第一章 七話 「橋」

 頭上を覆う熱帯樹の木の葉が日光の照明を防ぎ、地上に生茂る草木が隠れ蓑の役割を果たしてくれるジャングルの山肌を解放戦線の兵士達は姿勢を低くし、這うようにして下山しながら、目標に接近していた。橋を警戒する政府軍兵士が彼らに気づいた気配はまだない。山を完全に降りた麓、敵が占拠した橋まで三十メートルまで近付いたところで、狗井は後方の部下達にハンドサインを出すと、停止を命じた。


「オルソジ、来い!」


 地面に這いつくばるかのようにして伏せた狗井が小声とハンドサインで命令を出すと、隊列の数メートル後ろについていた解放戦線兵士が狗井の方へと隠密に、しかし迅速に移動した。オルソジ・オボテ、父を解放戦線の政治家に持つモツ族の兵士であり、普段は臆病な性格だが、戦闘中には先陣を切って敵に突撃する勇敢な兵士だった。そのオルソジが狗井の横につき、背負っていた六九式ロケットランチャーに弾頭を装填し始めた時、その後ろでは戸賀幸哉が自動小銃を握る手を震わせていた。


(殺ってやる……!殺ってやる……!)


 安全装置がかかっているため、弾は出ない銃の引き金を何度も引きながら、幸哉は目の前に現れた政府軍兵士を撃ち殺すイメージを脳内に浮かべていた。


(大丈夫……、大丈夫だ……)


 訓練通りにやれば大丈夫……、そう言ったカマルの言葉を何度も思い返し、自分を鼓舞する幸哉だったが、自身がロケットランチャーの砲身の真後ろに居ることには気づいていなかった。六九式ロケットランチャーは発射と同時に高熱の後方噴射を放つため、後方十数メートルは後方危険区域とされて、発射の際は近づくことを禁止されるのである。


「おい!幸哉、危ないぞ!」


 放心している本人の代わりに気づいた狗井が慌てて幸哉を後方危険区域から引きずり出したところで、狗井の携帯する小型無線機に交信が入った。


「こちら、アルファ。準備完了、そちらはどうか?どうぞ」


 幸哉の頬を叩き、正気を取り戻させた狗井は溜め息をつくと、無線から聞こえてきたジョニーの声に返答した。


「こちら、ブラボー。準備よし、最初の一撃は橋のこちらの警戒所と機銃陣地だ。そちらは機銃陣地を頼む」


「了解」


 無線を切ると同時に狗井は傍らのオルソジに改めて最初の目標を指示した。彼らが標的とする橋の両端には政府軍がプレハブの警戒所と土嚢を積み立てた機銃陣地を一つずつ設置しており、機銃陣地には一撃で人体を粉々にする重機銃弾を高速で連射するブローニングM2HBが設置されていた。


 ロケットランチャーの照準を橋のこちら側の警戒所に合わせたオルソジが傍らを見て頷くと、狗井は片耳を塞いで、携帯無線機に命令を叫んだ。


「攻撃開始!」





 解放戦線に協力するカム族の軍事拠点が近辺にあることから要所として、ズビエ政府から認識されていたジャングルの中の小さな橋。しかし、警戒のために派遣された戦力はたったの一個小隊だけであり、そのことを憂慮した小隊長はこの日、本部に危機の切迫を伝えるとともに戦力増強を求める書類を警戒所の中で書き進めているところだった。


 だが、数が足りないだけが彼の問題ではなかった。彼の部隊は訓練の不十分な若い兵士しか配属されていなかった。真昼間にも関わらず、機銃陣地で居眠りをする部下達の姿に溜め息をついた小隊長は最後に自らの書類にサインを書き記そうとしたが、彼が自分の名前を最後まで書き切ることはなかった。その前に警戒所の窓を突き破って突撃してきたロケットランチャーの弾頭が炸裂し、小隊長の体を粉微塵に引き裂いたためであった。


「何だ!何事だ!」


 十メートルも離れていない位置にある警戒所が突如として炸裂したことで居眠りから叩き起こされた政府軍の兵士達は何とか事態を理解しようとしたが、彼らが攻撃を受けたことを悟った時にはロケットランチャーの弾頭が機銃陣地に突き刺さっていた。


 内部の成形炸薬を炸裂させた弾頭が爆発し、間髪おかずに連続して粉々になった警戒所と機銃陣地への攻撃と同時に解放戦線の兵士達は橋上の政府軍部隊へ攻撃を仕掛けた。橋の反対側の機銃陣地に設置されたブローニングM2重機関銃が反撃の機銃掃射を放ったが、解放戦線兵士達は熱帯樹林の日陰に姿を隠し、丈夫な熱帯樹の大木に身を隠していたため、攻撃は殆ど当たらなかった。


「あの機銃陣地も潰せ!再装填だ!」


 傍らでコルト・コマンドーを射撃しながら叫んだ狗井の命令に頷いたオルソジはまだ後方から白煙の吹き出るロケットランチャーの砲身に先端から新たな弾頭を装填すると、橋の反対側から猛烈な機銃掃射を放っている敵の機銃陣地にアイアンサイトの狙いを定めた。


「RPG!後方噴射に注意しろ!」


 狗井が叫び、自身も後方の安全を確認したオルソジは次の瞬間、狙った標的に対して、ロケットランチャーの引き金を引いていた。直後、鼓膜を突き破るような轟音とともに大量の白煙が砲身の後方から吹き出され、熱帯の草木を焦がすと、四十メートルほど離れた標的へと真っ直ぐに飛翔していった対戦車弾は橋の反対側の機銃陣地に正確に命中し、そこに設置された重機関銃を政府軍兵士もろとも粉々に吹き飛ばした。


「敵の守りは死んだ!行くぞ!」


 狗井の怒声に従い、ブラボー分隊が前線を押し上げていく中、山肌の別地点ではジョニーの指揮するアルファ分隊も熱帯樹や岩石を盾にしながら下山し、橋に近づいていた。


「じゃんじゃん行け!突っ込め!」


 接近してきた政府軍兵士達にスパス12から発射した十二ゲージ弾を撃ち込みながら叫ぶジョニーの声に従って、アルファ分隊の解放戦線兵士達も前線を押し上げていった。





「メディークッ!メディークッ!」


 敵の機銃陣地を二つとも潰し、圧倒的優位に立ったとはいえ、激しい戦闘の中で解放戦線の側にも負傷者が出ていた。カマルの援護の下、自らを呼ぶ声に幸哉は銃火の中、大木や岩石を盾にしながら全力で走った。


「メディック!急げ!」


 敵の重機関銃が消滅した今、制圧力の面ではこの戦場で最強クラスとなったFN MAG汎用機関銃を掃射しながら怒声を上げるエネフィオクの隣に滑り込んだ幸哉は岩石を盾にしながら、その場に倒れた負傷兵の手当てを始めた。幸い、負傷兵の怪我は軽症だったが、ジャングルの中からは彼を求める他の声も聞こえてきた。


「メディック!メディック!」


 今、診ている負傷兵の手当てがまだ済んでいなかったが、


「行け!のろまめ!こいつは俺が何とかする!」


と張り上げたエネフィオクの怒声に背中を押された幸哉は、


「こっちだ!幸哉!」


と自らを呼ぶカマルの指示に従って、自分を呼ぶ兵士の居る岩場に走り出した。銃弾が飛び交う中、奔走する幸哉の胸の中には奇妙な感慨があった。


(楽しい……)


 人を救うという自らの欲求が満たされることによるドーパミン放出のためか、はたまた戦場の緊張感が放出させるアドレナリンのためか、とにかくこの時の幸哉はそれまでの人生で最も充実感を感じていた。


(ここが俺の居場所なのかも……)


 馬鹿馬鹿しいと思いながらも、心のどこかでそう真剣に考える自分を感じながら、幸哉が目の前の障害物に身を隠そうとした時だった。何の前触れもなく、銃弾が彼の頭を掠めたのだった。


 彼を狙った訳ではない。三十メートル以上離れた距離から発射された偶然の流れ弾。だが、幸哉に確実な死の実感を与えるには十分過ぎる一発だった。意気揚々としていた幸哉の気分は一気に消沈した。


(俺、今死ぬところだった……?)


「幸哉、伏せろ!」と叫ぶカマルの怒声も聞こえず、立ち尽くしたままの幸哉は擦過傷から血を流す己の額に触れた。そして気づいた。


(帽子が無い……!)


 先程まで被っていた父の形見が無くなっていることに気がついた幸哉は今度は先程の死の実感すら忘れて、周囲を見やった。


 自分にとって一人しかいない父親、自分が止めなかったばかりに帰ってこなかった父親、そして自分をこの国に導いてくれた父親の形見を数秒の間、必死に探した幸哉は山の斜面を数メートル下りた崖下に探し求めていた紺色の帽子を見つけて走り出した。


「幸哉!やめろ!戻ってこい!」


 幸哉の視線の先を見て、彼の考えていることを理解したカマルが身を隠す大木の陰から叫んだが、直後に飛来してきた銃弾の着弾音にその声はかき消された。そんな仲間の警告など全く耳に入っていない幸哉は帽子の転がる方へと山の斜面を滑り降りた。


 あと五メートル、三メートル、一メートル!帽子と幸哉との距離はすぐに縮まり、あと少しで手が届きそうだったが、幸哉が帽子を取ろうと手を伸ばした瞬間、銃弾の着弾が彼の足元で爆ぜて、慌てて回避の体勢を取ろうとした幸哉は姿勢を崩して、山の斜面を一気に転がり落ちたのだった。


 熱帯樹の幹や岩石に体を打ち付けながら、幸哉は斜面を三十メートルほど、山の麓まで滑り落ちた。途中で障害物に体をぶつけたおかげで加速を止められ、致命傷は追わずに済んだものの、平衡感覚は乱れ、全身は打撲痕だらけだった。


「痛ぇ……」


 呻きながら立ち上がった幸哉だったが、試練はまだ終わっていなかった。ふらつきながら何とか立ち上がった彼は周囲を確認しようと顔を上げたが、その瞬間、数十メートル先にいる人影と目が合った。見覚えのあるカーキ色の戦闘服に見を包んだその姿、それが難民キャンプで見た政府軍兵士のものと同じ服だと気づいた時、幸哉も彼の視線の先の兵士もお互いに自動小銃を構えていた。


(政府軍……!敵……!)


 そう反射的に察すると同時に、幸哉は装備する五六式自動小銃を構えていた。構える速度は僅かに幸哉の方が速い。


 狗井の訓練の成果は凄まじかった。あれほど人を殺すことに躊躇を感じていた幸哉だったが、引き金を引くまでは一瞬だった。全てが順調であれば、寸秒速く撃たれた幸哉の銃弾が政府軍兵士の胴体を貫いていただろうが、そうはならなかった。


 引き金を引いた幸哉の人差し指に返ってきたのは銃撃の反動ではなく、固いトリガーの反発だった。


(しまった……!)


 指先に返ってきた感触から、戦闘前にかけた安全装置を外し忘れていた事を悟った幸哉は同時に自らの死をも悟った。


(俺はここで死ぬ……?)


 視線の先の政府軍兵士が構えた自動小銃からマズルフラッシュの閃光が放たれ、飛翔してきた銃弾によって、自らの体が貫かれるのを幸哉は予期した。回避する間もなく、ただ的になるしかない己の運命を自覚した幸哉だったが、間近で弾けた銃声とともに全身から血を流して倒れたのは彼ではなく、彼の視線の先の政府軍兵士だった。


「馬鹿が!ヘマをしたら殺すと言ったよな!」


 その怒声とともに右手で幸哉の首根っこを掴んだのはエネフィオクだった。


「カマル!援護頼む!」


 左手で構えたFN MAGを掃射しながら、そう叫んだエネフィオクは味方の援護を受け、幸哉を引きずりつつ、後方へと下がったのだった。





 突然の奇襲攻撃で一瞬の内に戦力の大半を奪われ、残存する仲間達も少しずつ敵に撃ち倒されていく中で、解放戦線が襲撃してくるのとは対岸側の橋の袂に退避した政府軍兵士はいざという時のために用意していた装置に手を伸ばした。レバーを下ろすことで起動する簡易的なその装置からは幾本もの電気コードが伸びており、橋桁の下へと続いていた。


「貴様らにこの橋は渡さん!」


 その捨て台詞とともに政府軍兵士が装置のレバーを一気に引き下ろした刹那、轟音とともに橋の橋台に仕掛けられていたダイナマイトが炸裂し、長さ三十メートルのコンクリートの橋が対岸側から粉々に粉砕された。


 橋の上で応戦していた兵士達は勿論のこと、爆破装置を押した政府軍兵士も余りにも近かった爆発の衝撃波に飲まれて命を失ったが、橋から十数メートルほど離れていた狗井や解放戦線の兵士達は難を逃れた。


「伏せろ!」


 爆発から数秒遅れて落下してきたコンクリート片を熱帯樹の陰に隠れてやり過ごした狗井は橋が存在していた場所を見やったが、既にそこにはコンクリートの噴煙に包まれた橋台の残骸が残っているだけだった。


「ちっ、しくじったか……」


 舌打ちをついた狗井は残っている敵が河川の周囲にいないことを確かめると、まだ爆発の粉塵が舞い散る橋の残骸の方へと体を向かわせたのだった。

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