序章 三話 「打ち明けた思い」

「お前、正気か?」


 幸哉の考えを聞いた中城健二が最初に口にした言葉はそれだった。

 健二は幸哉の医大の同級生であり、青年海外協力隊の活動で学生時代にアジアやアフリカの発展途上国に医療支援活動で多く行ったことがある男だった。


 実家での母親の遺品整理の翌日、ズビエに渡航する事を決意した幸哉が健二の家を訪れたのは友人の海外での豊富な経験を聞くためだったが、健二は幸哉の決断に猛烈に反対したのだった。


「いや……、お前、初めて行く海外なんだから、せめてもっと安全なところにしろよ……」


 そう言いながら、健二は彼が勧めるアジアの途上国のパンフレットを幸哉に差し出したが、どうしても首を縦に振らない幸哉の様子を見て、深い溜め息をついた。


「どうしても、ズビエじゃないとダメなのか?」


 その言葉に、ようやく首を縦に振った幸哉に呆れた顔で腕を組んだ健二は問うた。


「何でだよ?」


 今まで海外など、旅行ですら興味のなかった友人が突然、アフリカの小国に行きたいと言い出したのだから、その理由が気になるのは当然だった。


 暫しの沈黙の後、幸哉はぼそりと答えた。


「本当に……、困っている人達を助けたいから……」


 俯いて、そう言った幸哉に健二は再び深い溜め息をついた。


「他にもそんな国はいっぱいあるだろう?」


 目の前の、より安全な国のパンフレットを示しながら、健二は言ったが、幸哉は同意を示さなかった。二人の間にまたしても重い沈黙が流れた。


 幸哉が何故ズビエに拘るのか、健二にその本当の理由は分からなかったが、何か強い意志が幸哉にあることだけは分かった。そして、深い溜め息とともに健二は口を開いた。


「分かったよ。」


 半ば諦めたような口調でそう言った健二は更に一言を付け加えた。


「俺も行く。」


 親友のその言葉に驚いた幸哉は思わず、俯いていた顔を上げて、健二の顔を見つめた。そんな幸哉の目を見返した健二は呆れたような、だが、どこかに決意を固めた表情で言った。


「大事な友達を、そんな危険地帯に一人で行かせる訳にはいかないからな。」


 親友の意外な言葉に呆然としつつも、「ありがとう……」と言いかけた幸哉の言葉を健二は制した。


「だけど、休戦中といえ、ズビエは内戦地帯だ。向こうに行ったら、安全のためにも俺の指示には全て従ってもらうことになるぞ。」


 それが条件だ、と険しい表情で伝えた健二に幸哉は何も言わず、静かに頷いた。


(遂にズビエに行ける……)


 健二が深い溜め息をつく一方で、幸哉は一抹の不安とともに押し寄せてくる奇妙な期待感に密かに胸を膨らませるのであった。





 健二の家を立ち去った後、幸哉はあの銀杏の大樹が立つ公園のベンチで優佳に自分の意思を伝えた。


「俺はズビエに行く。そこにいけば、今の悩みの答えも見つかるんじゃいかと思うんだ……」


 母親が残した言葉、弱い人達を救うために生きて欲しい、という思いに応えるために、アフリカの小国に行きたいという幸哉の思いを優佳は静かに聞いていた。


 何故、アフリカなのか。何故、そんな危険なところに行くのか。思うことは沢山あっただろうが、彼女は無粋に問うことはしなかった。ただ、静かに幸哉の話を聞き続けた。


「そう……、気を付けてね……」


 幸哉の決意を聞いた優佳の胸の内は不安で乱されていたが、彼女は自分の愛する人を止めはしなかった。


「お父さんには俺から……」


 そこまで言いかけた幸哉の言葉を、優佳は首を横に振って制した。彼女にとって、もっと大切なことは他にあった。


「大丈夫、それよりも幸哉は無事で帰って来て。」


 それだけが彼女の伝えたい、たった一つの願いだった。


「大丈夫、必ず戻るよ……」


 静かにそう返した幸哉の声には不安や緊張も混ざっていたが、数日前までと比べると何処か希望に満ちた部分も感じて、優佳は不思議な安心感を覚えるのだった。

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