序章 十八話 「引かれた引き金」

 駆け出した幸哉は止まらなかった。山を下り、村へと入った彼は激しい銃撃の中、傷を負って逃げ遅れた村人達を助けながら、狗井が居るはずの村の中央部に向かった。


 飛び交う銃弾や炸裂する手榴弾の爆発に、何度も逃げ出したくなる思いに駆られながらも、幸哉が逃げ出さず、村人を助け続けたのは母の言葉が頭の中に聞こえ続けていたからだった。


 弱い人達を救うために生きて……。


(俺の命一つで、この村の人達が救われるならば……!)


 逃げ遅れた村人達を助け、村の中へと入っていた幸哉が爆発で家の下敷きとなった老婆を救おうとした時だった。彼の耳に聞き慣れた声が飛び込んできた。


「降伏しろ!」

 英語でそう言った狗井の声に幸哉は首を周囲に振って、声の主の居場所を探した。


(居た……!)


 幸哉から見て西の方向、三十メートルほど離れた位置で狗井が跪いた政府軍の指揮官に対して、カービン銃を構えて怒鳴る姿があった。


(勝ったんだ……)


 狗井の姿と静まった銃撃の音に幸哉が一瞬の安堵を覚えた瞬間、銃剣を装着したライフルを手に持った政府軍兵士が狗井の背後から硝煙の膜を突き破って現れるのが幸哉の目に入った。


(危ない……!)


 幸哉は叫ぼうとしたが、狗井と兵士との距離は危機を回避するためには既に近過ぎた。


(近過ぎる……!)


 コンマ数秒、だが、スローモーションのように長く思えた時間の間に戸惑った幸哉は傍らに兵士の死体とともに転がる自動小銃を見つけた。


 まさか、その直後の行動が後の自分自身の人生を大きく変えるだろうなどということ、幸哉は微塵も思っていなかっただろう。それほどに彼は必死だった。


 すぐ脇に転がっていた五六式自動小銃を咄嗟に掴んだ幸哉は狙いをつける余裕もなく、狗井に迫る政府軍兵士に向け、小銃の引き金を絶叫とともに引ききったのだった。


「止めろーー!」



 ☆



 政府軍部隊にとって、虎の子の装備だったDShK38重機関銃を無力化した瞬間から、戦況は狗井達の優位に一気に傾いた。


「ジョニーの隊も西側から来てる!一気に殲滅するぞ!」


 背後の部下達に叫んだ狗井は構えたコルト・コマンドーで敵の残存戦力を葬りながら、村の中央へと突撃した。


 突然の奇襲に戦力の大半を失った上、主力装備の重機関銃も失った政府軍部隊に、狗井達の猛攻を凌ぎ切る力は残されていなかった。統制を失い、散り散りに散開する政府軍兵士達を撃ち倒しながら、狗井は前線を押し進めた。


 そんな中、集落中央の建物の陰に隠れて、必死に無線交信をしているベレー帽の政府軍兵士を見つけた狗井は、それが敵部隊の指揮官であると気づくよりも先に、ベレー帽の兵士に肉薄すると、コルト・コマンドーの銃床でその顔を殴りつけていた。


「指揮官だな?」


 周囲の部下に目配せで、散開と警戒を命じた狗井はベレー帽の男にコルト・コマンドーの銃口を突き付けると、怒声を張り上げた。


「部下達に降伏を命じろ!」


 狗井は現地語のサンゴ語で叫んだが、ベレー帽の男は微動だにすることなく、狗井は今度はフランス語で同じ内容を叫んだ。しかし、政府軍部隊の指揮官と思しき男は全く動かない。


(まさか、外国人兵士……?)


 そう思った狗井が「降伏しろ!」と今度は英語で叫んだ瞬間、彼の目の前の政府軍兵士は微かに笑みを浮かべるように顔を歪めた。


(何だ……?)


 そう思った狗井が政府軍指揮官の視線の先を振り返った瞬間だった。硝煙の霧の中から着剣したSKSカービンを構えた政府軍兵士が彼に向けて突撃して来たのだった。その距離、既に数メートル……。


(間に合わない……!)


 絶叫とともに突撃してくる政府軍兵士に、コルト・コマンドーを構えようとした狗井が胸中に迸る焦燥感とともに、銃剣を受け流す姿勢を取ろうとした瞬間だった。


「止めろーー!」


 聞き慣れた日本語の叫び声が聞こえたかと思うと、数発の銃声が轟き、狗井の顔に生暖かい液体が飛び散った。直後、突撃してきた政府軍兵士の体当たりを食らい、地面に倒れた狗井は自分が撃たれたのかと思い、反射的に体を触って傷を探したが、彼の体に傷は一つも無かった。


(一体、何があった……?)


 倒れた上半身を素早く起こした狗井の傍らでは先程の政府軍兵士が頭の半分を吹き飛ばされて死んでいた。


(味方に助けられたのか……?)


 戦闘体勢を整えながら、首を左右に振った狗井は硝煙と砂塵が舞う中、数メートル離れた位置に自分を助けた者の正体を見つけて、愕然とした。


「お前……」


 唖然とする狗井の視線の先では、両手に五六式自動小銃を握った戸賀幸哉が呆然として立ち尽くす姿があった。力無く下ろした幸哉の手に握られた自動小銃の銃口からは白い硝煙がたなびいている。疑いようはなかった。彼が狗井を救ったのだった。だが、双方とも何が起きたのか信じられない二人の男は硝煙が漂う戦場の中で暫しの間、お互いを呆然と見つめ続けたのであった……。



 ☆



(俺が殺した……?)


 自分の命の恩人を救うためだったとはいえ、幸哉にとって、その行為の意味は重かった。


(俺が人を殺した……?)


 戦闘が終わり、村の喧騒が静まった後も暫くの間、幸哉は自分が殺めた政府軍兵士の死体の傍らで呆然と座り尽くしていた。


「戦争だったんだ。仕方ねぇだろ。お前は狗井を守ったんだ。よくやったよ」


 政府軍指揮官を捕らえ、敵部隊を鎮圧したジョニーが俯き震えたまま動かない幸哉の肩を叩いて鼓舞したが、そんな言葉で動揺が治まるほど、幸哉の感じている罪悪感は小さくなかった。


 彼は兵士ではないのだ。それもつい数日前まで平和な国に居た只の学生。そんな彼が殺人に対して抱いている罪の重さは尋常ではなかった。本当であれば、自分の行為と向き合う時間が幸哉には必要だったが、ここは戦場。敵部隊が近くに接近していることもあり、幸哉は心の動揺が収まる間もなく、再び移動と行軍を開始しなければならなくなった。


「幸哉。今のお前には酷だが、すぐ出発しないといけない。異常に気付いた敵の別部隊が来る」


 狗井は死んだ政府軍兵士の傍らで座り込む幸哉の肩に手を置いた。偵察の知らせによると、敵の別部隊は村に数キロの位置にまで迫っており、すぐにでも出発しなければいけない状況だったが、狗井は幸哉を急かすことができなかった。彼のことを救うために幸哉は人を殺めてしまい、そのことで気を病んでいるのだから、当然のことであった。


「また、一日歩けば、別の拠点に辿り着く。そこでなら、ゆっくりと考える時間も取れるだろう。だから、今は俺達と一緒に来てくれ」


 狗井が優しく呼びかけた声にゆっくりと顔を上げた幸哉は呆然としたままだったが、微かに頷いた。


「すまない……。俺のために……」


 幸哉が立ち上がるのを手伝った狗井はそう言い残すと、部隊を率いるため、隊列の先頭へと戻っていった。その姿を見送った幸哉は再び、自分が殺めた兵士の顔を見つめた。銃弾に側頭部を抉られたその顔は幸哉と同じくらい、まだ若かった。


(もし、俺に殺されなかったら幸せに生きれたかもしれない……)


 居るかも分からない兵士の家族や親友達の存在にまで意識を伸ばしかけた幸哉は心の内で謝りながら、開いたままの兵士の目を閉じると、既に行軍を開始した狗井達の後を追った。

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