第一章 六話 「迷い」

 カム族の武装部隊が本拠を置くキャンプはジャングルに覆われた山中奥深くにあり、ソルロの街から出発した幸哉達は当初は車を使用して移動していたが、目的地まで十五キロの距離に近付いたところで車両での移動は不可能になったため、下車して徒歩での行軍を開始した。


 ブレン軽機関銃や六九式ロケットランチャーなどの重火器や弾薬類を背負った兵士達に続いて、熱帯林に包まれた山脈の道無き道を登る幸哉は確かに疲弊していたが、この数日間の狗井による訓練が功を奏したのか、部隊の足を引っ張るような無様は見せなかった。足元の地形を見て、身体に負担のかからない場所に一歩一歩、足を置いていく。基本的だが、一ヶ月前の幸哉には絶対にできなかった技術を実践した結果であった。


 自らの成長に自信を感じる一方で、彼には不安もあった。首からスリングでかけている五六式自動小銃……、反射的だっとはいえ、一度はそれを使って人を殺めた凶器を再び使わなければならなくなることを幸哉は恐れていた。ズビエに留まる以上、己の身を守るために人を殺めねばならないこともあるだろうと彼も頭の中では理解していたが、まだ心がその現実に追い付いていなかったのである。


 隊列のより前方にいる狗井も、幸哉の心の準備が出来ていないことを悟っていた。できれば、精神的にも訓練をして、幸哉に覚悟が出来てから戦場には連れて行きたかったと狗井は考えていたが、事態の進行がそれを許さなかった。


 今回の行軍では戦闘が起きないことを祈るばかり……。狗井はそう考えていたが、彼のその願いは虚しくも、この後打ち砕かれてしまうのだった。





 問題は幸哉達が峠を越え、山脈の山肌を下山していた時に発覚した。


「全隊停止!」


 隊列の先頭を進軍していたジョニーが真後ろに付く兵士達にハンドサインとともに小声で命令を伝えると、その指示は口伝えに隊列の後方にも伝わっていった。


「何事だ?」


 命令を聞き、停止した隊列の後方から最前線へ移動した狗井は山肌の木々に隠れ、山の麓を双眼鏡で確認している元フランス外人部隊所属のアメリカ人傭兵に問うた。


「橋を見てみろ」


 そう言ったジョニーは麓を見つめたまま、双眼鏡を狗井に手渡した。彼らが今から降りようとしている山の麓は次の山に続く鞍部となっている場所だったが、そこには川幅三十メートルほどの小川が流れており、コンクリート製の古い橋が一つ架けられていた。その橋が政府軍部隊によって占拠されているのだった。


「どうする?迂回するか?」


 双眼鏡で橋の上の様子を偵察する狗井の横顔にジョニーは問うたが、狗井はすぐには答えなかった。敵の規模、警戒レベルについて情報を集めることに集中していたためだった。


「人数は三十人程度、一個小隊規模か……」


 武装はしているものの、警戒を解いて散開し、襲撃は想像していないであろう敵の様子を双眼鏡の中に見つめながら独り言ちた狗井は数秒の後、双眼鏡をジョニーに返すと、命令を下した。


「迂回はしない。強襲する」


 狗井の言葉にジョニーは待っていましたと言わんばかりの笑顔を浮かべると、装備するコンバーチブル・ショットガンのフォアエンドをスライドさせ、初弾を薬室に装填した。攻撃決定の命令が伝わり、後ろの解放戦線兵士達も各々の武器の準備を始める中、狗井はジョニーと数人の分隊長を集めて、作戦を説明し始めた。


「敵の規模は三十人ほど。俺達の方が数でも先手を取れるという意味でも優位に立っている。そこで隊を二つに分け、敵の左右から強襲する……」





 攻撃決定の命令は口伝えに隊列の後方にも伝わり、幸哉の耳にも届いた。


「大丈夫だよ。狗井さんの訓練通りにやれば、何も問題ない」


 自動小銃を握る手を微かに震わせ、弾倉を何度も出し入れして落ち着かない幸哉を彼のすぐ前に付いていたカマルが励ましたが、幸哉は戦闘に対して不安を感じている訳ではなかった。


(また、人を殺すことになるのか……?)


 日本という殺人が非道徳・非日常である国からやって来て、まだ一ヶ月しか経っていない幸哉にとっては戦争とはいえ、殺人に対する罪悪感と抵抗は未だに大きかった。しかし、現実は彼の覚悟ができるのを待ってはくれはしない。


「隊を二つに分ける。お前達は俺と来い」


 命令を伝えに来た狗井とともに幸哉とカマルは敵を右側面から強襲する分隊に加わった。


「おい、ジャップ」


 配置場所に移動する途中、同じ分隊に配属されたエネフィオクが震える幸哉の様子を見て呼び止めたが、彼から幸哉にかけられたのは激励でも慰めの言葉でもなかった。


「俺は後出しジャンケンが苦手だ。だから先に言っておくが、もしお前が隊の足を引っ張るようなら、俺が容赦なくブチ殺してやるからな」


 身長二メートルを超える屈強なダンウー族の兵士の剣幕に幸哉は彼の言葉が本気であることを悟り、恐怖を感じたが、その恐怖が彼に覚悟を促しもした。


(全て弱い人達を守るためなんだ……)


 そう自らに言い聞かせ、五六式自動小銃の銃把を握りしめた幸哉の心中には、つい先程よりかは少し固まった決意があった。

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