序章 五話 「遠い日の記憶」

「やったよ!お母さん!俺、医学部に合格したよ!」


 その日、幸哉は歓喜の声とともに母の病室へ飛び込んだのだった。病室は白く、明るく、心地良い風に窓際のカーテンが揺れていた。


「これで医者になれる!俺がお母さんを助けられるんだ!」


 病室にいる他の人間のことなど意識にない……。それほどまでに嬉しそうな様子の息子を前にした母だったが、その顔色は暗かった。


「幸哉……、お母さんのことはもう良いの……」


 痩せた頬に微笑を浮かべて、そう言った母の言葉の意味を幸哉はすぐに理解することはできなかった。


「どうしたの……?」


 母は何も答えなかった。だが、病室のベッドに横たわる母の痛々しい姿、病院服の上からでも分かる以前よりも痩せた母の姿に幸哉は全てを悟った。


(母さんは俺が医者になるまで生きられない……)


「じゃあ、俺はどうすれば良いの……?」


 もう数年しか生きられない人間に自分の将来の生き方を導いてもらおうなど、筋の通っていないことだったが、その時の幸哉にはそんな事を考えられる冷静さはなかった。


 母は途方に暮れた表情の息子の頭を優しく撫でた。そして、自分のたった一つの願いを息子に託したのだった。


「弱い人達を救うために生きて……」


 その言葉を託された後も、幸哉は母の病気を治す一心で大学に通い続けた。そして、六年の月日の後、大学卒業を目の前にして、遂にその夢が叶えられると思った時、幸哉の母親は愛する息子を一人残して、この世を去ってしまったのだった……。

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