序章 二話 「静かな決意」

 公園で優佳と会話した翌日、幸哉は母親の遺品を整理するため、栃木にある実家に一人で帰っていた。


 最期の数年、母親は病院に入院し続けており、幸哉も医大に近い東京のマンションで優佳と暮らしていたので、実家には長い間、人が住んでおらず、片付いた家の中は実際に感じる以上に暗く、肌寒く思えた。


 本当なら母の死に対する感情が収まってから、遺品の整理をしようと思っていた幸哉が今日、実家に戻って来た理由は一つだった。母の遺品を整理することで、自分の胸の中に渦巻く問いの答えが出るかもしれない……。そう思ったからだった。


 母の学生時代のアルバムや結婚式の様子を収めた写真集など……、多くはなかったが、母親の遺品を整理する中で、幸哉は母との思い出を追懐した。

 涙は流さなかったものの、感情を揺れ動かされながら、整理を続けていた幸哉が"それ"を見つけたのは母の部屋の整理をしていた時だった。


「これ……、もしかして……」


 母の衣装タンス、その隅に押し込められていた紺色の帽子……、前面にローマー字で「ZBIE」と刺繍されたキャップ帽を手に取った幸哉はそれを自分に渡した人物、八年前に失踪した父の記憶に思いを馳せたのだった。





 幸哉の父親が仕事で行ったアフリカで失踪したのは八年前、幸哉がまだ高校一年生の時だった。


「今回は長くなるだろうが、冬には帰る……」


 そう言った父親は幸哉に紺色のキャップ帽を残して、家を出て行った。父親が仕事で行っている国で作られたものらしく、キャップ帽の前面にはその国の名前が刺繍されていた。


 その国は内戦の耐えない国だった。幸哉の父親がその国に行ったのは独立戦争が終わったばかりの頃で戦争は小康状態だったが、三度目の出張の時に今度は内戦が始まり、その動乱の中で幸哉の父は失踪したのだった。





「ズビエ……」

 父の失踪を信じたくなかった過去の自分が目の届かぬところに封印していた帽子……、それを誰も居なくなった家で見つけた幸哉はそこに刺繍された文字を一人読んだ。その瞬間、幸哉の中で堪えていた感情の塊が崩壊し、彼の目の前が潤んだのだった。


「どうして置いていったんだ……」

(二人とも……)

 最後は声にならなかった想いを漏らした幸哉は肩を震わせ、誰も居ない家の中で一人静かに泣き続けた。


ズビエ……。


 静かな広い家の中で、誰にも邪魔されることなく、堪えていた感情を表出させた幸哉の中に残ったのはその国名だった。


 この国になら母が言っていた弱い人々が……、自分が本当に救うべき人達が大勢居るのではないか……?


 そう思った時、幸哉の胸の中では既にある一つの決意が固まっていたのだった。

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