序章 九話 「初めての医療支援ボランティア」
どれほどの時間が経っただろうか、恐らくは二、三時間ほどだろうが……。幸哉が揺られるバスの中でいつの間にか眠りについていた間、健二は通路を挟んで席が隣だったアイスランド人NPOの女性と英語で談笑していたようだった。
「おい、幸哉!着いたぞ!」
いつもより快活な健二の声に眠りから起こされた幸哉が外を見てみると、バスは山林の集落のような場所に入るところだった。
「ここが難民キャンプ……」
テレビニュースや新聞で見るような、国連の白いテントが無限に並んでいるような難民キャンブを想像していた幸哉は木造の原始的な高床式住居が並ぶ村落のような風景に驚きを隠し得なかった。キャンプの中には畑のような耕地もあり、子供達が走り回る脇では焚き火をしている老人もいる。
幸哉を驚かせたのは難民キャンプの様子だけではなかった。田畑を耕す男達、洗濯を干す女達、思い思いに遊ぶ子供達、その全員の目が活気に満ち溢れていた。富と名声への欲望に溺れ、破綻した経済のどん底を這い回る今の日本人にはない、生きることへの執念、感謝、希望の輝きが難民キャンプの人々の目にあった。生活の質は圧倒的に低く、命の危険は多いはずなのに……。
バスがキャンプの一角に止まると、エディンバの先導で一行は診療所へと向かった。街の雰囲気とは明らかに異なる難民キャンプの様相に、幸哉は膨らむ期待の一方で一抹の不安も感じていたが、外国人NPO達は慣れたものという顔をしていた。
「他の国で会ったことある人とかいるか?」
幸哉が聞いてみると、健二は頷いて教えてくれた。
「ああ…、いるよ。あのスキンヘッドの白人のおっさんは南アフリカから来たとか前に聞いたな…。他にも見た顔はいるが、何処から来たかは忘れちまった」
「みんな慣れてるんだな」
忘れた記憶を思い出そうとして、頭を掻く健二に幸哉がそう言うと、健二は笑いながら答えた。
「当たり前だ。一年中、途上国で支援事業してるような人達だぞ。ズビエなんて甘っちょろいもんだろ」
二人が取るに足らない話をしている内に、一行は診療所に辿り着いた。その建物は他の住居と同じように、竹を組んで造られただけの高床式のあばら屋だった。防水のためなのか、屋根の部分には青や黄色のビニールが継ぎ接ぎで敷かれていた。
「はーい、皆さん。ここが現在の診療所になっておりますので、よく見ておいて下さいね」
エディンバが明るい声で紹介すると、ジャーナリスト達がメモを取り、建物の外見の写真を撮り始めた。
「早速、中に入ってみましょう。さぁ、どうぞ!」
木と竹を組んで作られた診療所の床は人が一人乗るだけで軋み音を上げ、幸哉は不安を感じざるを得なかったが、胸の内に募る期待感に背中を押された彼は診療所に踏み込んだのだった。
☆
追い詰められても生きる希望に満ち溢れた人々が多かった外のキャンプと違って、診療所の中は痛みを訴える呻きと患者達が自分の先行きを案じる不安で満ちていた。
「ひでぇもんだな……。これが戦争か……」
診療所には患者が溢れかえっていた。パイプを組んで造られた即席のベットには四肢を失ったり、全身に包帯を巻かれたような重症の者が寝かされており、それ以外にも室内には松葉杖をついたり、床に力無く座り込んだ人達が沢山いる。大人だけではなく、子供も多くいた。
「ここにいるのは殆どがモツ族の人達です……」
初めて直に目にする戦争の犠牲者達の姿に呆然とする幸哉の前で、エディンバが続けた。
「多数派のフラム族から成る政府は否定していますが、全土で少数民族に対する武力・政治的弾圧が行われています」
エディンバの声は普段と違い、重く、その言葉の響きにも独特の深みがあった。
(この人もモツ族なんだ……)
幸哉は直感でそう感じた。
まだ、医師としての職務経験はないものの、幸哉と健二は大学の臨床実習で得た知識と技術を精一杯活かし、NPOの人々の助けも得ながら、傷病者の手当てを手伝った。いつもは軽口を叩く健二も今日は真剣だった。
燃料気化爆弾の爆発により、家族を失い、自身も全身に火傷を負った少女の手当をする中、幸哉は奇妙な感情を抱いていた。
日本で見ない凄惨な状況を目の前にしても、目を逸らすことなく、目の前の手当てに集中しようとする自分がいる。きっとそれは全ての人間にできることではないのだろう。ならば、こここそが自分の生きるべき場所ではないのか?
そう考える幸哉の胸の中には日本で感じていた空虚さは既に無かった。そうして、処置に夢中になっている間に一日目はあっという間に終わってしまったのであった。
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