第一章

第一章 一話 「異形の者達」

 ゾミカ共和国……、ズビエ民主共和国と東で国境を接するその国はズビエ同様、多民族国家だが、現在は内戦を生じておらず、治安は安定している。しかし、ズビエ政府とは政治・宗教・民族文化、様々な観点から対立しており、陸地で接した国境からは南東部のメネべ州を始めとして、多数の経路から武器や物資がメネべ民族解放戦線に流れ込んでいた。


 東の国境からズビエに入り、メネべへと向かう鉄道路線もその武器輸送ルートの一つであり、一九九三年三月十五日、この日の明朝も多数の物資と武器を載せた装甲列車がその路線上を民族解放戦線の本拠地へと向かっていた。


 二十両以上に連なるその重列車はズビエ政府軍の攻撃に備えて、全面を厚さ二十五ミリの鋼板装甲に覆われており、先頭車両を始めとする各車両には対戦車砲や対空機関砲を備えた旋回砲塔が装備されているだけでなく、車両の外周には多数の歩哨が五六式自動小銃を手に警戒についていた。


「現在、異常なし。このままソルロを通り、メネべに荷物を届けて、さっさと帰るぞ」


 一両目の機関室で部下達を鼓舞する部隊長の車掌であったが、今まで同じルートで何度も物資輸送を行ってきた彼には今回の任務も無事に遂行させられる自信があった。決まった線路で決まった進路にしか進まない機関車は本来、隠密の行動には向かず、この列車がゾミカから解放戦線に武器輸送を行っていることはズビエ政府も当然知っていた。だが、国際間の大きな問題に発展させたくないというズビエ側の思惑もあり、一発二発の小銃弾が撃ち込まれることはあっても、列車が大規模な攻撃を受けることは今まで一度も無かった。それこそが車掌の自信の源となっているのだったが、この日は彼と部下達の慢心が仇となったのだった。


 彼らが何事もなく国境を越えて、ズビエ国内に入り、二時間が経過した頃、列車が狭い渓谷に入った時に異変は起きた。カーブの多い路線に先頭車両が脱線を恐れて減速した際、線路の両脇の山肌が一部動き、次々と列車の上に飛び乗ったのだった。


 いや、山肌ではない。それは人であった。黒い肌に漆の迷彩を塗り、全身に草木や動物の毛皮を被った異形の者達。それらが列車のルーフ上に飛び乗った時、一部の歩哨がその存在に気づいて、手持ちの笛を使い、仲間に警戒を促そうとしたが、彼らの笛から警告音が発せられるよりも前に、飛翔してきた弓矢が歩哨達の喉を貫通し、絶命させた。


 歩哨達の警戒網にかかることなく、車両に飛び乗った異形の者達は残った歩哨達も音を立てること無く、吹き矢やナイフ、絞首ワイヤーを使って、次々と無力化していった。


「何だ!S2、応答しろ!S3、どうした!報告を上げい!」


 無線の定期交信に部下達が応答しないことで、ようやく異常に気づいた先頭車両の車掌が自動拳銃を手に後ろの車両に向かおうとした時には、既に二両目以降の車両は全て制圧されており、異形の者達が一両目にも忍び込んできているところだった。


「くそぉ!この曲者めが!」


 音も立てずに機関室に侵入し、部下達を原始的武器で殺害した異形に車掌は手にしたブローニング・ハイパワーを構えて発砲しようとしたが、それよりも先に背後からかけられた冷たい声が車掌に引き金を引かせなかった。


「止めておけ」


 驚いた車掌が自動拳銃を向けて振り返ると、つい先程まで彼が座っていた機関長席には一人の戦闘服姿の男が座っていた。


「何者だ!」


 そう怒鳴った車掌の言葉に男は何も答えなかった。代わりに無言で振り返った男の、額から後頭部にかけて刻まれた大きな傷と光の灯っていない冷たい目線に射抜かれた車両は蛇に睨まれた小動物のように体の動きを封じられた。


「くそ……!」


 数秒の硬直の後、正気に戻った車掌が目の前の男に対し、ブローニング・ハイパワーを発砲しようとした時、引き金を引くはずの彼の腕は既に上腕で引き千切れていた。


 何が起きたか分からない……。


 その表情で車掌が足元に落ちた自らの腕を見下ろした瞬間、彼の腕を切り落とした異形のマチェーテが今度は車掌の心臓を背部から突き刺した。口から大量の血を吹き出し、瞬時に絶命して、機関室の床に倒れ伏した車掌の最期を冷たい目で見送った軍服姿の男は機関長席から立ち上がると、防弾を施された窓から見える外の景色を見やりながら、背後の異形達に命令を出した。その言葉はズビエの山岳民族だけが使う特殊な伝統言語だった。


 男から命令を聞いた異形の一人が手に持っていた、動物の骨で作られた笛を高く吹き鳴らした時、後方の車両で待機していた異形達も命令を認知して、行動を開始した。


 原始的な狩人の装いをした彼らの数人はその格好に似つかない近代的なケースやバッグを背負っていた。コンポジション C-4、近代の戦争で多用されるプラスチック爆薬をそれらケースやバッグから取り出した異形達は爆薬を車両貨物のあちこちにタイマーとともに設置し始めた。


「速度を合わせろ。少しでもズレたら、この作戦は失敗するぞ」


 機関室に残った異形にやはり、山岳民族特有の言語で伝えた男は携帯していたIMI ROMATライフルを抱えると、減速した列車から飛び降りた。各々の役目を終えた異形達も列車から次々と飛び降り、最後に車両の速度調整を終えた機関室の異形が列車を後にすると、完全に無人となった列車は大量の爆薬と歩哨達の死体を乗せて、メネべへと向かって行ったのであった。





 東の国境からズビエへ入った鉄道路線がメネべ州に入る前に、通過する街の一つにソルロがあった。日本の小さな田舎町ほどしかない大きさのソルロだったが、ズビエの中では上位に入る大都市であり、少数民族の一つであるカム族の市民達が数千人ほど居住していた。


 政府と解放戦線の内戦において、解放戦線側を支持する立ち位置を取っているカム族だったが、その市民が多数居住する街の中心部にはゾミカから伸びる鉄道路線が走っており、その中央には小さな駅も存在した。


 一九九三年の三月十五日、この日も解放戦線に渡される予定の武器・物資を満載した装甲列車が街の駅を通過しようとしていたが、その異常に最初に気づいたのは駅に駐在する解放戦線の兵士だった。


 不自然に減速し過ぎている……、駅で止まるのか?


 常時に比べ、明らかに速度の低い装甲列車の様子に怪訝に思った兵士が駅の管理棟の窓から身を乗り出して、状況を確認しようとした時、悲劇は起きた。


 爆薬類を満載した列車の貨物車両が突然、内部より爆発し、炎の火球が半径数百メートルに渡って広がったのであった。通過する装甲列車を一目見ようと、線路の脇に集まっていた子供達は一瞬にして灰と化し、駅の駐在兵達は衝撃波で瓦解した管理棟の建物もろとも枯れ葉の如く吹き飛ばされた。


 第一波で甚大な被害を生じた突然の爆発だったが、惨劇はそれだけでは終わらなかった。一発目の爆発の炎と衝撃波が他の貨物車両に貯蔵されていた爆発物も誘爆させ、線路から脱線した車両達が次々と炸裂したのだった。爆発の炎と衝撃波が近くにあった人や建物を飲み込み、破壊しただけでなく、空高くに飛び上がった鉄片や炎が街の外れにまで飛来し、落下物として人々に襲いかかった。


 最終的に被害は半径数キロにまて及び、鉄道路線に近かった建物の多くは倒壊し、三百人を超えるカム族の市民が犠牲となった。ソルロの街から数キロ離れたメネべ州の州境の街でも爆発の轟音は聞こえ、立ち昇る黒煙がジャングルや山々の向こうに確認できたが、ソルロの通信網が爆発で壊滅的に破壊されていため、遠く離れた彼らが事態の実情を知ることになるのは惨劇から数時間遅れてからであった。

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