第30話 港街に住む傭兵

 エマとベレッタが機馬サイボーグホースに乗りガイゼルの街に向かって出発するとほぼ同時にピーターたちは港街ギランに向かっていた。

 軍用車のハンドルを握るのはヨアンナであった。

 彼女は共和国首都ラー・ドランで修道女の資格をとるために留学していたころに自動車の運転も学んでいた。

 ヨアンナの支える神はこの大陸で主に信仰されている六柱神の一柱である豊穣の女神カーラーであった。

 鼻歌混じりに運転する彼女はどこか楽しげだった。

 わずか半月もしない間に辺境伯の軍が攻めこんでくるのだが、そんな絶望にちかい状態でありながらヨアンナは明るかった。

 くよくよしていても仕方ないさ。

 ヨアンナはヤンの肩を豪快にたたき、そう言うのだった。

 一人ならきっと落ち込んでいたに違いないヤンはそんな姉に救われていた。

 兄弟のいないピーターはそんなヤンとヨアンナを羨ましそうに見つめていた。


 時々、休憩をはさみながら次の日の午前中に港街ギランに到着した。

 どこからともなく風にのって流れてくる潮の匂いにピーターはここが港街である実感を覚えた。

「いいにおいだね。港街だから今晩は魚料理でもつくろうかな」

 ゆっくりと車を運転しながら目にはいる干した魚を見ながら、ヨアンナは言った。

「姉さん、フィッシュ&チップスがいいな」

 ヤンは言った。

「いいねえ、ピーターもそれでいいかい」

 ヨアンナはピーターは訊いた。

「いいですね、でもその前にあのジャック叔父さんという人を仲間にしなくてはいけないですよね」

 ピーターは二人に訊いた。

 ヨアンナの料理はここ数日で食べる機会が多くあり、すっかり好きになっていたのだがそのジャックという人物がどれほど頼りになるかわからないので不安でもあった。

 

「そうだね、あの人が手をかしてくれるかはギャンブルみたいなものだからね。なんせ気分屋だから」

 車窓から流れる景色を見ながらヤンは言った。


 やがて車は小高い丘の上に建てられた一軒家に到着した。

 その玄関の前で揺れる椅子に座っている人物が見えた。

 ピーターたちは車を降り、その家に歩いて行った。

 どうやらこの家の主がヤンたちのいうジャック叔父さんだというらしい。

 あの椅子にゆられ琥珀色の液体の入ったガラスのコップを持っている人物がである。


 その人物がちらりとピーターたちを眺めた。

「ほうちょっとは男の顔になったじゃないか」

 かすれた、酒焼けの声でその男は言った。

「久しぶりですね、ジャック叔父さん」

 ヤンは挨拶した。

「ああ、久しぶりだな。ヨアンナはすっかりいい女になったな」

 ジャックは言った。

「まあね」

 照れるわけでもなくヨアンナは微笑んだ。

「立ち話もなんだし、家に入れてくれないかしら」

 ヨアンナはジャックに言った。

「ひさしぶりなんでね、焼き菓子を持ってきたからさ」

 とヨアンナは付け足す。

「しゃあない、入れよ」

 ジャックは椅子から立ち上がり、三人を自宅内に案内した。


 これがヨアンナとヤンの姉弟が頼りにしているジャックという人物か。

 ピーターは気づかれないようにジャックの人となりを見た。

 背はそれほど高くない。

 百六十センチ強といったところか。

 背は高くないが、かなり屈強な体格をしている。

 ヨアンナの話では三十年戦争時代に傭兵として活躍したとのことであった。

 ジャックの顔に刻まれた細かい傷がそのことを証明していた。



 家の中は質素であったがよく掃除され、清潔であった。

 ヨアンナは借りるよと言い、ずかずかとキッチンに向かい、コーヒーをいれだした。

「人がいれたコーヒーなんて何年ぶりだろうね」

 無精髭の顎をなでながら、ジャックは言った。


 ジャックは一人がけのソファーに座る。

ヤンたち三人は長いソファーに腰を下ろした。

ジャックはヨアンナの用意したマドレーヌを旨そうにかじり、ブラックのコーヒーをごくりと飲んだ。


ヤンは辺境伯に宣戦布告を受けた現在の状況をジャックに説明した。


「それで俺の力を借りに来たのかい」

 じろりとヤンを見つめながら、ジャックは言った。

「正義のため、人のため。ヤン、おまえはそんなもののために戦うのか。ふん、馬鹿らしい」

 首を左右にふり、ジャックは大げさにため息をついた。


「まったく、相変わらず偏屈だね」

 ヨアンナはあきれる。


「ジャック叔父さん、この子らのために力を貸してくれないかい」

 ヨアンナは自作のマドレーヌをコーヒーにつけて、食べる。

 うん、我ながら美味しいねと小声で言った。


「ヨアンナ、おまえの頼みでもちと弱いな。人に命をかけさせるんだ、それなりの理由が必要だ。俺を動かすに足る理由がな」

 ジャックは言った。

 彼は大義とか正義とか他人のためとかいう言葉が嫌いだった。

 そんな言葉で人を戦場に送るやつは決まって後ろの安全な所にいるのだから。

「おい、坊主。おまえはなんのために戦うのだ」

 ギロリとジャックはピーターに視線を送る。



 ピーターは正面からその視線を受け止めた。

 けっして目を離してはいけないと思った。

 そして、この目の前の歴戦の傭兵には嘘やお世辞は通じないと考えた。

正直に自分の思うことを言おうとピーターは考える。

「僕は好きな人を守りたい。そのために戦う」

 ピーターは視線をそらさずに言う。

「そいつは女か」

 にやりとジャックは笑う。

「ええ、そうです」

 ピーターは頷く。

「その女を抱きたいか」

 ジャックはなおも問う。


「ちょっとなんてこと聞くんだい」

 ヨアンナが口をはさむ。


 ジャックはそれを手をあげて、制した。

「これは男と男のやりとりだ。悪いがヨアンナ、黙っていてくれるか」

 ジャックは言う。


「仕方ないね」

 ヨアンナはふてくされた。


 ピーターはエマのことを考えた。

 ピーターはエマのことを幼いときから好意を持っていた。

 あの炎のように情熱的な赤い髪と魅力のある肢体が頭に浮かぶ。

 ピーターも健康な男子なので口にだすことは決してなかったが性的な想像を何度もしたことがある。

 この戦いに勝たなければその大好きなエマが死んでしまう。

 そんなのは絶対に嫌だった。

「ええ、もちろんです。僕はエマを自分のものにしたい。だから銃を取るのです」

 ピーターは顔を赤くしながら言った。


「ハハハッ‼️」

 大きく、ジャックは笑う。

「気にいったぞ、坊主。正義のためなんてそんなあやふやなもんには命をかけれんよな。好きな女を守るためっていうのなら、話はわかるぜ。いいぜ、このホラ吹きジャック、おまえたちの戦いに加わろうじゃないか」

 ピーターの肩を景気よく叩きながら、ジャックは言った。

 あんまりにも強く叩くので、ピーターはむせてしまった。

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