第33話火星のマーズ

紅茶にブランデーをどばどばと入れたものをすすりながら、フック船長はヤンの話に聞き入っていた。

「それじゃあなにかい、そのベレッタというのは半秒の間に風の盾にできた穴が塞がる前に正確に同じ場所を撃ちぬいたというのかい」

フック船長は白い肌の頬をなでながら、ヤンに言う。

「ええ、そうです。ベレッタさんは射撃の名手で騎士殺しナイトキラーの異名を持っていますから」

ヤンは答える。

フック船長から出されたマドレーヌをかじる。いい甘さが口に広がる。海賊の船室にあるものとは思えない上等のものであった。

「それであの黒騎士ロシュフォールは死んだのかい」

フック船長は言った。

「ええ、亡骸は僕も確認しました。ヨアンナ姉さんが埋葬したのにも立ち会いました」

ヤンはフック船長に言う。

フック船長はさらに焼き菓子をすすめる。

ヤンは遠慮せずにそれらをいただくことにした。どうやらフック船長からは敵意とか殺意というのは感じられない。

むしろ、ヤンの話に聞き入っていた。


実はフック船長の父親はかの黒騎士ロシュフォールによって殺害されていたのだ。

ハーゼル男爵が帝都に送ろうとした若い女たちを横取りしようとして、返り討ちにあったのであった。

酒好きで博打好きで女好きのどうしようもない先代であったがフック船長にとっては地上でただ一人の肉親には違いなかった。

人身売買などやめるべきだとフック船長は口酸っぱくいっていたが、先代は聞く耳持たずに帝国貴族に手を出し、逆に殺されてしまった。

はっきり言って、父親のことは嫌いだったが仇を討たないと目覚めが悪いのでいつかあの黒騎士と戦わなくてはと思っていたところにヤンからすでに死んでいると聞かされた。

フック船長はようやく先代の呪縛から解放され、清々しい気分であった。

「えっ、それではこの船には連れ去られた人はいないのですか?」

ヤンはフック船長に逆に質問する。

「ああ、そうだよ。私の代になってバラクーダ号は人売りはやめたのさ。私なりの正義ってのがあるからね。今はあくどい商人や貴族しか狙わないんだよ。部下のあいつらは不満そうだけどね」

金色の巻き毛をかきあげ、フック船長は言う。

では、どうやらイワンの情報は間違いのようだ。バラクーダ海賊団は義賊になっていたようだ。これは早くジャックやイワンに教えなくては。しかし、どうやってこの場を立ち去るべきか。

それに一人で荒くれ者の海賊たちを相手にしているであろうヨアンナのことも心配だ。

命の心配は今のところなくなったが、ここで急に立ち去ろうとしてフック船長の機嫌を損ねるのも得策とはいえない。

ヤンは悩んでいた。

ヤンが思案を巡らせているところ、フック船長は立ち上がり、ヤンの肩を抱き上げる。

女性にしてはかなりの力で立ち上がらされ、ヤンは別の船室に連れていかれた。

「ヤン坊や、あんたに会わせたい人がいるんだ。君らはあのフェルナンド辺境伯と戦うのだろう。辺境伯の軍はほぼ正規軍といってもいい。そんなのと戦うなら彼女の力が役にたつだろうよ」

フック船長は一人そう言うとぐいぐいとヤンの腕を引き、ある船室のドアの前に立つ。

話が急展開過ぎてヤンはついていくのにやっとだ。フック船室の話しぶりでは新たに協力してくれる人間を紹介しようというのか。

ドンドンとノックというにはあまりにも乱暴な叩きかたでフック船室はドアをなぐる。

「マーズ、開けるよ」

そう言い、フック船長は中の人物の許諾をえずにドアを開ける。

そして、部屋の中にヤンを連れていく。


ヤンが部屋の中で見たのは机の上で光る瓶を覗いている小柄な女性であった。

袖のない服をきていて、腕は筋肉質でがっちりしている。濃い茶色の髪の毛をしていて、小柄ながら引き締まった体格をしている。

「まったく騒々しい女海賊だね」

振り向き、その女性は言った。

「悪いんだけどね、ホウライ国行きは延期させてもらうよ。新しい仕事ができたからね」

フック船長は形のいい胸の前で腕を組む。

「はぁぁ、まったく勝手な女だ」

あきれた顔で、小柄な女性は言う。

かけていた眼鏡をとるとむっちりとした胸の谷間に挟む。

じろりと小柄な女は黒い瞳でヤンを見る。

「なるほどね、あんたがフックの新しい男かい。で名前は?」

と彼女は訊く。

新しい男なんてなった覚えはないが、ヤンは名乗る。

「ブレーメン自警団ね。あの変態男爵を倒して、今度は辺境伯とやろうってのかい。フックが気に入るはずだ。なかなか豪気じゃないか」

立ち上がり、女はヤンの右手をつかみ、無理やり握手する。かなりの握力でヤンはビリビリと手が痛むのを覚えた。

その女性はがっちりとした筋肉質をしているが背丈はヤンの肩ほどまでしかない。

「私はこのバラクーダ号の乗客で火星のマーズ。白雪姫ホワイトスノウに仕える七人の小人セブンドワーフの一人さ」

小柄な女はマーズと名乗った。

ヤンは人生ではじめてドワーフなる存在をその目で見た。

あの伝説の職人集団の一人だと目の前の女性はいうのだ。

たしかにその体躯は聞くところによるドワーフそのものだ。

「偶然手に入れたこのエネルギー体の正体を調べるために魔術大国ホウライに渡ろうとフックに頼んだのだけどね。どうやら気まぐれなあの女のせいで後回しになりそうだね」

やれやれと言った感じでマーズは言う。

「それじあ、あんたも一緒にきてくれるのかい」

ふふっと魅了的な笑みを浮かべて、フック船長は言う。

「あんたは一人でもそのヤン少年のところに行くのだろう。そいつは心配で仕方ないさ。それにあの高慢ちきな帝国貴族に一泡ふかせてやれるならいいってものさ。あいつらは命令だけは偉そうにするくせに金払いは悪いやつらだからね」

マーズはそう言い、さらに強くヤンの右手を握る。ヤンは思わず、苦痛に顔を歪めてしまう。その様子を見てマーズはどこか嬉し気に笑った。


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