……。


(違う……!俺は……、俺は同情が欲しい訳じゃない……!)


「ほら、行くぞ」


 エネフィオクが初めて見せる優しさに複雑な感情を抱く幸哉だったが、だからといって今の彼にできる事は何も無かった。


「すみません……」


 力無く謝ると、ゆっくりと歩き出した幸哉の背中をエネフィオクはいつになく優しく叩いた。だが、その優しさこそが新兵を傷つけているのだということをダンウー族の機銃手が気づく由もなかった。





「浩司!どうだった、交渉は?」


 狗井達が暗い洞窟の中から出てくると、入口の前で積み上げられた木箱の上に座っていたジョニーが陽気な声を出して手を振ってきたが、返事を返した狗井の表情は暗かった。


「駄目だった。エジンワが来なければ、交渉を始めるつもりもない……」


「あのクソが……!調子に乗りやがって……!」


 浮かない表情で答えた狗井の横に並び、車両を停車した場所へと歩みを進めたジョニーは悪態をつくと、通りがかったダンウー族兵士の足に向かって噛んでいたガムを吐き捨てた。


 交渉に向かう時は全く気づかなかったが、すれ違うダンウー族の兵士達は皆険しかった。トールキンがモチミ族に関してだけでなく、解放戦線についても悪評を吹聴しているのかもしれないと思った幸哉は兵士達となるべく目を合わせないように視線を下げて歩いたが、途中で背丈の低い軍服姿とすれ違った瞬間、思わず立ち止まって、その姿をまじまじと見つめてしまった。


 幸哉が胸中に抱いていたのは悲しいや可哀想などという安易な感情ではない。


(すまない……。俺は何もしてやれなくて……)


 せめて自分のこの命を犠牲にして彼らを守れたら……、そんなことを考えている幸哉の内心など知るはずもなく、睨みつけられていると思った少年兵は携帯していた自動小銃を突き出して、幸哉を威嚇した。ようやく我に返った幸哉は後ろから撃たれるかもしれないという恐怖を背筋に感じながら、速歩きで狗井達の後を追った。





 敵ではないが、味方でもない。そんな兵士達が周囲を取り囲んでいる緊張感の中で何とか車両の元まで辿り着いた幸哉は一先ず後ろから撃たれなかったことに安心して、安堵の溜め息を吐いた。


「無駄足だったか……、まあ帰るとするか……」


 スパスを脇に抱え、ランドローバーの助手席に座ったジョニーがダッシュボードの上に足を起き、寛いだ空気の中で運転手の兵士がキーを回そうとした瞬間だった。


「待って!」


 幸哉とともにランドローバーの後部荷台に座っていたカマルが声を上げて、運転手の動きを制したのだった。


「どうしたんだ?」


 首を回し、怪訝な表情で後部荷台の方を振り向いたジョニーに対して、カマルは立てた人差し指を自分の口に当てると、静かにするように無言で伝えた。目の前で何かを感じ取った親友のジェスチャーに幸哉も音を立てないようにして耳を澄ました。


「クソ……」


 無音の状態で気づくか気づかないかほどの微かな音、だが確かに聞こえる振動音……、鼓膜を震わすその奇音に幸哉が本能的に危機を察知した瞬間、同じように危険を察知したジョニーとカマルがそれぞれの銃を手に持ってランドローバーから飛び降りた。二人に続いて、後部荷台からゆっくりと車外に出た幸哉は近づいてくるプロペラエンジンの低温に耳を済ませ、音がどこから聞こえてくるのか察知するのに全神経を集中させた。


「どこから来る……。早く出てきやがれ……、クソ野郎……!」


 フランキ・スパス12を上空に向けて構えたジョニーがそう毒づき、ジャングルに囲まれた中で空を見上げていると、エンジン音は少しずつ小さくなっていった。


(遠ざかっていった……)


 幸哉が安心し、安堵の吐息を吐いた瞬間だった。小さかったエンジン音が急激に大きくなり、彼の眼前の山林の陰から黒い巨大な影が轟音と衝撃波を伴って飛び出してきたのだった。

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