序章 七話 「ようこそ、ズビエへ」

 空港から現地タクシーの車内で揺られること三十分、到着したのはホテルというよりは雑居ビルというような五階建てのコンクリート建築物だった。


「何、ぼおっとしてんだ。行くぞ」


 想像していたものと全く異なるホテルの外観に唖然とする幸哉の背中をポンと叩くと、健二はいそいそと建物の中へ入って行った。幸哉も慌てて、その後に続くと、ホテルのロビーは空港と同じように熱気が漂っており、天井に取り付けられたシーリングファンが申し訳程度に濁った空気を循環させていた。


「あっちぃな……、全く……」


 そんな悪態をつきながら、健二と幸哉はチェックインの作業を済ませた。

 ホテルの受付の青年の話によると、二人の部屋の空調機は故障しているとのことだった。日本の真夏以上に暑い気候に、幸哉は正気ではないと思ったが、部屋を変えてもらうこともできないらしく、どうしようも無かった。


「とりあえず、荷物を置いて、街の散策にでも出るか……」


 健二と幸哉は重い荷物を手に、割り当てられた四階の部屋へと向かった。勿論、エレベーターなどというものは無い。二人は汗だくになり、息も切れ切れになりながら、何とか自分達の部屋に辿り着いた。


「はー、こんなあちいのに冷房もなしかよ……。正気じゃねぇよな……」


 部屋の中は想像していたよりは綺麗だったが、二人ともやはり空調機のないことが不満だった。故障した空調機の代わりなのか、小さな扇風機がポツンと部屋の隅に置かれていた。


「風を起こしても、熱風じゃな……」


 扇風機のスイッチをつけた健二がぼやく。


「こんなとこに留まってても仕方ねぇから、さっさと行くか……」


 熱気の溜まった部屋から出て、再びホテルのロビーへ降りた二人の元に一人の現地人らしき男が近づいてきた。


「ミスター・ナカジョウ、それとミスター・トガですか?」


 青色のポロシャツを羽織り、黒いサングラスをかけた男は明るい笑顔と気さくそうな雰囲気をまとって、二人に話しかけてきたが、幸哉は"話しかけてくる奴は全員悪人の法則"を思い出して、無視した。


「おい、幸哉!この人は大丈夫だ!」


 素通りして、ホテルの外に出て行こうとした幸哉の肩を健二が引き止めた。


「この人は俺達の案内をしてくれるエディンバさんだ」


 慌てて頭を下げ、この挨拶の方法も正しいのか?と若干狼狽した幸哉に、エディンバという名の案内人は満面の笑みで手を振った。


「それじゃあ、エディンバさん。早速こいつと街をブラついてみようと思うんですが……」


 健二の方を向き直ったエディンバは笑顔で返答した。


「ああ、それは丁度良かった。私も君達に、この街を紹介しようと思って来たんだ。それじゃあ、行こうか」


 そう言って笑いながら、健二とともにホテルを出て行ったエディンバの後を追って、幸哉もホテルを出た。





 ホテルから出て、街の市場や旧政府官邸など、主要な観光スポットを一巡した一行は周辺の通行が厳しく制限されている大統領府を比較的近くから見下ろすことができるカフェの一席に腰を下ろした。


「私の客人にいつものを頼む!」


 エディンバがマスターにそう言うと、数分ほどして、ブブと呼ばれる軽食が出てきた。


「上手いぞ。止まらなくなるから食ってみろ」


 エディンバはそう言いながら、出された料理を摘み始めたが、幸哉にはそれはシロアリを炒めたものにしか見えなかった。


「炒めてるんだ。噛まれたりはしねぇよ」


 幸哉の隣に座る健二もアフリカの他の国で食べたことがあるのか、ゆっくりと頬張り始めた。親友が食しているのを見て、幸哉も重ねられたシロアリの死骸の一つに恐る恐る手を伸ばすと、一気に口の中に放り込んだ。


 想像では酸味が強いのかと思ったブブだったが、意外な食べ安さに幸哉は次の一つにすぐに手を伸ばした。そんな幸哉の様子を椅子に深く腰掛けて、ニヤニヤと見つめていたエディンバが街の方に視線をやって、口を開いた。


「良い街だろ。トーキョーよりも、こっちに住みたくなったんじゃないか?」


「ええ……、是非一度……」


 得体の知れぬ料理への緊張から、突然話しかけられて驚いた幸哉は自分でも何を言っているのか分からない返答をしてしまい、頬を赤らめた。


「すみません……。こいつ、海外は初めてなんで緊張してるんですよ……」


 すかさずフォローした健二と動揺する幸哉の二人を見て、エディンバは頷きながら、笑い声を上げた。


「ははは、緊張するのも大事なことだよ。この国はとても良い国だが、一つ忘れてはならんことがあるからな。それは……」


 そこまで言ったところで急に笑顔を消したエディンバの表情に幸哉は背筋に悪寒が走るのを感じた。


(こんなに暑いのに悪寒が…?こんな楽しい場面なのに何故…?)


 幸哉がそう思った瞬間だった。幸哉達の視界を白い閃光が埋め尽くしたのだった。


 幸哉達が何事かとカフェの窓から外を振り返った瞬間、閃光からコンマ数秒遅れて到達した爆発音が彼らの鼓膜を震わせた。同時に大統領府の方から黒煙が上がっているのが目に入った。燃えているのは大統領府への道路の出入りを制限していた検問小屋だった。


「忘れてはならないのは、この国が内戦地帯だということだ……」


 爆発に続いて聞こえてきた散発的な銃声とともにそう言ったエディンバの方を幸哉が振り向くと、エディンバは出会った時の笑顔とは違う、意味ありげな笑みを浮かべて、幸哉と健二に言った。


「ようこそ、ズビエへ」


 そのエディンバの一言に再び背筋に悪寒が走るのを感じ、硬直する幸哉をよそに爆発の黒煙は天空へと向かって、モクモクと立ち昇っているのだった。

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