第4話 ◇◆


「コスモス」

「曼珠沙華」

「リンドウ、ワレモコウ」

「・・・・・菊」

「ハギ、オバナ、クズ、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、キキョウ」

「いや、七草ってそれずるくないか? ・・・・・・鶏頭」

「クジャクソウ、センニチコウ、ダリア、セージ、ネリネ、フレンネルフラワー、ピンポンマム」

「ぴ、ぴんぽん? ぴんぽんってなんだ、卓球か」

「サルビア、シュウカイドウ、ラン、フヨウ、ムラサキシキブ、ナナカマド、メランポジウム、トレニア、ホトトギス」

「ほ、不如帰ホトトギスは鳥だろう、あと春じゃないのか」


 その声はどこか臆していながらも、はっきりと意を唱えてきました。

 臆す理由はしれています。本日、わたくしはしょっぱなから不機嫌オーラを全開にさせておりました。職場でも家庭でも気を遣われることに慣れきった

御仁にはさぞかし居心地悪かったことでしょう。ちなみに、不機嫌の見本として二名の方を参考とさせていただきました。上司の上司に呼び出された後の上司と、わたくしにどっさり仕事を引き継ぎ産休に入った先輩――どうして私よりもあなたの方が有給の消化率が高いの、が口癖の――です。

 勇気りんりんと突っかかってきた戸比氏に舌打ちしたい気持ちではありましたが、そこは堪えましたが。代わりにひどく冷淡な口調で、


「ウグイスと勘違いなさっていませんか? ホーホケキョ、とイメージ混同なさっておられるようで。こちらが申し上げているのは、花の杜鵑草ホトトギスで、当然、季語は秋です」


 わたくしは半身を起こしながら隣のベッドを見やれば、熱でもあるのか――ついつい忘れがちなのですが、私たちは肺炎患者であります――、氏は顔と耳を真っ赤にしておりました。


「な、なんだ、その人を小馬鹿にした言い草は。年上に向かって失礼だろう。大体、卑怯じゃないか、合意もないままいきなり始めて。どうせ前もって調べていたのだろう、っていうか関係者だろ、プロだろ、花屋か!?」


 わたくしは一瞬、言葉に詰まりました。

 こちらから仕掛けた〝秋の花〟くくりは、プロというわけではありませんが、学生の頃、ホームセンターに入っていた花屋でバイトしていたアドバンテージがあったからこそ。ほんのちょっぴりフェアでないのは、認めるところでありました。

 ですが、〝年上に向かって失礼だろう〟などというあまりにテンプレな台詞を吐くヤカラに遠慮は無用。


「実際、小馬鹿にしておりますもの。準痴漢行為者」


 相手の弱みを握れるというのは爽快でした。快も苦もこちらの意のまま。

 ふっと鼻で笑いつつ、点滴ルームの窓越しに手を上げて、待合室にいた看護師へ点滴終わりの合図を送ります。

 戸比氏は口を半開きにし、今にも喚き散らしそうな、泣き出しそうな、恥辱にまみれたお顔をなさっていました。

 追い打ちを掛けようとしたその時、


「楽しそうだなあ」


 意外な人物が看護師と共に入室してきました。

 老医師です。今まで先生が点滴ルームにいらっしゃることはなかったのですが。時刻はすでに十二時近く、患者はすべて診終えたのでしょう。確かに、今日は駐車場に停まっていた車も少なく、私の赤い軽自動車も、戸比氏のすかした空色の輸入車も、医院に隣接されている第一駐車場に停めてありました。


「知り合いだったのか、二人とも」


 奇妙な沈黙が通り過ぎました。知己ではありません。いえ、出会い、意識の範疇に入れてからは四日目。知り合いではありますが、老医師が仰るのはそういうことではないのでしょう。 


「家族ぐるみのお付き合いです」


 わたくしは、しれと嘘を申し上げました。


「ああ、ユウイチロウ君の同級生か、もしかして」


 知らぬ名前が出てきましたが、やはり、しれと同意しました。点滴の処置をしてくれる看護師の肩越しに見やれば、戸比氏は、お顔うるさく、信じられないという表情を浮かべておりましたが。


「瀬名さんとこはお袋さんが大変な時だからな。戸比、力になってやれよ」


 出し抜けに母のことを持ち出され、今度はわたくしの表情が信じられないとなったのはしようのないこと。

 先生、それは個人情報、いえ、わたくしが家族ぐるみでのお付き合いなどという安易なごまかしをしたから、というか先生と戸比氏はもしやご友人で・・・・・・

 唐突に多量の情報が流れ混み、思考回路はショート寸前、今すぐ逃げ出したくなりました。

 処置が終わり、衣服を整えると一礼して待合室へと向かいました。あえて、堂々と。患者が他におらず、戸比氏が出てくる前に会計を済ませられたのは、不幸中の幸いでありました。


 何も起きない日があれば、次から次へと起きる日があり、今日は当たり日のようでした。

 医院を出たわたくしは、向かった駐車場で、空色の輸入車に貼り付く男と遭遇したのです。

 車上荒らし。

 わたしくしの中古車には見向きもせず、ただひたすらに戸比車にばかり興味をお持ちなのは、面白くないところでした。

 とまれ、目の前で犯罪が起きようとするのを見過ごすのは、寝覚めが悪いもの。所有者があの戸比氏のような準痴漢行為者であってもです。男はこちらに気付いておらず、わたくしは十分に距離を空けて声を掛けました。いざとなれば医院内に逃げ込む算段で。


「そちらの車の方にご用ですか。もうすぐ出てらっしゃいますよ」


 振り返ったのは若い男でした。私と同年あるいは少し下、中肉中背、ブルゾンを羽織ったごく普通の。


「・・・・・・知り合い?」


 男は空色の車を指して問うてきました。知り合いか、知り合いでないか。その問いをされるのも本日二回目でした。知ってはいるけれど、知り合いかどうか微妙、でも知らないわけじゃない。そんなニュアンスをどう表現するか思案していると、


「・・・・・・どっか、悪いわけ?」


 男は車体を指したまま、ぞんざいな態度で重ねて問うてきます。

 ふいに気付きました。分厚い目蓋の、実は垂れ目、その下のべっとり隈。そっくり、というかワンサイズ下。私は聞き覚えたばかりの名を口にしました。


「ユーイチロー?」 


 男の腫れぼったい目蓋が少し上がり、なんで、と口元が動くのが見て取れました。どうやら当たってしまったようです。


「戸比さんなら受診中です。入ってお待ちになられては、」


 いかがでしょう、と言い終える前に。

 ユーイチロー氏はなんの前触れもなく、運転席側の扉をボゴっと蹴り上げました。要約すればボコりました。美しくガラスコーティングされた空が凹みました。そして氏は身を翻し、駐車場の隅に停めてあった漆黒のSUVに乗り込み、さっさと走り去ってしまいました。

 カラスの子はカラス。カケスの子はカケス。ヤカラの子はヤカラ。

 木枯らしに抱かれ、呆然と見送るわたくしの頭に、そんな格言じみた言葉が浮かびました。もちろん、親と子を一緒くたにするのは、どちらにとってもある種の侮辱だと承知しております、戯れ言です。なれど──

 と、鞄の中のスマホの振動に気付けば、叔母から予定より早く着いてしまったとのメールが届いておりました。

 わたくしの母によく似た、母の妹であり、数少ない身内と呼べる人。

 待たせてはいけないと、戸比氏の車の凹みも忘れ去り、またいくつかの予定を後回しにして叔母の元へと車を向かわせたのです。



「・・・・・・瀬名の母親って」

「病棟が変わるかもしれんそうだ」


 その言葉と、昔馴染みの表情で、私はなんとはなしに事情を察した。医師が言葉少なに語るのも、わかれよ、わかるだろ、わかんないとかねえぞ、という意味なのだろう。


「ともかく、気に掛けてやってくれ。あの親子は頼れる身内が少ない。優しくしろよ」


 是とも否とも返せず、う、うう、とだけ唸る。

 瀬名の適当な嘘から出た個人情報であり、私は全然悪くなのだが、なんとも応えづらい。

 老医師は、いいな、優しくだぞ、と念を押す。私はううう唸りながら点滴ルームを退出した。

 会計を済ませて、医院を出て駐車場に向かえば、私の青い車だけがポツネンとしていて、いかにも寂しげな風情だった。患者はもうはけており、職員用の駐車場はまた別にあるのだろう。

 いいな、優しくだぞ──別段、優しくしたくないわけじゃない。瀬名との出会いはひどかったが、余裕のない背景を思えば、わからなくもない。だが、どこか割り切れない思いがあった。私だって。


「優しくされてえよ」


 思わず、吐露してしまった。

 誰も聞いていないからこそ吐き出せた本音は、我ながら情けなく、けれど、しっくり心の穴に嵌まってしまう。

 どっと疲れて、帰って寝ようと車に乗り込もうとして。


「なんでだ」


 愕然として声を上げた。いつ、どこで、誰が──断言するが、受診前はなかった。木枯らしに抱かれて呆然とする。

 青空色の車体のドアにできた拳ほどの真新しい凹みは、おまえなぞ優しくされる価値なし、と押された烙印のようであった。

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