序章 十九話 「託された武器」
惨劇のあった村から再びジャングルの中を行軍すること一日、幸哉達の一行は抵抗軍の味方をする村落の一つ、プラと呼ばれる集落に辿り着いた。モツ族と盟友関係にあるモチミ族が支配する地域であったが、反政府勢力が戦線から離れた後方で物資の補給をするための前哨基地として拠を構える村でもあった。
「ここなら、政府軍に襲撃される心配もない。東の国境も近いから、そこから隣国のゾミカにお前を逃がすこともできるだろう。何れにしろ、お前とはここで別れることになる」
難民キャンプより二倍ほど大きい集落の一角で高床式住居の傍らに腰掛け、向き合った狗井の言葉に頷く幸哉だったが、話している内容の殆どは意識の中に入っていなかった。
日本に帰れる……。もう、危険な目に遭わなくて良いんだ……。
その安堵感とともに、幸哉の心の中には奇妙な違和感と焦燥感が渦巻いていた。
このまま帰って良いのか?親友の健二を命の危険に晒してまで来たズビエで自分は探し求めていた人生の答えに近づきつつある。このまま、その答えから目を逸らしたまま逃げては、自分は大切な何かを失うのではないのか……。
幸哉の脳裏には彼が殺めた若い兵士の姿も浮かんでいた。命の恩人を救うためであったとはいえ、人を殺めてしまった。その罪を償わずに日本に帰ることがあって良いのだろうか。
そんな言い知れぬ葛藤を感じている幸哉の内心を知るはずもない狗井は幸哉の肩に手を置くと、
「ありがとう。お前は俺の命の恩人だ。すまなかったな」
と言い残して立ち去ろうとした。その背中に何かを言わなければならないという焦燥感と、何を言えば良いか分からない無力感を同時に感じて、幸哉が言葉に成らぬ声を出しかけた時だった。
「エジンワ!」
幸哉達のすぐ近くで農作業をしていたモチミ族の村人達が集落の入り口に向かって、一斉に走り出したのだった。大人から子供まで皆、口々に「エジンワ」の名前を叫びながら走っていく。
(エジンワ……)
幸哉はその名前に聞き覚えがあった。ナシム・ジード・エジンワ……、モツ族の指導者であり、メネベ州の自治独立を目指しているズビエの政治活動家……、幸哉が日本からの飛行機の中でパンフレットに見たその名前を思い出した頃には、村人達に囲まれたその男は幸哉達のすぐ側にまで歩み寄ってきていた。
「狗井、ご苦労だったね」
村人の群れをかき分けた男は幸哉の側に立っていた狗井に話しかけた。
「そっちこそ、こんな辺縁の土地まで御足労だな」
親しげに返した狗井の様子から、幸哉は二人が親密な関係にあることを察した。
「政府軍が少数民族を保護するNPOを各地で攻撃していると聞いたが、前線の方はどうだった?」
エジンワの問いに、狗井は溜め息とともに首を横に振って答えた。
「酷いもんだった。俺達も救出に出向いたが、既に虐殺は終わった後で、救えたのは彼と数人の難民だけだった」
そう言って、幸哉の方を一瞥した狗井の視線を追って、エジンワも幸哉の方を見た。決して威圧的ではない、だが、心の中まで見透かされるような男の純真な眼差しに幸哉は身の竦むような気がした。
「俺と同じ日本人の学生だ。名前は戸賀幸哉という」
紹介した狗井の言葉に頷いたエジンワは自らの名を名乗った。
「ナシム・ジード・エジンワと言います。大変な目に合ったね、幸哉」
やはり、エジンワは幸哉の記憶通り、ズビエの政治活動家だった。だが、幸哉が想像していたような人物像とは違い、エジンワはずっと若く、初対面で言語の壁があるにも関わらず、話しやすい人間だった。
「戸賀幸哉と言います。宜しく……、御願いします……」
突然の出会いに動揺しながら、片言の英語で返した幸哉にエジンワは微笑みかけると、手を差し伸べた。
「来たまえ。君のような若い外国の人々の考えを私は聞きたい」
☆
難民キャンプより二倍近く広いプラの集落は村の中心部の風景や人々の暮らしはキャンプのそれと似ていたが、集落の外周には鉄条項が張り巡らされ、地雷原と機銃陣地が等間隔で設置されて、外敵からの攻撃に備えていた。
そんなプラの集落の中を歩きながら、幸哉はエジンワの話を聞き続けた。宗教や文化の違う異民族同士を無理矢理一つの国に押し込むのではなく、それぞれの国を建国させることで平穏を保つことを目指すエジンワと彼の率いるメネベ民族解放戦線の理想、その一方でダイヤモンド鉱山や地下資源を手放したくないために政府が無理矢理にメネベ州を支配下に治めていることなど、エジンワはズビエに来たばかりの幸哉にも理解しやすいように仔細に説明してくれた。
「私ばかりが話してしまっているな。正直なところ、君はこの国についてどう思う?」
幸哉の目を見て問うてきたエジンワの純真な目線に、またしても心が震えるような感覚を感じた幸哉だったが、返答は詰まらずに出た。
「いつ、命が危険に脅かされるか分からないという意味では決して住みやすい国ではないと思います。でも……」
幸哉は自らがズビエに来た理由を思い起こすようにして、言葉を止めた。彼が住んでいた日本という国。そこには戦争や虐殺はなく、人々は平穏の中に暮らしている。一見すると、誰もが住みたいと憧れる国のようだが……。
だが、人々が己の欲望のみを求めて突き進んだバブル経済の崩壊の後、経済とともに人々の心は疲弊し、その中に希望や気迫はない。それが故に幸哉はその国で自らの生き甲斐を見い出すことができず、ズビエにやって来たのだった。
「人々の目は希望に溢れていると思います。僕の来た国では皆、その希望を失っていましたから……」
幸哉の答えにエジンワは静かに頷いた。
「我々はその希望を守るために戦っている。そして、狗井達にはその戦いの先頭で最も過酷な任務に就いてもらっているんだ」
エジンワが集落から見える遠方の山々を見つめながら、そう言った時、狗井とジョニーが二人の元に歩み寄ってきた。
「彼と難民達はここに置いていく。俺達は一時間後に出発する予定だ」
ジョニーの伝達に無言で頷いたエジンワは幸哉の方を振り返ると、
「元気でな。日本の青年」
と言い残して、傭兵達とともに歩み去ろうとした、その瞬間だった。幸哉の中で固まりつつあった決意がようやく声となって、彼の口から出たのは。
「あの……、俺も行きます!」
思い詰めたように言った幸哉の言葉に、二人の傭兵とエジンワは驚いたように振り返った。一瞬の間、何が起こったか分からないという風に固まった三人の中で最初に口を開いたのはジョニーだった。
「いや、お前、ジョークは日本に帰ってからにしとけよ。いいか、俺達と一緒に来るなんてしたら、昨日みたいな戦闘に何度も出くわすことになる。人を一人殺っただけで、あんなにショックを受けていたお前に務まるもんか」
ジョニーの一方的な言いように幸哉は少し気圧されたが、ジョニーの言葉を止めたのは幸哉自身ではなく、もう一人の傭兵だった。
「いや、良いだろう」
そう言った狗井の方を、幸哉とジョニーの双方が驚いて振り向いた。
「いや、でも、こいつは只のNPOで……」
「俺達が訓練すれば良い。この数日で分かったが、彼は強い。それに……」
狗井は幸哉とエジンワの双方を見て続けた。
「大事なのは心だ。何があっても逃げないという決意。彼にはそれがあると、俺は思う……」
そう言って確認するかのように振り向いた狗井に頷き返したエジンワは幸哉の方を向き直った。
「その決意に揺るぎはないな」
幸哉といえ、全く迷いが無い訳ではない。このまま、自分が帰らなければ、日本にいる優佳や他の人達にも心配や迷惑をかけることになるだろうと彼は分かっていた。だが、それ以上にこのまま日本に帰れば、再びあの絶望感と無力感に対峙しなけらばならないという恐怖感の方が幸哉の心の中で強かった。それが故にエジンワに対する幸哉の返答は既に決まっていた。
「迷いは……、ありません……!」
幸哉の答えに頷いたエジンワは再び、狗井の方を向き直った。その視線を受け取った狗井は頷き返すと、幸哉の方を向いて言った。
「来い。お前に渡すものがある」
そう言って、集落の方へと戻って行った狗井の後を追って、幸哉は駆け寄った。
☆
幸哉は狗井の後に付いていくまま、集落の中に建てられた一つの小屋に入った。その小屋は村の他の高床式住居と同じように竹を組んで作られただけの木造のバンブーハウスだったが、その入り口では自動小銃を手にした二人の兵士が警戒についており、明らかに他とは違う雰囲気を放っていた。警備の兵士達は幸哉が小屋の中に入り込もうとすると、その進行方向を阻もうとしたが、狗井が「こいつは入れて良い」と一声かけると、すぐに引き下がった。
決して広いとは言えない小屋の中は天井から吊るされた電球も昼間の今は灯っておらず、光は編まれた竹や木の間から差し込む弱い陽光のみで薄暗かった。部屋の中央には大きな机が置かれ、壁には作戦を指示する際に使用されるものと思われるボードが貼り付けられている他、数挺の自動小銃が立てかけられていた。狗井は壁際の一角に近づくと、一挺の自動小銃を手に取り、幸哉の方を振り返って差し出した。
「いや……、俺は兵隊になるつもりはないです……」
狗井の行動に戸惑う幸哉だったが、狗井は至って真面目な表情で答えた。
「分かっている。そうであっても、ここに居る以上は己の身を守る術は身につける必要がある」
言われてみれば当然のことだが、完全に認識の欠如していた事実を突きつけられ、幸哉は己の決意の甘さを悟った。
(ここは戦場……、死を回避することも己でしなければならない。なのに、自分は傭兵達にそれを任せる積もりでいた……)
自分も戦わなければならない……、その事実を認識して募る不安と恐怖が幸哉の胸の鼓動を速めたが、彼の決意は変わらなかった。
「分かりました……」
幸哉は狗井が差し出した自動小銃を手に取った。それは彼が前日の集落で政府軍兵士を殺めた五六式小銃だった。想像していた以上に重く、ずっしりと腕にのしかかる金属の殺人器を幸哉が凝視する中、小屋の片隅に置いていた自らのバッグに手を伸ばした狗井は、「これもお前に渡す」と言って、一丁の自動拳銃を渡した。
「これは……?」
銃把を向けて渡された自動拳銃を続けて受け取りながら問うた幸哉に狗井は、「コルトMkIV シリーズ70、米国製のハンドガンだ」と答えて続けた。
「俺の恩人のものだ。大事に扱えよ」
「でも、どうして、僕に……?」
渡された自動拳銃を丁重そうに持ちながら、再び問うた幸哉に狗井は自分の荷物を整理しながら答えた。
「お前は俺の命を救ってくれた……、それ以外に理由が必要か?」
狗井の返答にそれ以上、幸哉が言葉をかける余地はなかった。ただ、渡された自動拳銃を眺めていた幸哉はブルーフィニッシュを施された遊底にスペイン語で掘られた刻印があるのに気づいた。
「ベリサリオ・パブロ・カステル……」
その刻印に刻まされた名前こそが狗井の恩人であることは間違いなかった。幸哉はその名にどこか聞き覚えがあったが、この時は思い出すことができなかった。
「訓練は明日の朝から始めるぞ。お前が兵士として生きる積もりがないとしても、俺は容赦しないから覚悟しておけよ」
兵士としての訓練、ズビエでの反乱軍との生活、これから待ち受けるであろう多くの苦難、そのどれも幸哉には想像し得ないものであり、彼にできることはただ、狗井の言葉に頷くことだけだった。
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